花園の涙から10年・・・
心に、熱い思いみたいなものが
試合前はあって・・・
三洋電機ワイルドナイツ 山本 貢選手
(2009年12月6日 ニンジニアスタジアム)
ラグビートップリーグ2年ぶり4回目の愛媛開催が「凱旋試合」となった
新田高校出身、三洋電機の「山本 貢」選手。
元日本代表、トップリーグ6年目の28歳は
今シーズン、チームの全勝、首位独走に大きく貢献している。
試合後、久しぶりの愛媛でのプレーについて尋ねると
こう一言答えてくれた。
*********************************
丁度10年前の「99年」、
山本は新田ラグビー部のキャプテンに就任すると
フッカーとして「高校日本代表候補」にも選出。
全国高校ラグビー愛媛県大会では
決勝で河野晴吾キャプテン(後に明治大)率いる松山聖陵を
32対0で破りチームの「3連覇」に貢献した。
そして「花園」。
1回戦では「富山第一」を19-15で破り初戦突破。
山本も1トライを決め、富山の猛追を振り
新田の「花園通算30勝目」に貢献した。
ところが・・・
山本はこの試合で「右足首を捻挫」。
しかし2回戦の相手は全国屈指の強豪「国学院久我山」。
山本は翌日、大阪市内の河川敷グラウンドで行われた練習中も
歩くのがやっとの状態だったが、取材陣に一言。
「強い相手と戦えるのは楽しいから」
ややうつむき加減だったが、その口元には笑みが浮かんでいた。
そして翌日の99年12月30日。
山本の姿は花園の芝の上にあった。
「痛いかゆいを全く言わない男です」
亀岡政幸監督(当時)はその心意気の前に
逸材の「将来」よりも「目の前の一戦」を優先した。
座薬と痛み止めを打っても痛いものは痛い。
しかし60分間、前に出続けた「背番号2」を
後輩たちはしっかりと目に焼きつけ、ノーサイドの笛を聞いた。
結果は、「新田0-70国学院久我山」
深く鮮やかな緑の芝の上に落とした「大粒の涙」―
しかし山本はその「意味」を、翌年から「実行」に移した。
関東学院大学に進み、才能が一気に開花すると、
2000年から関東大学リーグ戦を全勝優勝で4連覇。
大学選手権では4年間で3度学生日本一に輝くと、
三洋電機でトップリーガーとなり日本代表にも選ばれた。
******************************
そして三洋電機6年目の今年、初冬の愛媛に凱旋。
優勝へ真っ直ぐ突き進むチームの一員として
慣れ親しんだ芝の臭いに熱く燃えた。
泥臭くクボタの選手に絡み、倒し、
ブレイクダウンで圧倒。
そして前半39分
ドライビングモールを生かして「1トライ」を決めた。
「みんなのお陰で取れたトライなんで、みんなに感謝したいと思います」
赤いジャージに刻まれたあの日と同じ背番号「2」は、
西日を受けて誇らしげに輝いていた。
コメント
コメントする