高橋浩由の「スポーツ素敵に隠し味」

2010年6月 1日(火)

「つぶやき」の重み

「つぶやく」を辞書で調べると

「小声でひとりごとを言う」とありました。

 

でも、最近の「つぶやき」は

どうも小声のようでないし、ひとりごとでもないようで、

「つぶやき」=「発言」のようです。

実はどんどん「重み」が増してきていませんか。

 

いよいよ6月。

「つぶやき」がうねりを作り、

「発言」が責任を問われる月の始まりですね。

 

 

s-つぶやき.jpg

 

(岩波 国語辞典より)

2010年4月28日(水)

「122」の夢、「104」の決意

 

「悔いの無いプロ野球生活だったなと

             すごく思います。

一年一年、全力でやりましたし

出せるものは全て出し切ったという

       思いがすごく強いです」

 

 西山道隆さん

 

(2010年4月24日 坊っちゃんスタジアム)

 

 

坊っちゃんスタジアムが似合う選手が

また1人、現役を引退した。

 

西山道隆投手。

 

元愛媛マンダリンパイレーツの150キロ右腕だ。

プロフィールは省略―

しかし30歳になった。

 

2006年ソフトバンクホークスの「育成枠」で「122番」を背負い、

2010年「ファームスタッフ」として、今「104番」を背負う。

 

それが現実―。

 

s-西山104.jpg

 

 

「とにかく黒子に徹して

選手の皆さんが少しでもやりやすいように

少しでも1軍で活躍出来るように

微力ながら役に立てれば有り難いですね」

 

 

1軍で白星がなかった西山投手。

それも事実―。

 

制球力に苦しんだ西山投手。

それも事実―。

 

でも、ファンは忘れない。

記録本に残らないNPB4年間の物語を―

 

 

「おい、ニシ!今、何球や?」

「100球です・・・」

 本当は「400球」投げていたあなたの頑張りを―

 

いつまでもいつまでも

坊っちゃんスタジアムの周りを走っていた姿を―

 

そしてソフトバンク2軍の「雁の巣球場」での猛練習ぶりに

当時の大エース「斉藤和巳」も舌を巻いたことを―。

 

 

 

「でも結果が出なかったから、やはり努力が足りなかったんです」

 

背番号「104」は続けた。

 

「でも、ひとつ言わせてもらえるなら、

  アイランドリーグの選手たちには

   絶対に自分の可能性を信じて続けてほしい」

 

 

愛媛MPとの交流戦開始2時間前、

「西山さん」が坊っちゃんスタジアムのマウンドに向かった。

 

しかし西山さんの足は

ピッチャーズプレートの数メートル前で止まる。

そして防護ネットに囲まれながらケースからボールをひとつ握った。

 

右打席には「背番号2」

ルーキーの今宮健太。明豊高校出身。

高校通算64ホーマー、MAX154キロ右腕。

去年、夏の甲子園では西条秋山を破り、菊池雄星に敗れた

ソフトバンクの「ドラフト1位」だ。

 

 

s-今宮2.jpg 

 

風はまだ冷たいが、初夏の日差しの坊っちゃんスタジアム。

西山は汗をぬぐい、帽子を被り直し

そしてゆったりとしたモーションから右腕を振り抜いた。

 

「打ってくれ」と祈りながら―

 

 

 

2010年4月12日(月)

「神」を「女神」にした男

「彼が打ってくれて、ホント良かったと思います。

 本当に大仕事をやってくれました」

 

                         愛媛マンダリンパイレーツ 沖 泰司監督

                             

                                 (2010年4月11日 新居浜球場)

 

 

愛媛MPのホーム開幕戦は新居浜。

この日、快音を残した打球が三度、

両翼91メートルの上空に舞い上がった。

 

その1回目と2回目には

「神」でゲストの「水樹奈々さん」も跳びあがって喜んだが、

「3回目」に最も高値がつくとは思いもよらなかっただろう。

 

その3回目を競り落とした男の名は、

 

「近藤幸志郎」

 

時代劇ではない。野球選手だ。24歳。

しかし日に焼けたその顔は野武士そのものである。

 

その野武士が新居浜の厚い曇に閃光の矢を射ったのは

3対3に追いつかれた直後の8回ウラ。

近藤は、一振りで試合に決着をつけ、刀を鞘に収めると

太い眉をピクリとも動かさず、4つの目印を足裏でかみ締めた。

 

s-近藤1.jpg

 

「打球の感触が残っていて、手がまだしびれてます」

 

 

試合後ようやく笑顔になったが、また野武士に逆戻り。

 

 

「みんなで勝ちに向かって一生懸命やってたので、

 たまたま自分が打てただけで、チームのお陰です」

 

 

近藤は、ルーキーの去年、ホームランを2本放っている。

もともとパワーヒッターだ。

 

しかし、1年目は過去の自分を捨てた。

バントの構えからヒッティング・・・

いわゆるバスターフォームで打席に向い続けた。

かっこよさとは無縁の試行錯誤が続いた。

 

しかし2年目。

ホーム開幕戦、2800人もの応援団。

何よりも、過去5年、ホーム開幕戦で白星がない愛媛MP。

 

 

そして近藤は男になり、

 

      水樹奈々さんは、

  

      願い叶って「勝利の女神」になった。

 

 

s-近藤2.jpg 

 

 

2010四国・九州アイランドリーグ

ホーム開幕戦

 

愛媛MP 4-3 高知FD

2010年3月10日(水)

2つ足りない金メダル

金メダルが「2つ足りない」と思った。

 

バンクーバーオリンピック女子フィギュアスケート。

「世紀の女の戦い」は世界中の注目を集め

韓国のキム・ヨナが金メダルを獲得した。

 

浅田真央。

ショートプログラムで1回、

フリーで2回、

合計3度に渡ってトリプルアクセル=3回転半を成功させた。

女子では世界初の快挙だ。

 

でも「銀メダル」に泣いた。

 

 

 s-フィギュア.jpg

 

 

一方「吠えた」のが、ロシアのエフゲニー・プルシェンコ。

前回、トリノ大会金メダリストは競技前の会見で

「スケート界の未来のために4回転にこだわる」とピシャリ。

本番でもその言葉どおりの演技内容を遂行した。

 

でも、結果は「銀メダル」。

「4回転を跳ばない人が金メダルなんて」

プルシェンコは嘆いた。

 

「金メダル」のためには「回転数」か「ステップ」か。

 

正確にはどちらが多く得点を積み重ねることができるか。

今回のバンクーバーでは後者だったのだろう。

「相当なエネルギーを費やし大技に挑戦して失敗するより、

回転数を減らしてでも確実に演技した方が

得点を積み重ねられる」ということだ。

 

競技のレギュレーション、ルールを知り、

その中で最大限の勝負をする。

これは普通。

 

しかしスポーツ、特にオリンピックの歴史では

自国に都合のいいようにルールそのものを変えてしまうことは

そう珍しいことでもない。

 

特に人間のジャッジが結果のかなりの部分を左右する競技では

そこの部分は常に議論されているテーマだろう。

荻原健二が活躍しすぎるあまり、

ヨーロッパ勢の圧力でジャンプの「得点配分」を減らしてしまった

ノルディック複合なども記憶に新しい。

 

ただ今回のフィギュアスケートを見ていると

人間の能力の限界に挑むかのような3回点半や4回転の凄さと

ステップや表現力などの要素は

どちらも「単一種目」として十分な魅力を持っていて

1回の演技に両方が組み込まれている現在の演技構成は

なんと贅沢極まりないものかと思う。

 

「ショートプログラム」と「フリー」

それぞれに金メダルを用意してはダメなのか―

 

「ショート」は「スケーティングの正確性」に重点を置く。

究極の精密さを追求する。

 

「フリー」はその名の如く、自由な発想で

フィギュアスケートそのものの可能性を追求することに重点を置く。

制限時間内にどんどんアクロバティックな大技や

パフォーマンスを繰り広げ、ジャッジはもちろん、観客を唸らせる。

そして個人が獲得した得点の、上5つの合計で競うのである。

 

例はいくらでもある。

 

「ジャンプ」と「距離」は別々の競技としてメダル争いをしている。

そしてその上で「ジャンプ」と「距離」の両方で争うのが

「ノルディック複合」だ。

その肉体的な器用さ強靭さ双方を併せ持つことの凄さ。

「キングオブスキー」と称される所以だ。

 

夏のオリンピックでも

陸上では個々の種目があり、また7種競技のような複合型もあって

それぞれにメダルが用意されている。

 

つまり今回のキムヨナ、浅田真央の戦いは

まさに「フィギュア複合」=「キングオブスケート」を決める戦いとして

間違いはない。

 

ただもし「ショート」と「フリー」の2種目にメダルが用意されていたら

2人の類稀なる能力はそれぞれ「金メダル」として評価を受け、

日本国民は

 テレビに何度も映し出される

  「満面の笑みの真央ちゃん」に元気をもらい、

       日本経済も上向いていたかもしれない!

 

 

(次回は、あの「コクボくん」を見ていて浮かんだ

 「スノーボード新種目」です)

2010年2月21日(日)

青野の「着地点」

バンクーバーオリンピック

スノーボード男子ハーフパイプ。

青野選手は9位に終わった。

 

s-五輪成績.jpg 

 

決勝では「絶対王者」ショーンホワイトを追って

全員が束になってかかっていったような構図になり、

メダル候補といわれる選手たちが

大技「ダブルコーク」にチャレンジしては、

成功し、そして失敗していった。

 

そこでは「出来た」か「出来ない」かだけが重要なことであり

ジャッジがつける得点による「順位」など

選手たちにはあまり意味がないようにも見えた。

 

そしてそんな様子を眺めていると

なにか小学生の頃の「度胸試し」を思い出した。

 

私もやった。

体育館に忍び込み、ステージの緞帳のレール上から

下に敷いたマットの上に飛び降りたり、

 

ブランコを思いっきりこいで勢いをつけ

ジャンプして柵を飛び越えたり、尻を打ったり、

 

公園の山の上から自転車で駆け下りたり、

 

橋の上から運河に飛び降りてみたり・・・

 

周りの評価などという概念はそこには無く、

仲間になれたか、なれないか・・・

それが全てだった時代を思い出した。

 

 

でも青野選手のジャンプが

「5F建てのビルと同じ高さ」だと分かった時、

懐かしさなどは吹き飛んだ。

 

それはさておき「最後の着地」。

 

何度も思い出しても残念なシーンだが、

着地のミスは、

直前のエアーに何かあるということで、

そのエアーで何かあるということは、

その直前のアプローチの段階で問題が生じていたと予想される。

 

さらにそのアプローチに影響を及ぼしていたのは

直前のジャンプの着地だろう。

 

どんどん遡っていくと、結局「スタート地点」に戻ってしまうが、

結局、ハーフパイプ競技の真髄は「トランジッション」、

技と技の「つなぎ目」の精度にあるのだろう。

 

 

「跳んで見なけりゃ分からない」

「出たとこ勝負や~」

そんな感覚とは無縁の、

明確な因果関係に基づいた世界なのではないか。

 

青野選手にこう尋ねたことがある。

「フィギュアスケートのジャンプのように

ジャンプの瞬間に、3回転を2回転に変更したりすることもあるの?」

 

青野選手の答えは「ない」。

 

「飛び出す時には上半身の先行動作が必要で、

予定回転数に合わせて準備して飛び出します。

だから、例えば空中であまり高さが無いからといって

半分だけ回転を減らそうとすると、

もう勢いが付いているので着地の失敗につながります」

 

で、「最後の着地」。

 

決勝2本目、上から予定通りのジャンプをこなし

たどり着いた最後の「一発」。

当然3回転を狙って空中に飛び出したのだろう。

しかし高さが足りず、

その分パイプの底まで飛び続ける必要が生じ、

いざ着地すると、今度は板に体重を乗せるまでの時間があまりなく、

先に雪面にエッジを取られてしまった―

 

と推測するがどうだろうか。

 

何はともあれ、

「スノーボードをたくさんの人に知ってほしい。

 楽しさをもっと伝えたい」

という青野選手の思いは今回のオリンピックを通じ

十分に伝わったのではないだろうか。

 

「ダブルコーク」を入れなくても

「マックツイスト」を入れなくても

 

アクロス重信の天井さえもぶち抜くほど

回転軸のぶれない「高さ」のあるジャンプで

堂々と世界と渡り合う青野選手の勇姿は

私たちの心にしっかりと刻まれている。

 

s-青野色紙.jpg 

 

慌てず、騒がず、自分のスタイルを見据える19歳の青年。

ふわりと浮かんだビルの5Fの高さから見つめていたのは

ライトアップされた美しく悩ましいあの「着地点」だけではない。

 

世界はもう3日前の「あの日」から

次のオリンピックに向けすでに加速し始めているのだから。

 

s-おかえり青野選手.jpg

              

              「お帰りなさい」20(日)松山空港

 

2010年1月20日(水)

期待する前に。

「まずはみんなが、いい環境を作ってあげる。

 

  彼にとっても居心地にいい所にするというのが

 

          彼にとってのいいことだと思う」

 

 

(2010年1月15日 愛媛FC 初練習後のインタビューで)

 

s-福田.jpg 

       (世界を相手にしてきた福田健二選手)

 

 

愛媛FC、今シーズン注目度№1の「福田健二」選手。

小生が、イングランド・プレミアリーガーの大型ボランチ

「MFドウグラス・リナルディ選手」に対しての

コメントを求めるとこう一言。

 

『大いに期待してます』・・・的なコメントを予想していた小生でしたが

浅かったと反省―

 

「結果」を出すことで世界と渡り合ってきた「ストライカー」福田選手。

「新加入選手」が活躍するために必要なことは

「受け入れ側」の体制作り、周りが「お膳立て」をする意識。

それが結果的に自分の良さを引き出すことに繋がっていくと説く。

 

それはおそらく「サッカーだけの話」ではない。

2010年1月11日(月)

「締め切り」の力

 

新年最初のお題は「締め切り」。

 

「締め切り」という言葉を聞いて―

胃が痛くなる人もいるかもしれません。

「かえってヤル気が出ます」っていう人もいるでしょう。

 

いずれにしても、人が何かを成す時には、

全て「締め切り」から始まるのではないかと思うのです。

 

「締め切り」が決まると人間は大きく2種類に分かれますね。

・計画的に事を進める人

・ギリギリになって一気にやる人

どちらがいいのか。永遠のテーマです。

 

我が家を襲った今年最初の「締め切り」は、まず1月8日(金)でした。

小学校の3学期の登校日・・・と同時に、

「宿題提出」の締め切り日です。

 

s-カレンダー.jpg

 

1年生と3年生の娘は、年に1度の夜更かしを満喫しながら

 

「紅白で びっくりしたよ メガ幸子

 

・・・などと、一句詠んでいた頃までは

気持ちにも余裕があったようですが・・・

2010年突入後は「第2のカウントダウン」が始まったようで

表情も次第に険しさを増していきました。

 

ただ、人を巻き込む技にも長けていた2人は

結局、何事もなかったかのように「締め切り日」をクリアしました。

でも、その最後の追い込みこそ

ヒトの可能性を広げてくれる最たるものですよね。

 

例えば「高校野球」のように―

 

新チームがスタートする夏。

秋の県大会という「締め切り」に向かって

高校球児たちは、一度「死にます」。

というと大袈裟かもしれませんが、

自分の限界を越え、殻を破り、可能性に気づき、「強く」なります。

しかし本人たちは知っているんですね。

 

負けても、まだ先があることを―

春の県大会、地区大会、そして「春のセンバツ」は通過点であることを。

 

「夏の県大会」。

 

やはりそれが高校球児としての1年間の「締め切り」でしょう。

 

s-開会式.jpg

春から夏の成長は、秋から冬以上です。

それは「技術の追求」のみに没頭していた者の意識が、

突然「周囲の存在」に気づき「日々の意味」を問い始めるからです。

 

やはり最後の追い込みで「技術」に「精神」が追いつくと

「伸びる」のでしょうね。

 

では、締め切りのスパンが「4年間」だったら―

 

「バンクーバーオリンピック」まであと1ヶ月です。

注目は、スノーボードハーフパイプの「青野 令」選手です。

 

トリノ五輪には出場していません。

しかし当時テレビの前では、もう4年後の戦いが始まっていました。

その成長は順調でした。

 

高校1年の時、ワールドカップで種目別の年間王者になり、

クリスタルトロフィーを手にしました。

2年後の今年1月には韓国での世界選手権で初優勝。

そして2度目のワールドカップ年間王者にも輝き、

バンクーバーでの「メダル候補筆頭」に躍り出ました。

 

ところが―

 

去年8月、ニュージーランドで行われた

「オリンピックシーズン」のワールドカップ開幕戦。

優勝は、アメリカの「ショーン・ホワイト」。

見たこともないような縦回転の大技を成功させました。

 

青野選手は、風にあおられ転倒。

結果は散々でしたが自分のこと以上に

世界の変貌ぶりは衝撃的だったことでしょう。

 

s-青野成績.jpg 

(優勝はS.ホワイト 青野選手は7位)

 

 

 

「ダブル・コーク」=縦2回転の大技

 

オリンピックイヤーに入り、突然目の前に現れた大きな壁。

世界のレベルは一気に上がりました。

 

「オリンピック前になると、

こうやってみんな技のレベルを上げてくるんだなって」

 

青野選手の口からこぼれた一言に、私たちも現実を理解しました。

 

しかしその時点でオリンピックまで半年。

それだけの時間を残して大技を披露してしまったことが

「ショーン・ホワイト」に吉とでるか、凶とでるか。

現にアメリカの有力選手の1人が

「ダブル・コーク」の練習中に頭を強打し重体になったように

なりふり構わぬ猛追劇が世界各地で行われていることは

想像に難くありません。

 

そして、青野令選手。

「シーズンオフ無し」アクロス重信をベースに

現在は今季3度目の海外合宿で新たな技の開発に取り組む中、

ここから何を起こすのでしょうか。

 

「締め切り」まであと1ヶ月―

 

「勝つために、最後の最後まで考え抜く覚悟」があるかどうか。

 

それが、これまでの華やかな戦績を

  「栄光への複線」に昇華させるために必要なことであり

       自分の滑りをすることに繋がるのかもしれませんね。

 

s-青野色紙.jpg

(2010年 年頭に一筆)

 

 

2009年12月28日(月)

バルバリッチの言葉

未来の事を口にするのはリスキーだ。

 

   しかしそれが

 

       今はエネルギーになっているし、

 

        やれる自信もある」

 

 

         愛媛FC バルバリッチ監督 2009年12月 

 

 

2010年の目標を尋ねた時のバルバリッチ監督。

来日3ヶ月目の指揮官は

言葉を選びつつ慎重に、しかし胸に秘めた信念を口にしてくれた。

クロアチア出身で旧ユーゴ代表、あのオシム監督の教え子でもある。

「言葉」が宙をさまようことはない。

 

 

多民族国家ゆえに古代から内戦、紛争が続いてきたバルカン半島。

トルコ、ギリシア、アルバニア、ブルガリア、

さらに旧ユーゴスラビアの

マケドニア、セルビア、モンテネグロ、クロアチア、

そしてボスニア・ヘルツェゴビナ・・・。

 

92年に勃発したボスニア紛争が終結したのは95年とついこの前。

紛争の末に独立を宣言したコソボを巡っては

未だ国際的にも不安定な状況だ。

 

そんな状況で日々と向き合う中、

大切なのは「その日」「その時」「その瞬間」。

その積み重ねが「あす」になるのだろう。

 

刻一刻と変わっていく社会情勢の中で、自分はどう動くべきなのか。

愛する者たちを守るためにはどうすればいいのか。

「根拠なき希望」は時間の浪費なのかもしれない。

 

フットボールも同じか。

「今」の積み重ねが「あす」の前進につながり、

それがいつしか「劇的な変化」を生む。

バルバリッチ監督はそれを知る。

 

s-空.jpg 

(空  希望の宿る場所)

 

 

来日直後、中盤でボールを簡単に奪われる様子に

バルバリッチ監督は

「戦うために最も大切なことがおろそかになっている」と指摘した。

 

「武士」に興味があるという。

全く初めて訪れた国、極東の「日本」。

これまでの人生で接点はほぼ皆無に等しい。

ただ「戦い」に臨む「武士」の姿勢はバルバリッチの心を捉えていた。

「侍スピリッツ」に触れることを楽しみにバルバリッチは来日した。

 

それが失望に変わったかどうかは定かではない。

しかしフットボールがその国を映し出す鏡であるならば

この国の若者たちを束ねるのは

容易でないことくらいは察知しただろう。

 

s-愛媛FC ゴール運び.jpg 

(心をひとつに 愛媛FCイレブン 写真左から2番目がバルバリッチ監督)

 

 

「サッカーはサポーターのためにやっているものだ」

 

バルバリッチ監督はこう言い切る。

 

「私たちが勝利で得る喜びよりも、

 サポーターが喜ぶことで得られる喜びの方がはるかに大きい」

 

そのサポーターに「借りを作った」と何度も語ったバルバリッチ監督。

 

シーズン終了後、冬の夕方ピッチ上にて30分間のインタビュー。

しかし2010シーズンを見つめるその表情は

西日のせいか晴れやかに見えた。

 

 

「戦う」とは何か―

 

2010年

 オシムの教え子が、

   愛媛でいよいよ刀を抜く―

 

2009年12月 6日(日)

花園の涙から10年・・・

s-山本貢.jpg 

 

 

心に、熱い思いみたいなものが

                              試合前はあって・・・

 

    三洋電機ワイルドナイツ 山本 貢選手

 

(2009年12月6日 ニンジニアスタジアム)

 

ラグビートップリーグ2年ぶり4回目の愛媛開催が「凱旋試合」となった

新田高校出身、三洋電機の「山本 貢」選手。

元日本代表、トップリーグ6年目の28歳は

今シーズン、チームの全勝、首位独走に大きく貢献している。

 

試合後、久しぶりの愛媛でのプレーについて尋ねると

こう一言答えてくれた。

 

*********************************

 

丁度10年前の「99年」、

山本は新田ラグビー部のキャプテンに就任すると

フッカーとして「高校日本代表候補」にも選出。

全国高校ラグビー愛媛県大会では

決勝で河野晴吾キャプテン(後に明治大)率いる松山聖陵を

32対0で破りチームの「3連覇」に貢献した。

 

そして「花園」。

 

1回戦では「富山第一」を19-15で破り初戦突破。

山本も1トライを決め、富山の猛追を振り

新田の「花園通算30勝目」に貢献した。

 

ところが・・・

山本はこの試合で「右足首を捻挫」。

 

しかし2回戦の相手は全国屈指の強豪「国学院久我山」。

山本は翌日、大阪市内の河川敷グラウンドで行われた練習中も

歩くのがやっとの状態だったが、取材陣に一言。

 

「強い相手と戦えるのは楽しいから」

 

ややうつむき加減だったが、その口元には笑みが浮かんでいた。

 

そして翌日の99年12月30日。

山本の姿は花園の芝の上にあった。

 

「痛いかゆいを全く言わない男です」

亀岡政幸監督(当時)はその心意気の前に

逸材の「将来」よりも「目の前の一戦」を優先した。

 

座薬と痛み止めを打っても痛いものは痛い。

しかし60分間、前に出続けた「背番号2」を

後輩たちはしっかりと目に焼きつけ、ノーサイドの笛を聞いた。

 

結果は、「新田0-70国学院久我山」

 

深く鮮やかな緑の芝の上に落とした「大粒の涙」―

 

しかし山本はその「意味」を、翌年から「実行」に移した。

 

関東学院大学に進み、才能が一気に開花すると、

2000年から関東大学リーグ戦を全勝優勝で4連覇。

大学選手権では4年間で3度学生日本一に輝くと、

三洋電機でトップリーガーとなり日本代表にも選ばれた。

 

******************************

 

s-三洋電機.jpg

 

そして三洋電機6年目の今年、初冬の愛媛に凱旋。

優勝へ真っ直ぐ突き進むチームの一員として

慣れ親しんだ芝の臭いに熱く燃えた。

 

泥臭くクボタの選手に絡み、倒し、

ブレイクダウンで圧倒。

そして前半39分

ドライビングモールを生かして「1トライ」を決めた。

 

「みんなのお陰で取れたトライなんで、みんなに感謝したいと思います」

 

赤いジャージに刻まれたあの日と同じ背番号「2」は、

西日を受けて誇らしげに輝いていた。

 

 

 

2009年12月 2日(水)

『村山さん』のように

s-秋山投手仮契約 .jpg

(両親と喜びの写真撮影 秋山拓巳投手)

 

OBの『村山さん』みたいに先発でグイグイ押せる

       スケールの大きな投手になってほしいね」

                

                      2009年11月27日 阪神 山本宣史スカウト

 

 

今年10月のドラフト会議で西条・秋山拓巳投手を4位指名した阪神。

この日はJR伊予西条駅にほど近い、西条国際ホテルで仮契約を結んだ。

 

約40分間行われた交渉の後、秋山投手は会見で

「高校時代にやり残したことがあったので、

  それを今度はプロの世界でぶつけたい」と

        甲子園での登板が待ちきれない様子。

 

またドラフト当日は「4位指名」によって

秋山投手の機嫌を損ねてしまったが、

この日山本宣史スカウトは

「将来は先発ローテーションの柱として頑張ってもらいたい」

と明言するとともに、阪神に身を置くものとしては最高評価に値する

「村山」の名を用いて期待の大きさを表現した。

 

さらに・・・

 

「送りバントも自信あるって、本人言ってたよ」

 

阪神 佐野仙好西日本統括スカウト

 

Qチャンスで秋山君に回って来たらベンチはどうするでしょうか?

 

打撃にも非凡な才能を併せ持つ秋山投手だけに気になるところ。

この私の質問に、今回同席された「佐野仙好西日本統括スカウト」は

上のように述べ、

セ・リーグ「先発完投型投手」の必須科目「バント」も

問題なしと見ている。

秋山は「チャンスで代打」のいらない投手として

「虎のエース」としての第1関門をまずは軽々クリアしたようだ。

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