高橋浩由の「スポーツ素敵に隠し味」

2011年10月13日(木)

快挙の12時間後―

「カップまで何ヤード?はい、歩測して!」

 

早朝の北条CCの練習グリーン。

知人のご子息にパターのアドバイスを送るのは

松山幹男さん。

 

かつては日本アマ、そして国体にも出場した

愛媛のトップアマだ。

 

「左足を引いて、膝は揃えて・・・」

 

ゴルフで大きな夢を見るその瞳に応えるように

丁寧にアドバイスを送っては

スイングを繰り返すそのジュニア世代の姿に、

幹男さんは、ある人物を重ねる。

 

それは、今から10年前の息子の姿―

 

「松山英樹」。

 

この1時間前、幹男さんはクラブハウスで静かに

「きのう」の快挙を振り返った。

 

「2日目を我慢できたことが一番大きかったです。

 それでもアンダーパーでしたからね」

 

9月29日。

シンガポールで行われた「アジアアマチュア選手権」。

 

去年、この試合で初出場初優勝を果たした松山英樹は

舞い込んだマスターズの切符を手にオーガスタに乗り込み、

ローアマに輝き、表彰式でシルバーカップを手にした。

 

「あの場所に絶対戻りたい」

 

ディフェンヂィングチャンピオンとして臨んだ今年、

松山は初日5アンダー2位タイと好スタートを切るも

2日目は1アンダーと足踏みする。

 

しかしここで我慢できたことが逆に功を奏し、

3日目、7アンダーと爆発。1打差で2位に浮上。

そして最終日、終盤、韓国のイ・スミンの猛追を受けたが

結局5アンダー、最後は1打差でねじ伏せ、

通算18アンダーで優勝。

ラスト2日を気合のノーボギーで2連覇を達成し

2年連続マスターズ出場権を獲得した。

 

 

 s-111004_1513~0001.jpg

 

 

その12時間後―

 

「英樹もね、ここで色んなことして、朝から晩まで遊んどったよ」

 

北条CCのコース脇にある小さな練習グリーン。

その周りに生えている木々、くぼみ、草、斜面・・・

全てがマスターズへ繋がった。

 

「そうそう、いい感じで来てる」

 

また半年後、時差と戦う大変な4日間がやってくる。

2011年09月28日(水)

武道必修化前夜・・・

「礼」の正しいやり方を知っていますか。

 

立った状態での「礼」は...

まず、かかとをつけてつま先を45度開き、両手の平は体側に。

続いて両手をももの上に乗せ、

そのまま膝頭の上、握りこぶし1つ分の所まで自然に下げる。

それが上体を約30度曲げた形となる。

この間1秒。

そして2秒静止。

さらに1秒で元の姿勢に戻る。

合計4秒で礼を終える。

 

では座った姿勢での「礼」は...

その前に、立った姿勢から、

まず左足を引き、片膝を立て、続いて右足を引いて膝を立て、

立て爪からひら爪に切り換えて

つま先親指を重ね、最後にでん部を静かに乗せる。

両膝は握りこぶし2つ分。女性はその限りでない。

そして両手をももの付け根の位置に置く。

 

ここからまず、両膝の前方に

左手、右手の順に、両手をおにぎりの形を作るように置き、

頭を肩と同じ高さに、または床から30センチの高さになるまで下げる。

 

(・・・と記憶をたよりに書いたので不備ある場合はすいません)

 

そんな話から始まったのが

先日、県が愛媛県武道館で開いた

「武道、ダンス指導研修会」の中の柔道の実技講習でした。

 

講師は、濱田初幸さん。

そう、愛光の生徒達を鍛え、松山大学柔道部を鍛え

現在は鹿児島の鹿屋体育大学で国内トップレベルの学生を指導...

というよりも全国的には、ヤワラちゃんら全日本の軽量級のコーチで

そして自身も1979年キューバ国際で優勝するなど国際大会でも

数多くの入賞を果たした柔道家だ。

 

濱田さん講義1.JPG 

 

この日は県内の保健体育教員を対象にした講習会。

そう、来年度から始まる「中学校武道必修化」を前にした

指導者講習会である。

来年春から中学生たちを指導する先生たち40人が参加していた。

 

濱田さんの話は、柔道の歴史を紐解く所から始まった。

日本がオリンピックに初参加した1912年第5回ストックホルム大会で

団長を務めていたのが、あの嘉納治五郎氏だったとか、

国際柔道連盟に加盟している国や地域の数は200で、

これは国連加盟の193より多いこととか・・・。

 

最も興味を引いたのがフランスの話。

フランスの柔道人口は現在60万人で日本よりも多いのだが、

日本の方が実力的に上なのは、指導者の力の差だと濱田さんは言う。

 

ただ柔道を取り巻く環境は大きく違い、

最も驚いたのは、フランスの柔道指導者は全員プロだということ。

ビジネスとして成立していて、柔道の指導者として

生計を立てていけるそうだ。

つまり国家資格を持つ人だけが指導者になれ、

免許を持たないで指導すると「逮捕」される。

1955年から実施されている国を挙げての制度らしい。

だから指導者たちはものすごく勉強熱心という。

 

こうした制度のもとでの指導ゆえに

フランスでは柔道の練習、試合中などの「死亡事故」は

皆無といわれているのも納得できる気がする。

 

国際性に優れ、日本が発祥の「柔道」。

「礼」に始まり、「礼」に終わる。

 

そんな競技を日本の誇りとして温め続けていくためにも

大きなチャンスとなる来年春の「中学校武道必修化」。

 

授業現場の安全対策は大丈夫か―。

 

目の前で、寝技の稽古に励む先生たちに全てはかかっている。

 

濱田さん講義2.JPG

 

 

2011年09月14日(水)

北よりの風もそろそろ・・・

今、南半球のニュージーランドでは

ラグビーワールドカップが行われていますね。

4年に1度、ラグビー界最大のイベントであり、

ファンにとってはお祭りであり本当にワクワクする1ヶ月間です。

 

日本は初戦、フランスに敗れはしましたが

21-47、大善戦だったのではと思います。

 

なにしろアジア王者として7大会連続の日本とはいえ、

過去、勝ったのは第2回大会、宿沢ジャパンのジンバブエ戦のみ。

忘れたくても忘れられない第3回大会17―145、

悲劇のニュージーランド戦もありましたし・・・

 

さらに新田高校出身としては2人目の代表監督、

闘将、向井昭吾さんでさえ、第5回大会で4戦全敗でした。

 

さて今回、外国人選手の多さが指摘されることも少なくない

カーワンジャパン。

ユニオン重視のラグビー界、3年間その協会でプレーすれば

その国の代表選手として出場できるルールに基づくもの。

 

とはいえ「日本代表」と銘打つだけに気にはなりますが

ここは「桜のジャージ」に魂込めている選手たちの勇姿を

純粋に応援したいと思います。

 

s-110911_1630~0001.jpg 

(高校ラグビー中予大会 北条×松山工)

 

 

そんな折、先日、愛媛ラグビー界の聖地、県総合運動公園球技場で、

高校ラグビーの中予地区大会が行われました。

 

シーズン到来とはいえ、北風とは無縁の残暑厳しいグラウンドで

高校ラガーマンたちは必死になって楕円のボールを追っていました。

 

そんな中、注目した一戦は「北条」 対 「松山工業」。

北条は新人大会、春の四国大会県予選で優勝。

松山工業は県高校総体で北条を破って優勝。

花園予選まで2ヶ月足らず、夏場の猛特訓の成果が試される一戦とあって

スタンドも保護者や学校関係者でかなり埋まっていました。

 

試合は20分ハーフ。

伝統のドライビングモールを武器に総合力の北条。

重量FWと展開ラグビーのバランスがいい松山工業。

 

前半8分、北条はフルバックのカウンターからフランカーが左隅にトライ。

5-0と先制します。

 

しかし後半開始早々、松山工業は敵陣22メートル付近で

出足のいいチャージからインゴールでボールを抑えて同点のトライ。

5―5と試合を振り出しに戻します。

 

その後、北条も積極的な展開ラグビーを。

松工も密集戦で互角の勝負。

試合は同点のまま終わるかと思われました。

 

しかし後半ロスタイム、

北条は相手インゴールにプレッシャーをかけ

相手のノックオンを誘うと、そのまま抑えてトライ。

ゴールも決まって12対5、軍配は北条に上がりました。

 

見ごたえのある攻防が展開された40分。

しかし来る「花園予選」は30分ハーフの60分での勝負。

前半の残り10分、後半のラスト10分に何が待っているかは未知の世界。

互角の戦いを演じた両チームから益々目が離せません。

2011年09月12日(月)

中学校の教員の嘆き・・・

先日、キャッチあい「追跡アイ」のコーナーで

来年度から始まる「中学校武道必修化」について取り上げた。

 

放送の中では、「授業の安全確保」のための

保健体育教員の指導力や武道が専門でない教員の育成状況、

各競技団体の見方などを紹介させていただいた。

 

その企画の取材中のこと。

県内南予地域の中学校の教員から聞かされたのは

「武道の必修化による、専門外の教員の苦労もあるが、

 既に、普通の部活担当者も大変なんです」という言葉。

 

どういうことか―

 

「自身の専門競技の部を担当している教員は

 楽しいだろうし、結果も出るし、評価もされる。

 しかし、専門外の部を担当した教員は大変よ。

 辛いし、結果も出ないし、休みは無いし・・・」

 

保健体育教員であれば多少専門外でも対応はできる。

しかし県内の公立中学校138校中46校では体育教員は「1人」。

多くの中学校で、スポーツとは縁のなかった教員も

スポーツ部の顧問になることは少なくない。

 

そうなると、的確な指導はなかなか難しいだろうし

ひどい場合には生徒に練習メニューだけ伝えて

グラウンドに現れなかったりすることもあるという。

 

私も中学時代の野球部を振り返れば、

確かに部長先生は野球経験ゼロの方だった。

練習が急に楽になってホッとしたものだったが

それでいいはずは全くない。

 

一番の被害者はやはり生徒である。

伸びざかりの時期に正しい指導を受けられないのは悲劇だ。

まともな指導をうけられず、部としても体をなさなければ・・・生徒は辞める。

すると地域のスポーツクラブや少年団に入ることになるが、

活動場所が遠くなってしまえば、練習は週末だけになってしまう・・・

 

学校体育と少年団との連携、そして外部指導者と教員の連携・・・

 

やはりどうすべきか―

 

中学校武道必修化を取材していたら

またこの問題に頭をめぐらせていた。

 

s-空.jpg

(県武道館の空)

 

2011年07月15日(金)

「2塁3塁」 と 「1塁3塁」

「あれは個人の判断ですね」

 

試合後、松山商業の重澤和史監督は

そう静かに振り返った。

 

s-松商初戦突破2011.jpg

(校歌 松商ナインと応援団)

 

今治球場の1回戦、第1試合。

1回戦屈指のカードと目された

今治北 対 松山商業。

 

中盤までの主役は今治北のエース武田。

右スリークオーターから繰り出す球威あるストレートと

ブレーキの効いたスライダーで

7回まで松商打線に与えたヒットはわずか「1」。

 

一方の今治北はそのピッチャー武田の

タイムリー2ベースなどで2対0とリードしていた。

 

結局、ラスト2イニングスで松商が3点取って

勝利するのだが、

冒頭のコメントは、8回表の攻撃について。

 

先頭、1番左の西森がレフト前ヒット。

そして2番左の平岡。

うまく流してレフト前へ連続ヒット。

俊足の西森は一気に3塁へ。

 

これでノーアウト1塁3塁でクリーンアップへ...と思われた瞬間、

バッターランナーの平岡は送球間を突いて2塁を陥れた。

 

結果は「ナイスラン!」

ただ、気持ちが先行した走塁だったようにも見えた・・・

 

2点ビハインドの状況で

「ノーアウト1塁3塁」と「ノーアウト2塁3塁」では全く意味が違う。

 

「2塁3塁」ならば、1ヒットで一気に同点。

犠牲フライでも1点入って1アウト2塁。

次ぎのヒットで同点もありうる。

 

しかし「1塁3塁」では

犠牲フライで1点入っても1アウト1塁。

同点へもう2作業が必要になるだろう。

 

ただ、3番高木は

前の打席でレフトへヒットを放っている。

しかも終盤8回・・・。

 

 

結局、松山商業はノーアウト2塁3塁から

3番高木がライトへ犠牲フライで1点返し1アウト3塁。

 

そして押せ押せムードの中、

4番堀田がライトオーバーの

タイムリー2ベースヒットを放ち同点。

最終回に1点勝ち越し3対2。

最後は逃げ切って初戦を突破した。

 

 

「セオリー」と「不確定要素」

その狭間での格闘が高校野球最大の魅力であることは間違いない。

 

 

それを踏まえた上で、

 

「あれは、止まれだと思いますね」

 

重澤監督は振り返る。

苦笑いしながら―

 

球史に残る15年前の「奇跡のバックホーム」。

3塁ランナーのタッチアップに対し、

「ノーバウンド」のバックホームを誰が予想したことか。

 

ドラマは想定外から生まれるからドラマだ。

 

 

ただ、「監督とはなにか」

そして「高校野球とはなにか」

 

選手と監督の関係も例外なく時代を反映する。

 

ストレートに言えば「監督の指導」と「選手の意見」が

現代高校野球を形作っているのが現実。

昔の野球に「後者」は無い。

 

「行けっ」

 

「止まれ」

 

 

その一瞬に今の時代を垣間見ると同時に、

過ぎ去った時も意外に多いことに気づかされる。

 

 

 

 

 

 

2011年07月14日(木)

音の反撃

それは「3塁側」のスタンドから突然鳴り響いた。

 

夏の高校野球愛媛大会の開会式直後の1回戦。

5回を終了して9対2。

リードしていたのは「1塁側」に陣取る「東温」。

リードを許していたのは「今治南」。

 

そしてグラウンド整備が始まったその時。

およそ20人、ビシッと列をなし、

両手にバチを握った制服姿の女子生徒たちが

「音」で反撃に出た。

 

ダダダ、ダダダ、ダダダ、ダン!

カッ、カッ、カッ!

 

その小気味よく刻まれるビートは

激しく、一体となり、

夏空に向かって次々に解き放たれていく。

 

そして3分後、

集めるだけ集めた視線の持ち主たちから浴びた喝采。

 

もし、あと3点多く取られていたら

5回コールドで終わっていたこの試合。

 

リードされながらも今治南ナインの踏ん張りが

スタンドの「ドラムライン」に

晴れの舞台をプレゼントした。

 

―テレビじゃ見られない熱球劇場―

 

そして試合が再開された。

 

s-今治南 ドラムライン.jpg

(画面中央 今治南の「ドラムライン♪」)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年07月06日(水)

不屈の男、再び

s-後期開幕戦.jpg

7月2日(土) 今治球場。後期開幕戦。

画面右、オレンジが愛媛マンダリンパイレーツ。

画面左、グリーンが三重スリーアローズ。

そのさらに左、画面から切れている所でビシビシミットを鳴らしていたのが

野口茂樹投手。

そう、あの野口投手です。

独立リーグでは初の愛媛での登板でした。

s-野口1.jpg

今治のマウンドに上がった野口投手。

この様子をほぼ正面の位置からご両親も応援。

「よくここまで投げられるようになったなと。

 2度の手術、リハビリを経て...」

野口投手の父・豊範さんはそう語り目を細める。

母・宮子さんも

「自分の納得のいくまで調整していってほしい」とエールを送る。

s-野口2.jpg

12年前の99年、19勝7敗でリーグMVPの野口投手。

エースとして中日の優勝に貢献した。

その決め球の名は、「真っフォ」。

真っ直ぐの軌道から少し落ちる・・・そんな球だったと記憶。

この日も何球かそんなボールを見たような・・・。

12年前、冬の松山市営球場で野口投手が50球。

取材とはいえ受けた左手の感触はまだここに。

背番号は中日時代の47。

ブルペンでも47球。

不屈の男、野口茂樹。

まだやれる。

 

2011年06月10日(金)

雨が降って、地は・・・

試合が中断した。

主審に促され、両軍の選手が

名残惜しそうにベンチに引き上げていった。

 

マウンドとホームプレートの上には

シートがかけられた。

 

s-雨の坊スタ.jpg

照明灯の明かりはシートの上で不規則に反射し、

スタンド上部のひさしの下に一時避難したファンから

少しずつ言葉を奪っていく。

 

6年前も雨だった―

 

***************************

 

 

わかりました、やります!

 では、今からグラウンドを整備しますので

  ちょっと待っててください。

 

マイクを握りスタンドに語りかけたのは

石毛宏典さんだった。そして、こう呼びかけた。

 

もしよろしかったら

  一緒にやりませんか!

 

s-雨の宇和島.jpg

 

リーグ創設1年目、天気は雨。

内野グラウンドにはすでに水溜りがあちこちに。

 

きょうは中止か・・・

 

ところが試合開始時刻の午後1時が近づく中、

リーグ創設者が発したのは・・・

 

こんな天気です。

雨の中、観戦していただくのも大変です。

中止するのも選択肢のひとつでしょう。

ただ時間はかかりますが整備すればやれなくもない。

どういたしましょうか。

 

こんな言葉だったように記憶している。

そして、冒頭の言葉が続いたのだった。

 

新鮮だった。

ファンとスタンドはネットをはさんで

別世界だと無意識に思い込んでいた。

 

ところが石毛さんは

たった一言でその垣根を取り去ってしまった。

 

そして両軍の控えの選手はもちろんスタメンも

監督コーチ、スタッフも

ウグイス嬢も、ボランティアスタッフも

そして飛び入り参加?のファンも...

 

靴を脱いで裸足になり、

裾をまくって土を踏みしめ、

スポンジ片手に水溜りと格闘し始めた。

 

s-雨の宇和島2.jpg

 

「高校以来だな、こんなの」

「1年の時やらされたな~」

 

「疲れてね~か?」

「移動が大変だけど、もう慣れたし」

 

「西さん、球はえーな。プロ行けるんじゃね?」

「練習見にスカウト来てたぞ」

 

「飯、どうしてる?」

「金ねーし、自炊に決まってんだろ」

 

「愛媛はファン多いな」

「お前の所はガラガラだな」

 

あちこちから聞こえてくる選手たちの肉声。

グラブとバットをスポンジに持ち替え

泥水を吸い取ってはバケツの中に絞り出す。

 

それはまるで

水溜りに映し出された自分の不安を

一心に吸い取っているかのようだった。

 

不安はエネルギー。

 

不安こそ原動力。

 

 

s-雨のスタジアム.jpg

 

ルールよりも、常識よりも、気持ち先行型の不器用な姿は

一気にファンの心を鷲づかみにしていった。

 

***************************

 

6年後、スタジアムに再び雨が降った。

 

ファンはスタンド上部のひさしの下に。

 

選手はベンチの奥へ。

 

照明灯に浮かび上がる無人のグラウンド。

 

じっと見つめながら過ぎ去った時間を噛み締める。

 

 

「ゲーム!」

 

30分後、突然主審が右手を上げて宣言し、5回コールド。

試合は成立した。

 

雨には勝てなかったが、

 

愛媛マンダリンパイレーツは勝ち、この夜2位に浮上した。

 

 

 

選手全員がベンチ前に出てきた。

 

一列に並び、スタンドに向けて一礼した。

 

 

30分間無人のグラウンドを見つめ続けたファンは

 

スタンド上部のひさしの下で

 

雨を避けながら拍手を送った。

 

s-雨の坊スタ2.jpg

 

 

 

 

2011年04月06日(水)

自分の役目

愛媛FCには被災地と繋がりの深い選手が5人います。

 

その1人、福田健二選手は

父親が宮城県石巻市で仕事中に被災されました。

現在は仙台市内の自宅で頑張っていらっしゃいます。

 

福田選手に聞くと、父親は建築関係の仕事で、

あの日、福田選手の父親は担当していた物件が完成間近だったそうです。

しかし―

 

「建築は死闘、破壊は一瞬だ・・・」

 

福田選手は父親から電話口で当時の様子を聞かされたそうです。

 

長い時間をかけて、積み上げてきたもの―

目の前から消えてしまった現実。

 

福田選手は今月2日の

J2中四国4クラブ合同チャリティマッチを前に

練習後、今の思いを語ってくれました。

 

「避難所にいる方の中には、朝起きて来れない人がいるという。

 それはなぜかというと、『朝起きる意味が分からない』からだという。

 なんのために起きるのか・・・。』

 

福田選手は続けます。

 

「人には誰でも、役目がある。

  きょうはこれをやろう。あれをしてみよう。

   そこには希望があるんですよね」

 

 

福田選手は、先日の「日本代表vsJリーグ選抜」の試合を見て

カズさんのゴールに震えたと言う。

 

「それこそサッカーなんかやっていていいのか・・・

 これまで、自問自答してきました。

  でも、心は決まりました。

 

 自分はサッカーを通じてパワーを送るという「役目」を

 しっかり果たすべきだと。

 

 今、この瞬間にベストを尽くすこと。

 1日1日を大切に過ごすこと。

 

 そしてチームのみんなで、ひとりひとり思いを込めて

サッカーをやっていきたいです」

 

 

 今月2日。

 チャリティマッチ、vs岡山戦にFW福田選手はスタメンで出場。

 後半途中までピッチを駆け抜けました。

 

 「命がある以上、日々の自分との戦いです」

 

 

 下を向いてしまうこととの勝負に

 負けそうになる自分。

 でも大丈夫。

 

 

人は決してひとりじゃない・・・

 

 

 

2011年03月09日(水)

尾藤監督

尾藤監督の告別式が

きょう和歌山県で営まれました。

 

高校野球一筋の人生。

甲子園に愛された人生。

本当に素晴らしい、男の生き様・・・

心からご冥福をお祈りします。

 

 

あの日―

晩御飯が並ぶ我が家の食卓で

家族で釘付けになった延長18回。

 

ブラウン管の中、

カクテル光線に浮かび上がった甲子園で

まさかのドラマを、死闘を演じ続けた

星稜」と「箕島」。

 

陣頭指揮を執った若き、尾藤監督の

前のめりになった姿、そして「スマイル」。

 

1979年8月16日。

小学6年生、「辰巳ドラゴンズ」キャプテンで

野球一色だった当時の私の心は

その壮絶なドラマの前に完全に心を奪われました。

 

 

17年後―。

 

1996年8月。

私が愛媛に来て11ヶ月目、

松山商業が全国制覇を果たしましたが、

その4ヶ月前―

1人の高校球児の人生を変える出来事が起きました。

 

鹿児島実業の優勝で幕を閉じた春のセンバツ。

その大会を沸かせた実力派選手が集められ

高校日本代表が編成されました。

「AAAアジア野球選手権大会」に出場するためです。

 

その選抜メンバーに、

甲子園の土を踏んでもいない無名の選手が

1人抜擢されました。

 

宇和島東高校3年 「岩村明憲選手」です。

 

そして、その代表監督が「尾藤さん」でした。

 

 

日の丸軍団の4番に抜擢された岩村選手は

フィリピンのリサール・メモリアル・スタジアムで

ホームランをかっ飛ばすなど大活躍。

 

あの「ベーブ・ルース」の横には

「AKINORI IWMURA」の名がペイントされるなど

尾藤さんの眼力に、周囲はあらためて驚くことになりました。

 

 

上甲監督には「スマイル」を。

 

岩村選手には「自信」を。

 

尾藤さんが高校球界に残した数多くのエピソード。

野球王国愛媛の歴史にも

その足跡はしっかりと刻まれています。

 

合掌

 

 

 

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