高橋浩由の「スポーツ素敵に隠し味」

2012年8月 4日(土)

「疑問」は「感動」

「どうやったら こういう着地ができるんでしょうか」

 

金メダルに輝いた内村航平選手の「跳馬」の着地が

ピタッと決まった直後、

実況アナウンサーが思わず漏らした言葉...

 

共感した。

そういう言葉なんだと思う、響くのは。

 

 

1964年東京オリンピック。

体操の団体と「跳馬」で金メダルに輝いた宇和島東高校出身、松田治広さん。

旧姓「ヤマシタ」。

そう、あの「ヤマシタ跳び」の山下さんに

96年アトランタオリンピック直前、

愛媛を代表するメダリストとしてインタビューをさせていただいた。

 

今でも覚えている。

松田さんが体操を始めたきっかけを話してくださった時の話。

 

後に自分も進むことになる日体大の選手の演技を

目の当たりにして

 

「な~んであんなことが出来るんだろう

  ど~やったらあんなことが出来るんだろう」

 

栄光へのストーリーの全てはそこから始まったという。

その思い出話を語っている時の松田さん。

本当に目がキラキラ輝いていた。

 

体の底から沸きあがって来る思いは

決して難しい言葉ではない。

内村選手の演技と実況アナウンサーの言葉を聴いて

16年前のそんな出来事を思い出していた。

 

***************************

 

思わず口をついた心の叫び・・・

 

頭を巡らせていると・・・

自分にもあった!

しかもこの夏。

 

s-決勝戦 あいさつ.jpg

 

 

「えっ、もう交代?」

 

これだ。

今治西 対 川之江の決勝戦。

1回表、川之江の攻撃、1アウト3塁、2ボール。

今治西の大野康哉監督は、

先発「伊藤」を2番手「中内」に交代させた。

 

「伊藤」といえば小松戦で9回1アウトまでノーヒットノーラン、

西条戦では延長11回無失点完投するなど

この夏、ノーシードの今治西の快進撃を支えた重要人物の1人だ。

 

しかし、プレーボールからわずか9球。

大野監督は前日の準決勝から連投の伊藤を変えた。

 

試合前、大野監督は報道陣に語っている。

「先発はもちろん伊藤です。これまでの流れもありますし」

 

ただ、こうも断言していた。

「もちろんきょうも継投が前提です」

とはいえ、わずか9球で・・・

 

結局、リリーフ登板した中内は

MAX141キロの球威を武器にロングリリーフに成功。

大野監督の起用に見事に結果で応え、優勝投手になった。

 

 

s-優勝 今治西.jpg

 

「な~んでそんな決断ができたんだろう

  ど~したらそんな決断ができるんだろう」

 

 

「疑問」は「感動」につながり、

「感動」は「行動」につながり

「行動」は「栄光」へとつながる・・・のかも。

2012年7月28日(土)

「148キロ」に始まる安楽伝説

ずっと「荒木大輔」を思い出していた。

 

早稲田実業の1年生エースとして、

1980年夏の甲子園で準優勝に輝くと、

その後、2年の春夏、3年の春夏と5期連続で甲子園に出場。

元祖「ダイスケ」は社会現象だった。

 

もしかすると、そんなことになるのでは・・・

目の前で躍動する「巨漢」に胸がさわいだ。

 

 

s-安楽 試合前.jpg 

 

 

済美高校 背番号18 「安楽智大」投手 1年生。

 

うなりをあげる剛速球。

銀屋根がない坊っちゃんスタジアムでも響き渡る

ミットを叩く重い音。

加えて、タイミング取りづらさ満点の「球持ち」のいいフォーム。

 

そして、最も印象的なのは投球前に見せる「直立不動の立ち姿」。

一切の雑念を排除した「素直さ」は、

相手にとってはとてつもなく脅威に映るだろう。

 

 

s-安楽 直立不動.jpg 

 

 

とにかく「148キロ」なのである。

 

夏の高校野球愛媛大会 準決勝

済美 対 今治西

 

試合は1対2、済美1点ビハインドで迎えた5回、

今治西の2番中西を迎えると、

141キロ、144キロでストライク2。

そして3球目、中西は見逃し三振。

スコアボードには「148」。

 

スタンドから湧き上がるどよめき。

結局、安楽投手はこの回を「3者連続三振」に切って取った。

 

 

s-安楽 投げる.jpg 

 

 

どれだけの「才能」なのか見極めたい。

そのための舞台を用意してみたい。

敵味方はあるが、そんな欲求がスタンドに渦巻いているのが

手に取るようにわかる。

 

すると、そんな空気を読みきったのが済美のキャッチャー八塚。

マウンドに歩み寄ると、

一言で、この若き才能を解放させた。

 

「お前の思うとおり、どんどん楽しんで投げろ」

 

4月の入学時から自分がブルペンに入るときは

必ず相手を務めてくれた「八塚さん」の一言に

1年生投手は燃えた。

 

8回ウラ、今治西の攻撃は3番からのクリーンアップ。

1対3の2点ビハインド、1点もやれない状況だ。

 

しかしこのあと・・・

3塁側の応援団は「右から左へ」。

1塁側の応援団は「左から右へ」。

バックネット裏の高校野球ファンは「下から上へ」

「安楽」の投球とスコアボードの間で激しく首を振ることになる。

 

まず3番笠崎をセカンドゴロに仕留めると、

4番末廣には、「141」、「142」、「146」でフルカウント。

最後は143キロのストレートで空振りの三振。

 

そして5番中内に対し、初球「147キロ」

どよめくスタンド。

 

2球目「145キロ」

8回まできてこの球速か・・・

 

3球目「147キロ」

これは出るぞ・・・

 

そして1ボール2ストライクと追い込んで

次ぎの4球目。

 

「甲子園にどうしても行きたかった」

 

唸りを上げる真っ向勝負のストレートが

スコアボードに刻んだ数字は「148」。

 

「ファンの期待に応える」とは

こういうことと言わんばかりの「130球」。

 

結局試合には敗れたが

安楽投手は記憶と記録に残る鮮烈なデビューを飾り

最初の夏を終えた。

 

準決勝第2試合 坊っちゃんスタジアム

今治西3-2済美

 

s-あすは決勝.jpg

 

あすは決勝。

川之江 対 今治西

2012年夏、愛媛59校の頂点が決まる。

 

 

2012年7月25日(水)

小松中野と今西伊藤 

挨拶後、そこにいる選手達は

まるで同じチームのようだった。

 

 

s-今西vs小松.jpg 

 

 

 

第3シード小松 対 今治西。

 

元今治西の名将」と「県内屈指の鬼軍曹」の対決。

「秋の覇者」 対 「去年夏の覇者」

 

そして、同じ「クリーム色のユニフォーム」

見所満載だ。

 

しかしまさかスコアボードまで

上下同じ「0」行進になるとは想定外。

 

 

小松のエース「中野涼介」。

 

「コントロールには自信があります」

 

スパッと言い切る潔さ。

この試合でも、5回まで緩急自在、横幅一杯、

なんでもござれのピッチングで3安打無失点。

とても心地よい。

 

しかし、今西の背番号10、サウスポーの「伊藤優作」。

中野を上回った。

 

まずは5回までを「ノーヒットノーラン」

 

左から大きく割れるカーブ。

待てばストライク。

叩いていくしかない。

でも叩けない。

三振は5回までで7個を数えた。

 

両投手は、7回以降も

まるで共同作業のように

スコアボードに「0」を連ねた。

 

ただし例外が1つ―

 

6回ウラ、今治西は1アウト後、1番西森が内野安打で出塁。

2番渡部が送りバントを1球で決め、2アウト2塁。

 

3番笠崎。

3球続けてファウルの後、1球ボールで1ボール2ストライク。

そして小松中野が投じた5球目は、鋭く胸元を突いた。

 

しかし笠崎は、体軸の素早い回旋運動によって

バットのヘッドを見事に返し、

打球は小松のファースト宇都宮のミット数十センチ先、

1塁線をあっという間に切り裂いた。

これで1点。

 

配球の読み勝ち・・・さすがは今西の3番...

そう思った。

 

「体が勝手に反応しました」

 

これが本音らしい。

 

さらにランナー3塁で今治西は4番末廣。

カウント2-2のあとの5球目。

 

中野の投球は「ワンバウンド」。

結果は「ワイルドピッチ」

 

しかしその「ワンバウンド」と「ワイルドピッチ」は

因果関係にあるかといえば、

そうでもない所が凄い。

 

つまり「計算どおりのワンバウンド」。

 

やはり「結果」と「事実」は必ずしも同じではないことを

あらためて思い知らされる。

 

いずれにしても、今西は2点をもぎとり

これが決勝点になった。

 

そして、今西の伊藤。

 

9回表1アウトから

小松の2番尾野にヒットを許し

ノーヒットノーランの夢は潰えた。

 

それでも、9回2安打無失点で完封勝利。

 

「好投できたのはみんなのお陰。感謝です」

 

短い言葉に充実感を込めた。

 

 

 

夏の高校野球愛媛大会3回戦

 

小 松 000 000 000 計0

今治西 000 002 00× 計2

 

今治西2-0小松(第3シード)

 

 

2012年7月23日(月)

「象徴」  ~2012夏 混戦の愛媛~

拍子抜けするほどロッカールームは静かだった。

とても第1シードを破る金星をあげた直後とは思えない。

選手達は全く浮かれることなく、粛々とバッグや道具を片付けていた。

 

約10分前。

宇和島東を破った丹原。

2時間22分の試合は4対0。

第1シードに何もさせなかった。

 

現実を受け入れられず

崩れ落ちるように座り込む牛鬼ナイン。

まさかの「初戦敗退劇」だった。

 

 

s-宇和島東ナイン.jpg 

 

一方、勝利の立役者は、小笠原嵩投手。

2年生のサウスポーだ。

見事な、147球5安打完封劇。

 

なぜ?

 

いくつかのポイントが浮かんでくる。

最たるものは、打者の外角低めを丁寧に突くピッチング。

こだわりと精度は高校生レベルを越える。

 

そしてもうひとつのポイントは、

「点を取ったら点をやらない」

 

2点目をあげた直後の3回ウラ、

小笠原投手は宇和島東のクリーンアップを三者凡退。

 

また中盤6回、味方が2点を追加した直後の6回ウラも、

ランナーを2塁に背負いはするが無失点。

 

加えれば、7回表、宇和島東のエース中川が

リリーフ登板しビシッと3人斬りした直後の7回ウラも

宇和島東の1番2番3番を三者凡退。

流れが傾く隙を全く与えなかった。

 

夏をきっかけに大きく成長していく選手は必ずいる。

小笠原嵩投手。

まだ2年生。

要注目投手の登場だ。

 

2回戦 丹原4-0宇和島東(第1シード)

 

s-丹原ナイン.jpg

(スタンドに金星の報告をする丹原ナイン)

 

 

 

 

2012年7月17日(火)

「動の仕掛け」と「静の仕掛け」

「流れが変わる時」

 

 

それが受動的要因よりも能動的要因であれば、

最後の結果がどちらになっても

現場にはとても清清しい風が吹く。

 

今治球場の第1試合。

今治西vs松山東。

 

2対2の同点迎えた7回ウラ、

1アウト後、「1番池内」は

この試合3本目のセンター前ヒットで出塁。

 

大事にしなければならないランナー。

しかし「俊足」の池内。

 

勝ち越しのランナーが1塁と2塁では

そのプレッシャーのかかり具合は全く違う。

ましてや快足の「池内」なら、ワンヒットで1点。

 

ここは即、スチール・・・と思った。

 

ところが今治西の大野監督は2-2まで待った。

池内が走ったのは5球目。

結局2塁を陥れる。

 

つまり、快足池内を1塁から動かさないことで

逆に、松山東マウンド露口の打者への意識を散漫にさせ、

カウントを「フルカウント」に導いた。

まさに大野監督の「仕掛け」。

 

そして結果的に、2番檜垣はヒッティングに集中でき、

次ぎの6球目、高めのストレートをライトスタンドへ。

これが決勝の2ランホームランになった。

 

 

******************************

 

 

勝つために、

自分たちの長所を出すか。

相手の長所を消すか。

 

今治西の2番手、サウスポーの伊藤。

得意な球は大きなカーブ。

 

2点ビハインドの松山東は8回1アウト後、

1番由井がレフト前ヒット。

球種はカーブ。

 

ここで、代打が送られた。

打席は1年生の村上。

 

初球、村上はカーブを見送った。平然と。

ストライク。

これを今西のキャッチャー曽我部はどう見たか。

 

そして2球目はカーブだった。

結果はレフト前ヒット。

 

「まだ東高の1年生」だが、

初球の見送りはまさに村上の仕掛け―。

相手の最も自信のあるボールを叩くための伏線。

中学時代、四国大会優勝チームのキャプテン。

さすがの一振りである。

 

そしてランナー1塁3塁とチャンスは広がり、

3番青柳のタイムリーヒットを呼び込み

1点差に詰め寄ることになった。

 

願わくば「タラ、レバ」の世界になってしまうが

青柳のタイムリー以降、

村上が3塁に達していれば、

この試合ノーヒットの4番戎田に出せる

「サイン」の選択肢は増えただろう。

 

流れを変える「動の仕掛け」と「静の仕掛け」

目に見えないものこそ見落とせない。

 

 

 

■今治球場 1回戦   今治西4-3松山東 2時間11分

2012年7月12日(木)

「エース」とはなにか

 

「エース」は1人。

 

その重みを

今、「エース」と呼ばれる投手たちは

どう感じているのだろうか。

 

かつてエースといえば「先発完投型」が鉄則。

今や、「先発」、「中継ぎ」、「抑え」の継投が常識。

役割をきっちりこなすことが重要視される。

 

今や分析技術は業界を超えて進化し、

投手はあっという間に丸裸。

そんなご時勢に9回を投げきるのは至難の業だ。

 

ただ、チームが負けても防御率がいい投手。

防御率が悪くても勝ちきる投手。

どちらが魅力的だろう。

 

マウンドにあがる以上「勝利」に飢えていてほしい。

こだわるべきは「防御率」ではなく「勝ち星」であってほしい。

何点とられてもあきらめず、背中で野手を奮い立たせ、

終わってみれば、相手よりも1点だけ多い。

 

そんな「エースのいる野球」には「人となり」がにじみ出てくる。

ファンはそんな「人間臭い」野球を懐かしんでいる。

 

 

夏を前に1本の映画を東京・有楽町で見た。

 

「ライバル伝説 光と影」

  禁断の巨人エース争い 江川卓×西本聖

   「いつも、お前が憎かった」

 

s-ライバル伝説.jpg

 

TBSが番組を再編集し未公開シーンをふんだんに織り交ぜ劇場公開。

怪物江川が作新学院から「空白の1日」を経て巨人に入団。

その時、松山商業からドラフト外で巨人入りした西本は5年目。

ようやくローテーション入りにこぎつけた時期だけに

江川はその地位を脅かす存在になった。

 

互いが投げる試合を見ながら

「打たれろ!負けろ!」と

心の中で叫び続けていたという2人。

 

今まで一度も腹を割って話したことのない

「人生最大のライバル」の2人が

再会を果たす。

そこで2人は互いに何を語るのか。

 

(映画紹介文を参考)

 

野球が本当に輝いていたあの日を思い、

野球を再び輝かせたいと思う皆様に

おすすめします!

 

 

 

 

2012年6月20日(水)

最後に笑うために・・・

 

先週末、四国高校ラグビー選手権大会が

久万高原ラグビー場で開かれた。

 

愛媛からは県大会優勝の北条がAブロックに出場。

決勝で、徳島王者の貞光工業と対戦した。

 

でかい。

貞光の第一印象だ。

データを見る。

北条、76.4キロ

貞光、87.6キロ、その差11.2キロ!

大きな相手に、どう戦うか。

まさに花園1回戦のシミュレーションだ。

s-北条4.jpg

前半 3分、貞光がFW力で先制トライ。ゴール成功   北条 0-7貞光工

前半 5分、北条がBK展開でトライ。           北条 5-7貞光工

前半10分、貞光がスクラムから№8が飛び出しトライ  北条 5-12貞光工

前半14分、北条がキックパスでウイングを走らせトライ 北条10-12貞光工

前半31分 北条がゴール前ラックから右に繋いでトライ 北条17-12貞光工

 

まさにノーガードの打ち合い―

s-北条3.jpg

 

北条は前半終了間際に逆転トライ。

5点をリードして折り返せば、

後半8分にも、BK展開からトライ。北条22-12貞光工

試合は決まったかに見えた。

 

s-北条2.jpg

 

しかし―

貞光工は「柔軟な固まり」になって

ゆっくりと北条陣内をゴールへの最短距離で歩み始めると

後半18分、ゴール前のラックからサイドアタックで中央トライ。ゴール成功

北条22-19貞光工 3点差。

 

さらに終了目前、貞光工は

再び敵陣深く歩みを進めると、最後はサイドを突いて逆転のトライ。ゴール成功。

そしてノーサイド。

 

北条22-26貞光工

 

s-北条1.jpg

 

こんな試合を毎年12月27日に見てきたような気がする。

ただ、6月にこれを経験できた北条。

 

ラスト10分で2トライ2ゴールを決めた貞光工。

派手さとも、格好よさとも無縁のアプローチ。

もしかすると本人たちも好きな攻撃スタイルではないかもしれない。

もっとBK展開で走り勝ってみたいのかもしれない。

 

ただ、少なくともこの日の貞光工の選手に「迷い」は微塵も感じられず、

「優勝する」というミッションを確実に遂行した。

チーム全員の思いの「最大公約数」でもある「勝利」を掴んだ。

 

「チーム作り」には段階がある。

理想のスタイルがあっても、そこに至るのに

中間を省略するわけにはいかない。

その試合の「テーマ」。

時には結果を捨てても、貫徹する必要がある。

 

そしてその「覚悟」は、

花園予選決勝の後半20分過ぎ、

きっとチームの「勇気」となって帰ってくるのではないだろうか。

 

 

2012年6月18日(月)

キャプテン村上

ロンドンオリンピック日本選手団の「キャプテン」に

男子やり投げの村上幸史選手が選ばれた。

 

日本がオリンピックに参加して丁度100年。

その節目のロンドン大会で村上は大役を任される。

 

村上選手は過去、2010年広州アジア大会で

日本選手団のキャプテンを務めていて、

その時、83m15の当時の自己ベストを更新して金メダルに輝くなど

「キャプテン」との相性は上々。

 

日本選手団の結団式、そしてロンドン五輪の開会式には

マストで参加しなければならないため、

JOCも選手選考に苦慮したようだ。

 

しかしここは大役を、メンタル的にプラスに捉え、

村上選手には、一気に「ロンドン五輪」の主役になってほしいと思う。

 

もちろんディーン元気選手に傾いた流れを

変えるきっかけになるのは間違いない。

 

全ては、「その一投」のために!

 

 

2012年5月11日(金)

しまなみ海道 東海岸周り

緑色濃い季節となりました。

先日、GWを利用して・・・というより

ポッと思いついて、しまなみ海道を流してきました。

もちろんチャリです。

 

5月5日こどもの日。

起床は7時。すでに寝坊・・・

 

予定では3時に起きて、4時には自宅を出て、

6時にはしまなみ海道の起点、サンライズ糸山を出発のはずでした。

 

それでも10分で準備して出発。

サンライズ糸山に8時半に着きました。

すると・・・

 

s-糸山混雑ぶり.jpg

 

ご覧の通り、レンタル自転車のカウンターは大行列。

さすがはサイクリストの聖地です。

 

そんな様子を横目にペダルに圧を加えれば、

来島海峡はきょうも絶景~。

深呼吸もいつも以上に深くなり、

たるんだ腹も、緩んだふくらはぎも

ビシッと引き締まる予感もしてくるってもんです。

 

s-来島大橋 スタート前.jpg

 

そして来島海峡大橋を渡りきり・・・

伯方島から大三島へ渡り・・・

 

 

s-大三島橋 GW.jpg

 

 

さらに多々羅大橋を渡って生口島へ。

振り返れば橋の向こうが多々羅公園、

手前の茂みはミカンの木です。

広島産になるわけですが。

 

 

s-多々良大橋GW.jpg 

 

そして生口島の西海岸を走っていると・・・

 

おじさんが「採れたてレモン」を売ってました。

 

 

s-採れたてレモン.jpg

 

皮ごと食べられました。

 

 

こんな感じでトロトロ走ってると

 

あっという間に因島の土生港に到着。

 

s-土生港 GW1.jpg

 

そして水路のような海をはさんで

向こう岸は生名島。

 

s-生名島 GW.jpg

 

ご存知、やり投げ村上幸史選手の故郷。

翌日のゴールデングランプリ川崎では

残念ながら2位でした・・・

 

 

小さな港ではありますが、

やはりここにも出会いと別れ・・・

 

 

s-石碑 GW.jpg

 

 

 

 

そして因島の土生港から乗船。

船はわりと便数もあって便利です。

 

s-フェリー GW.jpg

 

 

 

そしてこちらは

生名島と弓削島を結ぶ新しい橋。

s-生名橋 GW.jpg

 

生名と弓削が陸続きです。

そして船はしまなみ海道を右手に、

時々寄航しながら今治へ・・・

 

 

今治を発着点に出来るので

 

車で自転車運んでいる人も、

 輪行が大好きなあなたも

  船旅が好きな君も

 

とっても楽しめるルートですよ~

 

では・・・

2012年5月 2日(水)

武田大作選手 3つの山を乗り越えて・・・

『もう漕がない』と浦は言いました。

  『武田さんはオリンピック行ってください。

    僕はもういいですから』って。

 

目の前に「3つ目」の壁が現れた瞬間だった。

 

ボートの第一人者、愛媛のダイキ所属の「武田大作」38歳。

去年11月のアジア予選国内代表選考会では

日本協会の不可解な選考で「補欠」に回された武田。

 

「一番苦しかったのは年末頃でしたね」

絶対におかしいと思いつつも、レースは終わっている。

結果も出ている。

そして何よりも、内定をもらった別の2選手はさらに練習を積み、

相棒となるであろう「浦選手」の気持ちは完全に切れかかっている。

自分も練習は続けていても気持ちはもうギリギリの状態だった。

 

それでも武田は、家族や会社関係者をはじめ、知人友人、さらには

長年練習してきた梅津寺海岸での馴染みのおじいちゃん、おばあちゃんまでもが

「支えてくれた」ことで、スポーツ仲裁機構に申し立てを決行する。

 

「強い者がオリンピックに行くべきだ」

 

その強い信念は実を結び、

その後別の2選手の「内定」は撤回された。

 

そして迎えた4月6日。

埼玉県戸田市の漕艇場で行われた

アジア予選日本代表選考会の「再レース」。

 

s-戸田漕艇場.jpg 

 

 

コースはいつもと同じ、2000メートル。

しかし、競い合っているのは2艇の4人だけ。

大会の時のような横断幕や旗もなければ派手な装飾もない。

 

ところが、コース両岸からは

悲鳴のような声援が4人に注がれていた―

 

「行け~ タケダせんぱ~い」

「ガンバレ浦さ~ん」

 

その声は2000メートルに渡って途切れない。

先輩も後輩もいただろう。

ボート関係者のOBもいたのかもしれない。

目の前を通過する2艇のクルーに思いの丈をぶつけ続ける。

 

それは、「スポーツの健全性」を守るために立ち上がった

一人の男に対する称賛の念と、

その思いに異議を唱えることも無く「再レース」を飲んだ

「内定を取り消された」2人の清々しさに救われた

感謝の念だったかもしれない。

 

再レースは終わり、武田・浦ペアは勝った。

 

1レース目 武田・浦組  6分38秒04

      須田・西村組 6分38秒53

 

2レース目 武田・浦組  6分29秒29

      須田・西村組 6分30秒19

 

いずれもタイム差は1秒以下。

接戦だった。

これが武田にとって「2つ目」の山・・・

 

 

そして「3つ目」の山。

それは、キレかけている「浦選手」の

「オリンピックへの情熱」を思い出させることだった。

 

「4月6日のレースはやりますが、それ以降はいいです。

 武田さんはオリンピックに行ってください」

 

 

しかし武田は「4年前」の記憶を1つづつ手繰り寄せ、

「あの日の北京」の悔しさを、浦の心にもう一度思い出させていった。

 

「北京の惨敗をお前は納得しているのか」

 

あの日、浦は原因不明の喘息に見舞われ、

コンディション作りに失敗していた。

 

「お前しかいないんだ。まだレースがあるぞ。

  我々が速かったということを証明しよう。

   競技選手としてもう一度、勝負をしようじゃないか」

 

そして武田は言った。

「俺はお前を信頼している」

 

 

s-戸田漕艇場2.jpg

 

4月26日、韓国で開幕した

ロンドンオリンピックアジア予選。

 

武田・浦組は

1回戦、準決勝をトップタイムで通過すると、

29日の決勝戦では2位艇に6秒差をつけての圧勝。

見事、ロンドンオリンピックの日本代表の座を掴み取った。

 

帰国後、松山空港での会見で

武田はこう締めくくった。

 

「2度とこういうことが日本のスポーツ界でおきて欲しくない。

  なぜなら、スポーツは素晴らしいものですから」

アナウンサールームトップに戻る

プロフィール

最近の記事

月別アーカイブ

2022年
2021年
2020年
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
2010年
2009年
2008年