STRONG WILL ~揺るぎない意思~

「自分たちの枠を破るためにも、
土佐さんや、君原選手のように
無理、無駄をこれからしてもらいたい」
今月15日、新体制でのスタートを切ったJ3年目の愛媛FC。
4年目の望月一仁監督が「勝負の年」と口にするシーズン初日のミーティングで
引き合いに出したのは、2人のマラソンランナーの名前だった。
去年の世界陸上でも、後半の驚異的な粘りで銅メダルに輝き、
北京オリンピックの切符をまさにもぎ取った「土佐礼子選手」。
その走りは、「STRONG WILL」=揺るぎない意思という
今季のチームスローガンをまさに体現していると望月監督は感じていたのだろう。
さて、「キミハラ」だ・・・。
「土佐さんや・・・」のあとに続いたその名前。
それは、昭和の名ランナー「君原健二」だった。
1960年~70年代に活躍した君原は、
オリンピックに3度出場し、いずれも10位以内に入るなど
日本男子マラソン界の第一次黄金時代を築いた一人である。
しかし当時、「一仁少年」の心を掴んでだのは、
何もその華やかな結果からだけではないだろう。
1964年の東京オリンピックで君原は、
円谷、寺沢とともに日本代表として出場。
「最もメダルに近い男」としてスタートラインに立った。
しかし、結果は8位。プレッシャーに押し潰され、惨敗。
66年にボストンマラソンで優勝して立ち直るまでに、2年の月日が流れていた。
そして68年、円谷は自殺―。
しかしその年のメキシコオリンピックで君原は銀メダルを獲得。
東京五輪の失敗、ライバルの死という衝撃を乗り越えた。
その君原の練習方法のエピソードがある。
チームメイトと練習する時は必ずアウトコースを走ったという。
するとトラック1周で約6m長くなり、10周で60m、100周で600m長くなる。
それを同じタイムで走る練習を重ねれば
実際のレースでは600mリードできる計算だ。
日々のちょっとした意識改革と「気持ちの強さ」こそが
君原を支え、またファンを魅了したのだろう。
「一仁少年」も、その1人だったに違いない。
「ストロング ウイル」=揺るぎない意思
・・・ではあるが、「あとは気持ちだけ」ともとれる。
昨シーズンの練習初日、望月監督は言った。
「第1クールは我慢です。第3クールぐらいまでかかるかもしれない・・・」
しかしきょうの望月監督の言葉には明らかに圧が違っていた。
「鹿児島キャンプのJ1との練習試合で、判断のスピードをあげていきたい。
で、相手に合わすのではなく、自分たちのやりたいサッカーをやりたい。
理想はJ2、1年目のようにスタートから勢いに乗っていければと思う」
勝負の3年目、愛媛FCに何か・・・「雰囲気」を感じる。
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