高橋浩由の「スポーツ素敵に隠し味」

2016年02月03日(水)

あの夏の「清原和博」

 

夏休み中の練習は厳しかった。

 

高校の硬式野球部に入って初めて迎える夏。

東京、練馬区の黒土に早朝からギラギラ照りつける太陽。

 

バックネットを支えるコンクリート製の柱の影。

校舎の脇の茂みに転がって行ったボール探し。

それらは1年生部員唯一の「極楽時間」だった。

 

そんな1983年夏。

1日の練習を終えて、ヘトヘトになって部室に戻れば

胸のあたりが真っ黒になって脱ぎ捨てられたユニフォームと

読み捨てられた「スポーツ新聞」が転がっていた。

 

そしてそこには、「KKコンビ」の文字がいつも踊っていた。

 

同じ1年生でこんな凄い奴が大阪にはいるのか―

 

「清原和博」

 

その夏、PL学園は1年生の

「KKコンビ」の活躍で全国制覇を果たすと、

その後、2年春、夏、3年春、夏と5季連続甲子園出場。

 

優勝2回、準優勝2回、そして―「清原」

その規格外のスラッガーは甲子園大会歴代最多、

通算13本のホームランを叩きこんだ。

 

どうしたらあんな風に飛ばせるんだろう。

なぜ、簡単に右に流せるんだろう。

「構え」か「スイングスピード」か、「バット」なのか―

考えていたら、私の高校野球は終わった。

 

日本を代表するスラッガー「清原和博」。

 

そして初めてその名を知ったあの夏から19年後、

彼は松山にやってきた。

 

2002年 プロ野球オールスターゲーム。

2万7000人で膨れ上がった坊っちゃんスタジアム。

 

華やかな舞台に、彼はとても似合った。

接点など何もない自分だが、

どこかとても誇らしかったのを覚えている。

 

甲子園が面白かった時代―

 

そのスター街道のど真ん中を堂々と歩いていた清原。

 

 

今、大きな喪失感は否めない。

 

 

写真も特に持ってない。

 

 

 

 

 

 

 

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