「さとるボールをもう1球」 水島新司さん引退に寄せて
2020年、全てが当たり前でなくなった年の暮れに
心からの感謝の思いをこめて―
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「深紅の大優勝旗は、はりまや橋を渡るんだ」
「犬飼小次郎」が投じた渾身の一球を、
ついに捉えた「山田太郎」のフルスイング。
そして打球はピンポン玉のようにスタンドに運ばれると、
「岩鬼」が吠え、「里中」が涙し、「サチ子」が跳ね、
「じっちゃん」の背中が震えて...
ああ、野球という競技のなんとドラマチックなことよ。
仲間たちと、ライバルと、そして家族の絆。
そんな記憶を忘れずにいてくれた自分の脳にも感謝(^^)/
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『ドカベン』
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本当にありがとうございました。
幼い私に「野球」の素晴らしさを教えてくださって!
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今月1日、野球漫画家の「水島新司さん」が
引退を発表されました。新潟市出身、81歳。
現役63年の鉄人が、ついにペンを置かれました。
本当にありがとうございました。
幼い私に「野球」の厳しさを教えてくださって!
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「白新の不知火」...
義眼を見抜いて里中にカーブを要求した山田の観察力と、
後に同じボールをスタンドインさせた不知火の執念。
3塁側スタンドから 「父さん」が
フェンスを飛び越え「でかしたぞ守!」のシーンは
今思い出しても震えますよね。
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「東海の雲竜」...
"豪打・真空切り"には度肝を抜かれましたが、
巨体に似合わずライトの守備も一流で
秘密兵器として自らマウンドに上がれば剛速球。
そんな豪快キャラも後に「サチ子」の前では
いじられキャラで好きだったな~。
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「横浜学院の土門」...
自分の球が凄すぎて受けられるキャッチャーがおらず、
全力を出せないという設定にまいりました。
そんな不遇にも愚痴をこぼすことなく、
歩いて歩いて、探して探して...そう、キャッチャーを。
そして「谷津吾郎」と出会い、「前略、土門さん」と
バッテリーを組むまでのくだりは心を鷲掴みにされました。
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他にも、ガウンの下でダンベルを握り続けていた
「甲府学院の賀間」や、記憶喪失の「代打山田」に対し
伝家の宝刀、"背負い投げ投法"を使わなかった
「クリーンハイスクールの影丸」に、
不動の腕組み、怪力「フォアマン」。
さらには「右か、左か、どっちだ・・・
そうだ、足を見ていればわかる!」
それでも山田を三振に仕留めた「赤城山の〝両手投げ″木下」と
2塁ベース上の岩鬼の視線を遮った「国定」。
そして「土佐丸の犬飼小次郎に武蔵、犬神」、
「いわき東の緒方」、「通天閣の坂田」、
とどめは「弁慶の義経と武蔵坊」・・・
ああ、輝いていた「甲子園」よ!
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実は水島新司さんには、幸せなことに
2度お目にかかる機会を授かりました。
1度目は、1999年夏の甲子園大会。
密着取材していた「宇和島東」の初戦の相手は
なんと、あの「新潟明訓」! そして試合当日!
ああ、なんということよ!
甲子園球場の正面入り口付近で偶然、水島さんを発見!
アポなしどころか急遽お願いして
インタビューを取らせていただきました!
甲子園大会の取材規制が非常に厳しくなった今では、
とても考えられない話ですよね。
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そして2度目が、2004年です。
そう、「四国にプロ野球球団」ができた時です!
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その名も「四国アイアンドッグス」!
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もちろん雑誌「少年チャンピオン」の中のお話で、
「ドカベン スーパースターズ編」
としての連載ではありましたが、
それでも私は本当に球団が出来たかのように
心の底から嬉しくて嬉しくて・・・
結局、こうなったわけです(^^)/
(2004年 坊っちゃんスタジアムにて)
そして!
この対談収録のあと、こうなりまして・・・
あの日から16年―
山田、里中、岩鬼、殿馬という天才たちに
真っ向勝負を挑み続けた 「闘将!不知火守」の執念は、
私を幾度も勇気づけてくれました。
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そしてこの翌年、日本初の独立リーグ
「四国アイランドリーグ」が誕生したことも
偶然ではありませんよね。
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水島さん、本当に有難うございました。
そして、本当にお疲れさまでした。
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2020年、全てが当たり前でなくなった年の暮れに
心からの感謝の思いをこめて―