高橋浩由の「スポーツ素敵に隠し味」

2016年2月 9日(火)

銀輪通信 ~冬の足跡、春の足音~

久しぶりの銀輪通信です。

冬は、晴れたら乗ります。

着るもの着たら、冷えた空気は最高です。

 

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正面に見える高縄山周辺は、この時期でも最高のコース。

全く信号にひっかかりません。

30キロくらい連続してこぎ続けることができます。

そして峠を上り、峠を下り、また峠を上り・・・

そしてこの日、峠の下りでちょっとペダルを踏んでみました。

 

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初の60キロ超え。自己ベスト更新です。

(自転車は軽車両。道路交通法はしっかり遵守しております)

 

北条から峠を越えて菊間へ。

この時期の菊間町といえば「やくよけ大師 遍照院」。

2月3日の「節分厄除大祭」当日を中心に

厄除け祈祷の方々で、本堂のまわりはとても賑やかでした。

 

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気持ちだけでも、愛車の厄除け祈祷です。

 

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「福は内 鬼は内」

感謝と願いが込められた掛け声ですね。

 

鬼瓦が受ける日差しも少しづつ、やわらかくなってきました。

 

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2016年2月 4日(木)

「苦闘の後に、栄光の明日がある」

 

2016年 リオ・オリンピック。

2019年 ラグビーワールドカップ日本大会

2020年 東京オリンピック

 

2010年代の後半は、日本にとって

まさに国際大会目白押し。

競技力はもちろん、文化も、社会も、人間力でも

世界の中での日本の立ち位置が問われますね。

 

そんな真っ只中の「2017年」に開かれるのが

「えひめ国体・えひめ大会」。

もう、目の前です。

 

こうした中、きょう松山市内のホテルでは

「愛媛県体育協会 表彰」が行われました。

 

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2015年に、国際大会で入賞した選手をはじめ、

全国大会の入賞選手やチームなど

個人75人、21団体のトップアスリートたち、

そして指導者ら、およそ300人が集結。

 

大亀会長から表彰状を手渡されながら

来年のえひめ国体へ、決意を新たにしていました。

 

そんな会場でみつけたこちらのポスター。

 

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えひめ国体での「天皇杯、皇后杯の獲得」を目標にあげてはいても

その難しさを肌で知っているのは、

もちろん現場の一人一人の選手たち。

 

その難しさをあらためて共有し、熱に変えてこそ、

真の勝利は見えてくるのかもしれない。

 

 

 

 

 

2016年2月 3日(水)

あの夏の「清原和博」

 

夏休み中の練習は厳しかった。

 

高校の硬式野球部に入って初めて迎える夏。

東京、練馬区の黒土に早朝からギラギラ照りつける太陽。

 

バックネットを支えるコンクリート製の柱の影。

校舎の脇の茂みに転がって行ったボール探し。

それらは1年生部員唯一の「極楽時間」だった。

 

そんな1983年夏。

1日の練習を終えて、ヘトヘトになって部室に戻れば

胸のあたりが真っ黒になって脱ぎ捨てられたユニフォームと

読み捨てられた「スポーツ新聞」が転がっていた。

 

そしてそこには、「KKコンビ」の文字がいつも踊っていた。

 

同じ1年生でこんな凄い奴が大阪にはいるのか―

 

「清原和博」

 

その夏、PL学園は1年生の

「KKコンビ」の活躍で全国制覇を果たすと、

その後、2年春、夏、3年春、夏と5季連続甲子園出場。

 

優勝2回、準優勝2回、そして―「清原」

その規格外のスラッガーは甲子園大会歴代最多、

通算13本のホームランを叩きこんだ。

 

どうしたらあんな風に飛ばせるんだろう。

なぜ、簡単に右に流せるんだろう。

「構え」か「スイングスピード」か、「バット」なのか―

考えていたら、私の高校野球は終わった。

 

日本を代表するスラッガー「清原和博」。

 

そして初めてその名を知ったあの夏から19年後、

彼は松山にやってきた。

 

2002年 プロ野球オールスターゲーム。

2万7000人で膨れ上がった坊っちゃんスタジアム。

 

華やかな舞台に、彼はとても似合った。

接点など何もない自分だが、

どこかとても誇らしかったのを覚えている。

 

甲子園が面白かった時代―

 

そのスター街道のど真ん中を堂々と歩いていた清原。

 

 

今、大きな喪失感は否めない。

 

 

写真も特に持ってない。

 

 

 

 

 

 

 

2016年2月 2日(火)

校長室の電話の前で、スマホを握りしめて

あの日、電話はならなかった。

あくまでもマスコミは起き得ることに備えて準備していただけで

予想屋でもなければ、結果に対する何かの影響力を持っているわけでもない。

待って、そして何も起きなかっただけ。

ただ、見出しにはあえて「吉報届かず」と書いた。

 

1月29日 選抜高校野球大会出場校発表。

午後3時、済美高校の校長室。

待機しているほぼ全員が、スマホの画面で出場決定校の速報を見つめていた。

そして35分後、四国地区の出場校が決まった。3校だった。

そこに「済美」の名はなかった。

 

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オリンピック開催地の選考発表―

女子マラソンの五輪日本代表選手発表―

これまで星の数ほどの選考委員会が開かれ、

人間は選考委員会の決定に一喜一憂してきた。

が・・・

スポーツの魅力の一つには、人の意を超えたところで白黒はっきりするところにある。

相手より100分の1秒でも早ければ勝ちであり、

相手より1点でも多くとれば勝ちであり、

1点少なければ負けである。

 

そのために膨大な時間をかけて準備をする。

そしてその数パーセントにも満たない競技時間の「本番」でしのぎを削り、

「結果」を潔く受け止める。

 

選手として、チームとして、出来るのはそこまで。

そしてそれが、選手にとって、チームにとって「全て」だと思う。

「結果」は出ているのだ。

 

済美は秋の四国大会ベスト4。

2回戦で鳴門に完封勝利を収め、

準決勝では、のちに優勝し、秋の明治神宮大会で日本一に輝いた

高松商業に1点差で敗れた―。

 

秋の最後の試合から約「3か月」。

どこのチームも秋の敗戦直後から、徹底的に打ち込み、投げ込み、猛ノックを浴び、

走り込み、体幹を鍛え、バーベルを持ち上げてきた。

そしてチームは一回りも二回りも力をつけ、自信を手にし、そして年が明ける。

 

1人の野球部員の実質の活動時間は

1年生の4月から、3年生7月までの「2年4か月」。長いようで短い。

このうちの「3か月」という時間は短いようで長い。

高校生が変貌を遂げるには十分可能な時間だ。

どこのチームも、日進月歩で成長を続けている。

 

1月29日、選考委員会の机上に乗っているのは

主に「3か月前」の出来事である。

チームにとっては、すっかり「過去」だ。

言い過ぎならば、少なくとも「今」ではない。

 

高校2年生の1月。

たいていの高校球児がこう思う。

「もう最後の年か・・・」

7か月も先だが、「夏」は完全に視界に入ってくる。

 

「俺たちの目標は、あくまでも夏だ」

1月29日の夕方、済美の乗松監督も

選手たちを前にこう伝えている。

 

そうした中、全国から選ばれた32校が出場する「春のセンバツ」。

今年は3月20日に開幕する。

それは、「去年秋の結果」から、約5か月後のことである。

 

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2016年1月30日(土)

「原川が笑い、リオは踊る」

原川が笑った―

「稲垣潤一」は笑わない

でも原川は笑った 嬉しそうに。

 

後半アディショナルタイム、

利き足ではない左足から放った弾丸ミドル。

 

―いい所にいましたね

 

いやいや、いつもそこで待っていた。

左サイドをえぐっては行き詰まった者たちの駆け込み寺のように、

パスを受けては柳のように受け止め、

何事もなかったように再びボールを返す。

 

にわかに人の感情を震わせるような動きではない。

むしろプレーがゆっくり見える。

速いのはサーチライトのように周囲を確認する「首」だけだ。

いや、もうひとつあるが、それは後で・・・

 

とにかくポジショニングが良い。良すぎる。

読みがいい。

プレーする時間とスペースを自分で作れるのだ。

 

この試合原川は、90分間お百度参りのように

ペナルティエリア神社に通い続けた。

そしてついに勝利への扉が開き、

原川は聖なる左足をフルスイングした。

 

ボールはゴールネットに突き刺さり

ドーハは歓喜に包まれ

リオデジャネイロの空へ、原川の「言葉」は舞い上がった。

 

************************

―オリンピック決めてくれて、有難うございます

「僕もとりあえず ホッとしています」

 

―決まった瞬間の気持ち、覚えますか

「ひとつの目標でしたし、とても嬉しいです」

 

―きょうは先制をして、その後追いつかれて、どんな90分でしたか

「やっぱ苦しい時間の方が多かったですけど、

みんなで耐えられたことが勝利の要因かなと思います」

 

―最後試合が終わるまで、原川選手、

            どんなことを考えながらプレーしてましたか

「勝つことしか考えてないですし、それが実現できて

チームとしてより成長したかなと思います」

 

―ゴールのあの流れのシーン、少し振り返ってください。

  思い出せますか

「あまり覚えてないですけど、いい所にこぼれてきたので

吹かさないように、抑えてシュート打って、

枠に入ってよかったです」

 

―色々な思いを各年代でしてきて、

  イラクという相手に勝ってオリンピックを決めた。どんな思いですか

「僕自身もイラクに勝ったの初めてなので、

こういう舞台で勝てて、非常に嬉しいです」

 

―試合が終わってチームみんなが集まった時はどうだったのでしょう。

「上、乗られてきつかったですけど(笑) 嬉しかったです」

 

―これでオリンピック決めました。もう1試合ありますね

「やっぱり1位でオリンピック行くことが大事ですし

6勝して、オリンピック行きたいです」

 

―それにしてもこのチームの強さ、どこにありますか

「まとまりが一番いいと思うので、いい風がこのチームに吹いていると思います」

 

―そのままの勢いで、楽しみにしてます

「ありがとうございます」

********************

 

はやい! とにかく速い。

これだけ聞いて、話して 「1分17秒」

このテンポは世界でもトップクラスだろう。

 

質問が終わるや否や、「即答」

質問から答えるまでの間は1秒もない。

まさに「言葉のワンタッチパス」だ。

 

劇的なゴールを決めた直後とは思えないほど

興奮をコントロールする原川。

 

それにしてもU23の番記者たちは迷っているように思う。

この年代の主役は本当は誰なのか。

遠藤なのか、武蔵なのか―

 

「原川力」がいるではないか。

 

しかし「五輪Vゴール」を決めても、

どこか手放しで持ち上げようとしてない多くのメディア。

 

中田英寿のようにクールに見えて取材しづらそうだからか?

トークが速すぎて聞き取れないからか?

知識を逆に問われているようだからか?

 

安心してください。待ってますよ!

 

「J初ゴール」を決めて照れながらも嬉しそうだった「愛媛FC時代」。

あれから1年あまり、ようやく出たプロ2得点目が、

なんと「リオ五輪へのVゴール」。

 

「勝てない世代」の逆襲が、「原川力」のゴールで始まった―

 

◆リオデジャネイロオリンピック アジア最終予選準決勝

   U23日本代表2-1イラク

 

2016年1月25日(月)

「砂浜特訓」 

「がんばったら いいことあるよ!」

「家族のために頑張ろっ!」

「あるよ、これ試合であるよ~!」

 

木山隆之監督になって2年目の「砂浜特訓」。

今年は梅津寺海岸で初開催されました。

 

鹿児島キャンプがなくなった1年前、

いったいどうなることやらとの周囲の心配をよそに

粛々と、近くの砂浜を走り、坂道を駆け上がり、

まさに「地産地消」のメニューで選手を鍛えていった木山監督。

その答えが「J2、5位」、「プレーオフ進出」と、言わば

「キャンプに行きゃ~いいってもんでもない」ということを体現しました。

 

そんな縁起のいい?メニューでは

今回も、津川フィジカルコーチの号令のもと、

選手たちは8つのメニューに真剣アタック。

 

やわらかい砂に足を取られながらも

体幹を意識した俊敏な動きで

オフトレの充実ぶりを披露していました。

 

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特に砂浜歴2年目の「瀬沼」選手が、声でムードを上げれば、

実は初体験の「内田」選手も常に試合を意識することの大切さを体現、

新加入の「深谷友基」選手も、サッカー人生初体験という砂浜特訓に

目の色を変えて取り組んでいました。

 

それにしてもこの時期、砂の上であれだけ動けるということは

マイペースとはいえ、オフも休みなく動き続けていた証。

やはり、例年より1週間早い、2月末開幕は

選手のモチベーションをあげていると思われました。

 

そしてきのうの「キックオフフェスタ」では、こちらも発表されました。

キャプテン西田、副キャプテン河原、児玉、林堂、小島。

個人的意見としては、特に林堂さん!

なにか今年はさらに輝いてくれそうで楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年1月25日(月)

「1分20秒」のラスト1プレー

 

「ブオオーン」

 

ラスト1プレーを告げるフォーンが鳴り響いた。

 

 

東京、秩父宮ラグビー場。

ラグビートップリーグ優勝決定戦

赤の「東芝」vs青の「パナソニック」

 

 

後半40分 パナソニック27―21東芝

得点差は6点。

1トライ1ゴールは7点。

そしてボールは、追いかける「赤」の手元にあった。

 

 

自陣10メートルライン少し内側。

ゴールラインまで、残り63メートル。

 

 

そしてスクラムが組まれ、

「赤」の「21番」、スクラムハーフの両手から楕円のボールが放たれた。

 

全てはスローモーションのように、

 

「左へ」1人飛ばし、次も1人飛ばし、そして「13番」に渡った。

 

―さあ勝負

 

1本目の青い矢をかわし、

2本目の青く低い矢もかわすと、

歓声は、明確な「意志」を持った音の塊に変わり背中を押した。

 

そして3本目の青い矢が突き刺さったが、

すでにボールは空中を舞い、

トップギアの「15番」へ。

 

 

―行ったか

 

 

しかし残り10メートル、「青」につかまる。

それでも雪崩のように襲い掛かる「赤」

そして渾身のロングパスが右へ。

 

「21番」から「13番」、

そしてポスト正面「14番」が最後に信じたプレーは

 

 

「キックパス」

 

 

ゴールライン手前でワンバウンド・・・

 

次ぎの瞬間、「楕円」のボールは意志をもったように

 

少しだけ左に跳ね上がった―

 

ボールの目の前にいた青の「2番」は振られ

 

最後は「赤」の23番がインゴールに抑えた。

 

 

トライ

 

 

「2万4557人」の秩父宮が揺れた―

 

 

フォーンが鳴って、「1分20秒」が過ぎていた。

 

 

 

結局、「赤」の直後のキックはゴールポストをそれ、

試合は「青」が「27-26」で「赤」を破り優勝を決めた。

 

〇パナソニック27-26東芝●

 

 

しかしその勝敗以上に

2015-16シーズンという日本のラグビー史に残る

歴史的な1年を締めくくるにふさわしいファイトは、

 

勝敗を越えて、

ファンと選手が「2019年」へ

共に歩む「決意」と「覚悟」を固めた一戦となったに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

2016年1月21日(木)

始まりは 「碧い空」

 

2016シーズンに向けた、愛媛FCの新体制始動の取材。

松山市梅津寺のグラウンドに着いて驚いた。

 

なんか、いっぱいいるぞ・・・サポーターが。

 

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かつて四国リーグ時代、旧重信町の「NTTグランド」で―

さらには高知国体で―

そして初代サンパークのグラウンドで―

土の上で高く高く跳ね上がるボールを追いかけていた時代から

愛媛FCを取材してきたが・・・

ざっと数えて「120人」

「練習初日」にこの雰囲気は初めてだ。

 

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こんなボードや・・・

 

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こんなフラッグも。

 

新加入選手もさぞ、気持ちよく初日を迎えられたことだろう。

 

そして空はどこまでも碧い―

 

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いいシーズンになりそうだ。

 

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新加入4選手のうちの一人、深谷友基選手。

大分、大宮でJ1生活9年。207試合出場。

その後、FC岐阜で2年やって愛媛に完全移籍。

 

新たな出会いの瞬間―  

「旅人」の歩みをねぎらい、力強く送り出したい

 

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別メニューだった河原選手。

笑顔でサポーターの心配を吹き飛ばす。

 

そして1秒ほどの握手。

湧きあがる勇気に、ともに戦う決意を固める。

 

「全力前進」の第2ラウンド。

勝負の1年の始まりに、これ以上の1日はない。

 

2016年1月15日(金)

「ギンギラギンにさりげなく」

 

一瞬、耳を疑った

 

愛媛FCの2016シーズン「新体制発表会見」

過去最高の5位につけ、チーム史上初のプレーオフ進出と

充実の1年を演出した「木山隆之監督」。

その手腕にさらに期待が高まる就任2年目の意気込みを問われ、

指揮官はいつも通り、一言一言、確認しながら慎重に話し始めた。

 

言葉の力―  

選手にかけるわずかな一言が、大きな勇気になり、

会見で放つ一言が、時に地域を動かす原動力になる。

 

その指揮官が、突然口にした

「ギンギラギンにさりげなく」

近藤真彦の代表曲である。

そう、去年大晦日の「紅白歌合戦」で、白組のトリを務めたのがこれである。

しかし、なぜ木山監督は・・・

 

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アラフォー世代にとって「マッチ」は青春時代の男性アイドル筆頭であり

その代表曲が「ギンギラギンにさりげなく」だ。

♬「そいつが俺のやりかた~」 みんな歌った。意味など考えずに。

木山監督も当時は、そのタイトルの意味が分からなかったと打ち明ける。

 

しかし2015年の「土壇場」、12月31日の午後11時半過ぎ

木山監督の脳裏に浮かんだこと―

 

「ギンギラギンにさりげなく」 は悪くないな

 

相反することが、物事として成立することもある。

充実のシーズンの後の就任2年目。当然、プレッシャーは大きい。

その中でも、しっかりとした目標設定は大事である。

 

しかし―

 「J1昇格」 という言葉に宿る甘美な響きと、

 「地道にコツコツ」という背伸びなしの堅実な姿勢。

 

相反する2つの言葉の狭間で、

今の愛媛FCを 「全力」で「前進」させるために必要な言葉はどっちなのか。

 

その答えが、「ギンギラギンに さりげなく」だったのである。

そして、 「そいつが木山監督のやり方」なのである。

 

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「無欲」のプレーオフ進出と

「狙ってつかむ」プレーオフ進出。

越えるべきハードルは低くはない。それでも―

 

「プレッシャーがあった方が、楽しいですよ」 

 

笑みを浮かべる指揮官。

開幕が、今から待ち遠しい。

 

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(新加入選手4人とポーズをとる 木山隆之監督)

 

 

 

2016年1月14日(木)

「7連覇」と「秩父宮の青空」

あけまして おめでとう ございます。

 

先日、東京の秩父宮ラグビー場に

「ラグビー全国大学選手権」の決勝戦を見にいきました。

 

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「世界中の青空を集めたような・・・」

実況中継の常套句、でもその通りでした。

 

帝京大学 対 東海大学

まさに、紅組 対 青組

 

紅組が目立つのは、いつの時代も一緒。

さらに「7連覇」がかかっているとなれば

バックスタンドも御覧の通りです。

 

 

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スタンドの向こうには、神宮外苑の銀杏並木。

全てを脱ぎ捨ててまっすぐに伸びる木々の姿は

ラグビーハイシーズン到来を告げています。

  

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そして決勝戦にしては「控え目」なホイッスルが鳴り響き、

80分後、帝京大は「7連覇」を達成しました。

 

でも、試合は序盤から「青組」」ペースでした。

ボールは「帝京」、タックルは「東海」。

赤がもって大歓声、青のタックルでため息と悲鳴・・・

これが30分続きました。

 

まだ、0対0 

 

次第に青組の背中を押し始める 「秩父宮の青空」。

 

そして均衡を破ったのは「東海」でした。

前半31分、ラインアウトからモールを押し込み

フランカーの選手が先制の「トライ」。

秩父宮がどよめきと歓声に包まれます。

 

なにかが起きる―

 

「予感」は醍醐味、

「場の空気」こそ「確信」の構成元素。

 

「絶対王者」と5対5の同点で前半を折り返すころには

「東海」の可能性を「歴史」から裏付けようと

ファンの指先は手元のモバイルギアを叩き始めていました。

 

後半「帝京」は、本来のラグビーを取り戻しました。

速いテンポでボールを操り、流れを変えました。

 

結果は、帝京大 27-17 東海大

 

そして試合が終わり、「7連覇」の文字が独り歩きし

翌日の見出しを飾りました。

 

しかし「7連覇」を称える心の震源は

「秩父宮の空気」を変えた東海大の「30分間」に凝縮されています。

 

 

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「いい決勝戦だったね」

 

銀座線「外苑前駅」に向かう人波の中、

聞こえてくる賞賛のつぶやき。

視線を上げれば、

そこには 冬の西日に揺れる 「赤い小旗」が

 

 

 

 

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