高橋浩由の「スポーツ素敵に隠し味」

2011年1月19日(水)

心が響いた瞬間

きのう石毛宏典さんの講演会を取材させた頂いた。

 

ひめぎんホールの客席には

18歳以上の専門学校、各種学校の男女が約1000人。

この構図自体に興味があった。

 

「熱血肉食系」と「草食系男子」。

 

響くだろうか―

 

「あいさつと返事は大きな声で!」

「人の話しを聞くときは、相手の目を見て聞け!」

 

まず、自身が開く「石毛野球塾」の生徒との約束から入ったが、

石毛さんの「熱」がまっすぐ伝わるのか、少々不安になった・・・

 

しかし―

 

「四国アイランドリーグ」を立ち上げた思い。

 

「千葉のよそ者」が「四国」に受け入れてもらうまでの「汗」。

 

常勝西武ライオンズの1億円プレーヤーが直面した「挫折」と「気づき」

 

そして浮き彫りになっていった「夢」。

 

さらにアイランドリーグで「再生」を誓う若者たちとの会話・・・

 

 

s-石毛さん1.jpg

 

1時間半はあっという間だった。

杞憂に過ぎなかった。

 

「前心」、「朴心」「根心」、「耕心」、「捨心」。

 

左手にマイク、右手にホワイトボードのマーカー。

石毛さんは、現役時代に掲げたスローガンを1つ1つ紹介した。

 

「大切なことは目に見えないことが多い。

 木の根のように。

   見えないものを見つめていきたい」(根心)

 

現役時代、慢心しないよう「心のあり方」には

徹底的にこだわったという。

 

そして、石毛さんは切り出した。

 

「最近は『我流』または『自己流』を

  『個性』だと勘違いしている人が多い」

 

まず「形」があってこそ「ぶれない軸」が出来る。

 さらに軸ができても「志」がないと、

  いくら真面目にやっても「ぶれる」。

 

石毛さんは「基本」の大切さと

 それを身に着けるために必要な「聞く」姿勢を説いた。

 

s-ヤフードーム.jpg 

 

講演終了後―

会場の若者が手をあげた。

マイクが渡った。

 

19歳、専門学生、県内強豪野球部出身、ベンチ入り経験ゼロ。

 「野球以外のことで、野球の技術の参考になるものはありますか」

 

「あります!」

石毛さんは即答した。

 

彼が、人生に「工夫」を求めた瞬間を逃さなかった。 

 

ベンチ入りできなかった3年間だった

 今でも野球は好きだ。

 でも、専門学校もある。

どうすればいいんだろう・・・そんな風にも見て取れた。

 

そして次ぎの瞬間、石毛さんは、

1000人の前で勇気を持ってマイクを握った彼の

「心の迷い」を吹き飛ばした。

 

 

「おう!うちに来て野球やるか!」

2011年1月 6日(木)

紙の重み

その手は全く震えていなかった。

 

重さ、わずか数グラム。

その1枚の紙を過去どれだけ多くのゴルファーが

待ち焦がれてきたことか。

 

『マスターズの招待状』

 

その上品なクリーム色の厚紙と初対面を果たしたのは

松山市出身、松山英樹選手。

 

s-マスターズ1.jpg

 

あと7時間後には年も改まろうかという大晦日の午後5時、

愛媛、松山市内のゴルフ練習場のロビーは

家族やゴルフ仲間で祝福ムードに包まれた。

 

しかし歴史的な出来事にも、

18歳らしからぬ落ち着きの中・・・

 

「この紙切れで、すごい所に行けるんだなという感じですね」

 

s-マスターズ2.jpg

両手の指先で招待状をつまむようにして

顔のそばに近づける。

その紙の重みは―

 

「紙自体は軽いんですけど・・・」

 

「書いてある内容はちょっと読めないんですけど・・・」

 

「すごく重いものだと思っています」

 

ゆっくりだが、自分の言葉で語る松山選手。

実感はこれから徐々に体の隅々にまで広がっていくのだろうが

興奮気味の周囲の笑顔には思わず表情も緩んだ。

 

「小さい頃からお世話になっている方々がいる場所で

 封を開けることができてよかったです。

  夢の舞台なので楽しく頑張って来たいと思います」

 

そして年が明けてきょう―

 

仙台市の東北福祉大学で記者会見に姿を見せた松山選手。

招待状と共に過ごした1週間、相性も良さそうな印象だ。

 

―マスターズに出る他の日本人選手については?

 

「特に気にしていません」

 

記者からの質問にも表情は変わらない。

 

―同い年の石川遼選手や先輩の池田勇太選手も出ますが?

 

「・・・はい(笑)」

 

そう・・・それでいいと思う。

 

マスターズでプレーするのは自分であり、

世界標準を初めて計るのに「既存の物差し」は何の役にも立たない。

把握すべきは自分自身そのもので、

爪の先まで神経を尖らせて臨むのみだ。

 

16番ホールに代表される「ガラスのグリーン」、

11番から13番ホールの「アーメンコーナー」

 

立ちはだかる難コースに「技」と「心」を丸裸にされてなお、

世界中から集結したパトロンたちの前で

次ぎの1打に集中できるかどうか―。

 

「夢の舞台なので、楽しく頑張っていきたいと思います」

 

s-マスターズ3.jpg 

 

2011年4月7日。

アメリカジョージア州のオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ。

 

開幕日の1番ティグラウンドに、

どんな表情の松山英樹が立っているのか。

待ち遠しい限りである。

2010年11月 2日(火)

海を渡った美しき放物線

野球の華はなんといっても「ホームラン」。

それを「期待された時」にぶちかますという

類まれな才能をもった野球人を

「ホームランバッター」と呼ぶ。

 

そんな男が今年、愛媛マンダリンパイレーツにいた。

「末次峰明」選手、24歳。

188センチ97キロ。

その体躯から搾り出されるとてつもないエネルギーを

バットに伝えてきた。

 

そしてそのバットがボールと時々正面衝突を起こす時、

相手の戦意を喪失させ、流れを変え、スタンドが沸き、

味方に勇気を与え、勝利を呼び込んできた。

 

しかし「時々」だった―。

おととしのリーグ日本人ホームラン王も

今年はその確率を下げた。

したがって「10月28日」は何事も無く過ぎ去った。

 

4日後―

 

見上げるほどの大男は

オレンジ色のユニフォームに身を包んでいた。

場所は松山市内のホテルの大広間。

 

「愛媛マンダリンパイレーツ感謝の集い」には

県内の政財界をはじめ大勢のスポンサー企業のトップらが集まっていた。

感謝を表すのはここでは球団側。

選手達は会場あちこちで支援への感謝の言葉を述べ、

来シーズンの巻き返しを誓い、

時に「別れの言葉」を口にしていた。

 

そして末次選手。

立食式の会場ながらどこにいても人目で居場所が分かるのだが、

その背中もある種の決意を湛えているかのように見えた。

 

お開きの時間が近づく頃、

その大男は真っ直ぐこちらに歩み寄ってきた。

表情には晴れ晴れとした「笑み」を浮かべて―

 

「きょう出発しました」

 

―えっ?

 

「よしきくん、きょうアメリカへ出発しました」

 

********************(救う会のHPより抜粋)

竹内義貴くん、9歳。

埼玉県新座市在住の彼は現在

「拘束型心筋症」という原因不明の難病により、

東京女子医大東医療センターで入院治療を受けています。

 

50万人に1人といわれる特に稀な心臓病で、

突然死もありうる恐ろしい病気です。

発病から2年以上に渡り可能な限りの内科的治療をしてきました。

しかし心機能は徐々に低下していることから、義貴くんの命を救うには、

心臓移植しか方法がなく、しかも早急な移植が必要な状況です。

 日本でも2010717日より、

15歳未満の子どもの臓器提供が可能になりました。

しかし義貴くんには日本国内でドナー(臓器提供者)を

待っている時間がありません。

幸いにも先生方のご尽力により、

アメリカ アーカンソー州/アーカンソー小児病院で

受け入れて下さることが決まりました。

しかし、海外で移植手術を受けるためには、

渡航費・手術費用・滞在治療費用など、

個人では負担できない膨大な費用がかかります。
 

そこで、私たちは大勢の皆様にご支援を賜るように

「よしきくんを救う会」を結成し、募金活動をすることになりました。

 

*******************************

 

社会人チーム「岩手赤べこ野球軍団」でプレーしていた時、

よしき君と知り合ったという末次選手。

 

お母さんとよく練習を見に来てくれていた

元気な6歳の男の子だったという。

 

その後、末次選手は

北信越リーグの「新潟アルビレックスBC」、

四国九州アイランドリーグの「長崎セインツ」、

そして今年、「愛媛マンダリンパイレーツ」と旅を続けてきたが、

まさかの連絡が末次選手の元に届いたのは今年の夏だった。

 

拘束型心筋症・・・5年生存率30%

 

「他人事ではないと思いましたし、力になれればと思って」

 

一報を受けた末次選手は、

「よしき君を救う会」の募金活動への参加を決意すると

愛媛マンダリンパイレーツの試合前後、

即席の募金箱を胸に抱え、スタジアム前に立ち続けた。

 

s-末次.jpg 

(今治球場で)

 

もう、大切なのは「自分の成績」ではなかった―。

 

「チームが勝ち続ければ、より多くの人に試合を見にきてもらえる。

  よしき君のことを少しでも多くの人に知ってもらえる」

 

その後、愛媛は首位香川と熾烈な優勝争いを繰り広げた。

後期最終戦を残し、そのペナントレースにはピリオドが打たれたが、

9月26日の最終戦、坊っちゃんスタジアムには

2300人を超えるファンが駆けつけ、

末次選手も2安打を放ち、チームの勝利に貢献した。

 

s-よしき君.jpg 

 

 

「よしき君を救う会」には、

10月19日には、ボストンから「松坂大輔投手」、

そしておとといは、ソフトバンクホークスの「杉内俊哉投手」からも

激励のサインボールが届くなど支援の輪は全国に広がり、

10月21日現在、その額は9000万円を突破。

そしてきょう、

よしき君は晴れてアメリカへ飛び立った。

 

http://yoshikikun.blog133.fc2.com/#entry-97

 

 

「本当に有難うございました。テレビの力は凄いです。

 よしき君、今頃、ちょうど飛行機の中ですよ」

 

深々と頭を垂れる大男、末次峰明。

 

今シーズン、ホームラン王は逃したが、

打球に込めた熱い思いは、

美しい放物線を描き、

まもなく海の向こうに届こうとしている。

 

s-末次2.jpg

(全力疾走の末次選手)

 

 

 

2010年10月12日(火)

その背中に・・・

 

てくてく。

スタスタ。

トボトボ。

パッパッ。

だらだら。

ゆっくり。

そろりそろり。

 

黙々と―

 

「歩く」

 

 

話しながら

泣きながら

笑いながら

怒りながら

思い出しながら

 

忘れようと―

 

また「歩く」

 

s-ルミナリエ2.jpg 

 

彼のために

彼女のために

あいつのために

見知らぬ誰かのために

 

自分のために―

 

さらに「歩く」

 

 

祈りながら

願いながら

後悔しながら

 

感謝しながら―

 

 

「がん」と真正面から向き合った心の波は途絶えることなく

 

「HOPE」のゆらぎを瞼にしまい朝を迎えた。

 

 

 s-ルミナリエ1.jpg

 

 

 

ひとりだけど、ひとりじゃない・・・

 

 

 

そして24時間が過ぎ、

 

心の中に「希望の灯」がともった―

 

 

「リレー・フォー・ライフ」

 

   その「背中」に勇気をもらい

 

       きょうも、また「一歩」。

 

 

2010年9月 9日(木)

一足早く?独立リーグの秋

本当に次ぎの季節がやってくるのだろうか―

 

と思っていたら台風で猛暑も一息。

少しだけ「秋」について思いを巡らせていると、やはり始まった。

今年は岩村明憲選手から。パイレーツを解雇され新たな人生が始まった。

秋は野球界の「異動」の季節。人生の分かれ目が次々に現れる。

中でも注目の1日が「ドラフト会議」だ。

 

プロ野球選手になりたい―

24時間フルに考えていたとしても

その夢を実現できるのは、本当に一握りの「運」を持った者だ。

実力だけではないことは、「2005年」以降の経験でよく分かる。

 

「愛媛マンダリンパイレーツ」から十分学ばせていただいた。

 

今年はどうだろうか。

そんな思いで今治球場を訪れたのは今月5日。

香川オリーブガイナーズとの首位攻防とあって

約950人のファンがスタンドを埋めた。

でも、試合開始の午後1時、気温は・・・

よく知らないがとにかく死ぬほど暑い。

 

それでも950人だ。

 

s-スコア.jpg

 

親子に、女子に、おじいさんにおばあさんに、

そして相変わらず元気ハツラツの愛勇会の皆さんに、

香川から駆けつけた応援団に・・・そうそうOBの「桧垣浩太さん」に。

死ぬほど暑いけど、みんな心から応援を楽しんでいらっしゃる。

 

この試合前半は首位攻防にふさわしく1点を争うシーソーゲーム。

力と力の真っ向勝負はスタンドを一層ヒートアップさせた。

中盤以降はホームラン7発をかっ飛ばした香川の

ワンサイドゲームへと移行していったが

一喜一憂する両軍のファンの様子をレンズ越しに眺めていると

「ドラフト」なんかどうでも良く思えてくる。

 

6年目のシーズンも最終盤を迎えているが

このリーグ、そしてこの県民球団の「存在意義」は全く色褪せていない。

十分、地域を元気にしていると思う。

 

でも選手が頑張っている理由は、「ドラフト」にかかるため・・・

 

独立リーグがゴールではない・・・はずであるが。

 

 

ああ、独立リーグの「秋」がいよいよ深まってくる。

2010年8月30日(月)

変わらないのは・・・

東京六大学野球連盟85年の歴史上初めてのオールスターゲーム。

2010年8月28日、松山市の坊っちゃんスタジアムは

1万3500人のファンが詰め掛けた。

 

s-スタンド.jpg 

 

東京六大学野球の魅力と愛媛松山の野球熱のなせる業か―。

 

ちなみに2002年には

プロ野球のオールスターゲームを経験している松山。

その違いは百も承知している。

 

それでもプロ野球のフランチャイズでない町だからこそ

市民の野球を見る目は各カテゴリー別に細かく、そして優しい。

 

坊っちゃんスタジアムには、

小、中、高校、大学、社会人、独立リーグ、プロ野球、

さらには女子野球のクラブチーム、日本代表、そして海外チームと

ありとあらゆる野球チームが訪れる。

 

その様子をNHK、民放4局、ケーブルTV、FM局、

さらに新聞、雑誌、専門誌など

必ずどこかのマスコミがほぼ確実に取材し、

映像で、活字で広く県民に伝えられていく。

そんな県はめったにない。

 

s-スコアボード.jpg 

 

慶応、立教、法政の「チーム坊っちゃん」。

早稲田、明治、東京の「チームマドンナ」。

 

もちろんこの試合は興行だ。

選手も「楽しみたい」を連発する。

應武監督も「初めてのことなので」と苦笑いで戸惑いを隠さない。

 

しかしそんな中、「2人」だけは違った。

 

早稲田の「福井優也」と「宇高幸治」。

 

「成長したところを見て欲しい」と宇高。

「落ち着いたなというところを見て欲しい」と福井。

 

しかし地元ファンはそんなこと、

「頼まれなくても」見に来ている。

ただ、ニュアンスが少し違う。

 

「成長したところ」を見にきたのではない。

「成長したかどうか」を見にきている。

 その目はとってもシビアなのである。

ただそれが愛媛の野球の楽しみ方であり、熱である。

 

s-福井歩く.jpg 

 

それにしても、2人の人気は衰えない。

逆にうなぎのぼりだ。

 

済美福井が選抜初優勝、夏準優勝したのが2004年。

3年のドラフトで巨人に指名されながらも結局進学。

 

また今治西、宇高が後輩の熊代を率いての甲子園3回戦が2006年。

 

みんなきのうの事のようだと言う。

 

s-試合前.jpg 

 

そしてこの日、チームマドンナの先発は福井。

やはり福井には先発が似合う。

 

そしてこの荒れ球!

高めに外れ、胸元をえぐり、しばらくはそんな感じ。

ただ、調子が悪いわけでは全く無い。

見誤ってはいけない。

スライダーで簡単に2ストライクだ。

しかも投球テンポが異常に早い。

ちぎっては投げ、ちぎって投げ・・・

 

1回、フォアボールのランナーに続いて

法政の多木にタイムリーを打たれた。

ただそれも含めて福井にはウオーミングアップだ。

最後まで1人で投げきる。

全試合投げきる。

それが福井だ。

 

尻上がりに調子は上がっていく。

どんどん球速も上がる。

出た、148キロ。

 

本質は何も変わってない―。

ただ、調子を整えるまでの時間が短縮されたか。

 

結局、福井は3回を投げ2安打1失点で投了。上々の内容だ。

 

「力を入れ過ぎてしまいました。

 楽に投げれば、楽に抑えられるということがあらためて分かりました」

 

「スタジアムに名前がコールされた時、

 歓声が大きくなったので嬉しかったです」

 

「先のことは考えずに、リーグ戦に臨みたいです」

 

そして最後に―

 

「できれば、行きたいです」。

 

胸に秘めた思いはひとつ。

 

福井優也。

 

あの日と何も変わっていない―

2010年8月12日(木)

カウントダウン

夏休みだから「日記」。

 

また寝室の温度調節がうまくいかず

暑さで目が覚める。寝不足気味。

 

午前8時。アサガオを見にアイテムえひめへ。

ただのアサガオではない。

「宇宙アサガオ」だ。

 

でも見た目は普通・・・よりも立派なアサガオだ。

種は宇宙で9ヶ月間過ごしたという。

 

この秋できる2代目の種を来年植えると、

突然変異が起きる可能性があるという。

どうなるかは全く見当もつかないらしい。

花が大きくなるか、模様ができるのか。

肉食系植物に変わり、地球上の生態系に変化が生じ・・・

そんなことは無いでしょうが。

 

日本宇宙少年団の松山分団の子供たちもいた。

 

「5、4、3、2、1・・・はい、おはようございます!」

 

副団長の説明は自らのカウントダウンで始まった。

 

 

午後、マドンナスタジアム。

炎天下、野球だ。試合をしている。

揃いのTシャツを着た応援団もいる。

公式戦だ。

聞けば高校野球の新人大会。

 

甲子園は一握り。

一方、全国約4000校では次ぎへ動き出している。

負けて強くなれ。

 

8月12日。お盆前。

しかし国道を車で走ってもあまり空気の変化は感じない。

いや、自分の気持ちの持ち方か・・・。

空港は帰省客で賑わっている。

 

「5秒前、4、3、2、1・・・キュー」

 

きょうもカウントダウンでニュースが始まった。

本日私は送出担当。

 

冷房の効いた部屋で

いつものように汗をかく・・・

2010年7月27日(火)

だって高校野球だから!

s-2010夏野球.jpg

(2010 夏)

 

 

「この猛暑 球場でなければ 耐えられず」

 

 

今、全国で続々と甲子園出場校が決まっていますね。

愛媛もいよいよ明日が決勝戦です。

 

今年の大会は本当に灼熱の太陽との戦いでした。

選手はもちろんスタンドも

まさに気を抜けない状態で戦ったことでしょう。

 

でもどれだけ暑くても

 

「高校野球だから耐えられた」

 

そんな感覚、ありませんか。

 

なぜでしょうね・・・

 

声を枯らして2時間応援歌を歌い続けた人も、

手拍子を叩き続けて手が腫れた人も、

観戦に誘った彼女が暑さに負けないよう気を使い続けた人も、

試合中、暑くて団扇を1000回振った人も、

焼けたベンチの暑さに耐えた人も、

営業サボって駆けつけたからYシャツを脱ぐわけにいかない人も、

汗をダラダラ流しながらも笑顔を絶やさぬ売り子さんも・・・

 

今、目の前で白球を追っている選手たちが

本当に輝いて見えるから、

頑張れたのかもしれませんね。

 

 

幅43センチのホームベース上をめがけ

18.44メートル先から投じられた

直径7センチあまりの丸いボールを丸いバットで打つ。

 

その不確定要素の宝庫、ベースボールだからこそ、

私より丁度100年早く生まれたあの御方も

のめりこまれたのでしょうね。

 

「今やかの 三つのベースに人満ちて

そぞろに胸のうち騒ぐかな」

        正岡子規

 

いよいよあすは愛媛大会決勝戦。

 

やればできるか、牛鬼か―

 

勝機一瞬

 

 

 

 

2010年6月16日(水)

ワールドカップとは

s-ワールドカップ.jpg

(我が家も開幕)

午後8時。ノイズにしか思えなかったブブゼラの音が今や心地よい。

これで5日目。

午後8時、午後11時で2試合というサイクルが続いている。

FIFAワールドカップ南アフリカ。

テレビ観戦は10試合に上った。(途中記憶がない時も多々あるが)

 

 

●開幕戦グループA 南アフリカ1-1メキシコ

 

メキシコが圧倒的にボールを支配する前評判どおりの展開だったが

カウンター一発で南アフリカが先制。

「チャバララ」の名がブブゼラの猛烈なノイズに溶け込み

サッカーの世界的祭典は幕を開けた。

 

 

●グループB 韓国2-0ギリシャ

 

韓国楽勝。それでもプレーはユルい。

大黒柱、パク・チソンは余裕ありあり。

ギリシャのスローなサッカーに付き合った感じで

なかなか尻に火がつかない感じ。

逆に日本戦での気合はやはり別物だと確信した。

それでも中盤のプレッシングなどは日本にとって参考になる。

前半7分 韓国先制。イ・ジョンスは鹿島アントラーズ所属。

今大会Jリーガー初ゴールとなる。

今やアジアの雄、韓国がここでアジア勢を乗せた。

 

 

●グループB アルゼンチン1-0ナイジェリア

 

ブブゼラの音が突然止まった。

メッシがシュートを放った瞬間、スタジアムはどよめきに包まれた。

そんなことが8回繰り返された。

眠くなる間もなかった。

 

 

●Dグループ ガーナ1-0セルビア

 

通訳北島さん(愛媛FC)、残念でした。

私も応援しました。

旧ユーゴ時代を除き、セルビアとして初勝利を目指したこの試合。

同じバルカン半島のスロベニア勝利の直後だったが甘くはなかった。

フリーキックでのサインプレーなど練習を実行に移す勇気を持つ

セルビア。

しかし「ガーナDFのたくましさ」はセルビアを苦しめ、

流れはかわらずダークホースは初戦を落とした。

 

 

●グループE 日本1-0カメルーン

 

そして日本が勝った。

ワールドカップはFIFAランキングの確認ではなく

「強いチーム」を決める大会だ。

得意な戦術、個々の能力、ランキングなど

戦力を推し量る材料はいくらもあるが、

その基盤の上でその一戦にどんな作戦で臨むかが

最も問われるのだろう。

「強さ」=「勝つ方法の周知徹底度合い」なのかもしれない。

 

 

2010年6月 2日(水)

復活の兆し

「やかましいんや!わからんのか!」

 

見るとそこには50歳代ぐらいの男性。

サンダル履きからしてもご近所の方だろう。

 

「申し訳ありません」

 

そう返事をしたのは1人の監督。

 

某高校の硬式野球部の練習を見学していた時のことだ。

時刻は午後8時50分。

練習も終了間際、選手全員が声を合わせて

グラウンドを周回していたのが引き金となったのだろう。

 

監督に聞けば、町内会との話し合いで

午後9時までは、許容範囲として折り合いはついているとのこと。

直接グラウンドに来てのクレームは初めてということで、

男性もこの日は、余程虫の居所が悪かったのかもしれない。

 

だが、この野球部は曲がりなりにも県内屈指の伝統校の1つ。

選手が声を合わせてグラウンドを周回するなど

今に始まったことではない。

居合わせた私も、正直この程度で?と首をかしげるほどだった。

誤解を恐れずに言えば、この高校の近くに居を構えるということは

その声も覚悟の上ではなかろうかと。

 

「すいませんでした!」

 

直後、選手たちが声を揃えてその男性に謝罪した。

しかしその様子は不憫でならず、正直憤りさえ覚えたが

その一方で・・・ふと思った。

 

もしかするとこれは

『いかにチームが低迷していたか』の表れなのかもしれないと。

 

2つ考えられる。

午後8時50分まで練習をすることなど最近は無かったか。

または、最近は苦情を受けるほどの「声量」ではなかったか。

 

やっと苦情が来るようになった―

 

どちらにしても、夏は近い。

選手の声量は日に日に上がり、

練習時間も遅くなっていくだろう。

 

苦情に訪れた男性との戦いは続くかもしれない。

しかしそれこそが、「伝統校復活」の確かな手応えと考えたい。

 

s-空.jpg

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