高橋浩由の「スポーツ素敵に隠し味」

2011年10月14日(金)

再起へ、「本能」の一投

今月10日、山口国体。

維新百年記念陸上競技場。

 

s-山口国体会場.jpg

 

現れたのは村上幸史。

国体の成年男子やり投げで優勝7回。

 

 

この日も、いつも通りの準備をして、

いつもと同じ色のメダルを手にすることは、

村上にとって決して難しい作業には見えなかった。

 

ところがこの時村上は

かつて経験したことのない心の揺れに苦しんでいた。

 

「新鮮な気持ちの中で試合を迎えられた反面と、

 不安を持って試合を迎えた反面と、

  そういった色々な思いが入り混じって・・・」

 

 

先月の世界陸上テグ大会。

 

村上は前回大会の「銅メダリスト」。

さらに日本選手団の「キャプテン」。

そして何よりも、

来年のロンドンオリンピックの表彰台に向け

目標は「85メートル」。

 

しかし「80メートル19」で15位。

まさかの予選落ちで戦いは終わった。

 

 

村上に、一体何が起きたのか―。

 

 

あの日、競技場で村上をサポートしていたのは

高校時代からの恩師、浜元一馬コーチ。

1投目の感覚のズレが明暗を分けたと分析する。

 

「たぶん本人の感触の中には82、3mの感触はあったと思う。

 それで80メートルというので、

 ちょっと自分の中であせりが出たのではないかと思う」

 

1投目のあと、浜元コーチは村上に声をかけている。

 

「少し肩の開きが早い」

 

肩が開くと、下半身のエネルギーが外に逃げ、

腕の振り幅も小さくなり、やりに力が伝わらなくなる。

 

「最後左足をつける時の左足の開きが早かったので、

 それを微調整するための方法としては、

  助走のスピードを上げるか、

   逆に下げるか、どちらかなんですよね」

 

そこで村上は1投目のあと、

助走の開始位置を「4レーン上」から「5レーン上」に変更。

スピードをあげ、肩の開きを抑えるためだ。

 

ところが―

 

予選3投目までにフォームの微調整は効かなかった。

 

 

「甘かったです」

 

 

この言葉を残し、村上は競技場を後にした。

 

失った感覚。

期待に応えられなかった悔しさ。

 

帰国後、村上の姿は

東京のナショナルトレーニングセンターにあった。

たった1人での合宿は2週間に及んだ。

 

「苦しいのはお前が一番苦しいんだから、やるしかない。

 この世界は結果しかないんだから、結果でみんな評価するんだから。

  結果が出なかったのは何かもろさがあるから、

   頑張らないかんな」

 

浜本コーチはそう伝えている。

 

 

迎えた山口国体。

世界陸上後初の公式戦。

失ったフォームと自信を取り戻せるか―

 

1投目、71メートル34。

厳しい数字だ。

 

さらに2投目はファウル...

全くフォームが噛み合わない。

 

しかし村上は試合を捨てなかった。

プライドをかなぐり捨て、必死にイメージを膨らませ

気合を入れ直した。

 

そして3投目。

放物線の軌道が変わった。

 

「79メートル08」

 

自己ベストには程遠い。

 

しかし忘れかけていた感覚を土壇場で取り戻し

 村上は「8度目の優勝」を決めた。

 

 

 s-yamaguti.jpg

 

 

表彰台の上で村上は

少し照れくさそうに、賞状を頭上に掲げた。

 

「3本目に、いい意味で開き直って自分の体に任せようと。

 今までやってきた自分の体の方が覚えているだろうということで、

  『本能的』にやったわけなんですが、

            ひとついい経験になりました」

 

試練の世界陸上から1ヶ月。

 

村上は、苦しみながらも

 

   再起への第一歩を踏み出した。

 

 

 

 

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