夢に集い、あすへ踏み出す ~川之石野球部 甲子園に最も近づいたあの夏~
「ああ、残念・・・」
そう言ったきり、男性教諭はスチール製の椅子の背にもたれながら
パソコン画面を見つめ続けていました。
*
「21世紀枠四国地区候補校」に選ばれていた「川之石野球部」。
先月29日、川之石高校の体育教員室では
2人の教諭が自席のパソコンに映し出される
「選抜高校野球大会」出場校発表のLIVE配信を
固唾をのんで見つめていました。
ひとりは野球部の松本富繁監督。
そしてもうひとりが「梅本定男」さんです。
(左:松本富繁監督 右:梅本定男元監督)
*
今から38年前の1983年、夏の高校野球愛媛大会で
「川之石」は初の決勝進出を果たしました。
当時、決勝の相手は
若き宇佐美秀文監督率いる「川之江」。
「川川対決」となった決勝は大いに注目を集めました。
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しかし川之石は7対4で敗れ、甲子園初出場はならず。
結局これが「チーム史上最も甲子園に近づいた瞬間」となりましたが
この時の監督が梅本さんでした。
(1月29日 NスタえひめOA)
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当時梅本さんは26歳の青年監督。
川之石が勝ち進むごとに、報道陣からは
その采配や指導方法などについて様々な質問を受けたそうです。
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そして決勝戦の舞台にチームを導いた梅本さん。
ところが・・・
*
「怖くなりましてね・・・」
(高橋:怖い?)
「実は私の専門は『剣道』なんですよ」
(高橋:へっ?)
「当時、川之石に来たら
『野球部の監督をやってくれ』と言われたんですよ」
(高橋:野球経験は?)
「ありませんよ(笑)。
実はあの夏で監督を辞めるつもりだったんですよ。
でもせめて最後ぐらい1回は勝ちたいなと思っていて...」
*
実は川之石はその前年の夏まで「7年連続初戦敗退」。
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「ですから1回戦で勝利した時点で、もう私は満足して、
2回戦からは『負けてもいいから思いっきりやってこい』と」
(高橋:ベンチのムードは?)
「それはもう選手達は楽しそうにやってましたよ。
負けていいって監督が言ってるんですから(笑)」
*
プレッシャー「ゼロ」。
そんなリラックスムードの中、川之石ナインは伸び伸びプレーすると
5試合で33得点と打線が爆発。
あれよあれよという間に決勝戦に駒を進めました。
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ところがここで突如、我に返った梅本さん。
「怖くなりましてね・・・次勝ったら「甲子園」と考えたら。
そんなこと全く考えてませんでしたから」
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ただ、そこで欲が出ないところが梅本さんなのでしょう。
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「本当に変な話なんですけれども、川之江さんに逆転された時に
心の中で「ホッ」としている自分がいたんですよね。
あの時、私がもっと欲を出していたら・・・」
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でもきっと、梅本さんのそんな自然体の雰囲気こそが
かえって川之石ナインの自主性を引き出し、
この夏の快進撃に繋がったことは想像に難くありません。
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実際この決勝でも、2回表に3長短打で2点を先制したのは川之石。
なんとたくましい選手達ではないですか。
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直後の2回ウラには川之江打線に一挙6点を奪われ逆転されますが、
川之石ナインは6回に2点を返し2点差に詰め寄るなど
〝監督の想像を超える″粘りを見せ、最後まで戦い抜きました。
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結局7対4で川之石は敗れましたが、
この夏、夢のような5試合を戦い抜いた川之石ナインの勇姿は
ミカン山と宇和海に囲まれた八幡浜市保内町民の心を1つに繋ぎ、
大いに勇気づけたことでしょう。
* * *
あれから38年。
2021年1月29日の午後3時すぎ。センバツ21世紀枠の発表―
しかし吉報は届かず。
またも甲子園は「梅本さん」の前を通り過ぎていきました。
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「残念ですけれども、ぜひ夏に向かって頑張ってほしいです」
梅本さんは笑顔で、そう一言。
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1時間後、西日の差すグラウンドでは
もう、野球部員達の元気な声が響いていました。
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そして梅本さんは64歳のきょうも
「竹刀」を手に部員たちの待つ剣道場へ向かいます。
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■1983年 夏の高校野球愛媛大会
川之石の戦績
1回戦 〇8-3松山南
2回戦 〇9-0土居
3回戦 〇3-1新居浜商
準々決 〇9-6北宇和
準決勝 〇4-2宇和
決 勝 ●4-7川之江
(写真:川之石高校野球部 監督室より)
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