高橋浩由の「スポーツ素敵に隠し味」

2016年2月14日(日)

それは「三好優作」選手

(^o^)/読了目安 1分

 

愛媛のラグビー界は今、各年代で盛り上がっていますよ。

特に「高校ラグビー」界は大混戦で、上位4つは実力伯仲。

選手もコーチも監督も大変ですが、見るなら今です。

 

私が高校ラグビーの花園予選の決勝を

初めて実況中継したのが、96年。

以来、去年11月の「北条vs三島」戦まで、20年連続で担当させていただきました。

その間、数々のドラマもありましたが、

実は愛媛大会の決勝は接戦が本当に多いんです。

ラグビーは競技の特性から、番狂わせの少ないスポーツと言われています。

実力差がそのまま結果に表れることが多いですよね。

しかし、愛媛、なかでも高校生の花園予選では

準決勝までの戦いぶりと決勝戦の戦いぶりが、いい意味で一致しないことが多いのです。

この20年でも1トライ1ゴールの7点差以内の試合どころか、

1トライ5点差以内、さらに直近などは「2年連続2点差!ゲーム」

 

ノーサイドの笛が鳴る瞬間まで、勝負の行方が全く分からず、

「長いシーズンを締めくくるキックはゴールをそれた・・・」という

松任谷由美の名曲 「ノーサイド」を地で行く試合が

「リアル」に繰り広げられています。

 

これは全国的に見ても屈指の混戦状態で、

テレビ中継させていただく立場としてはもう、「感謝」しかありません!

高校ラガーマンのみなさん、本当に「ナイスファイトです!!」

 

2月11日(祝)に、愛媛県高校ラグビー新人大会の決勝戦がありました。

3年生が引退し、新チームで迎える2016シーズン最初の腕試しの大会です。

日差しやわらかな冬晴れに恵まれた県総合運動公園球技場、

決勝の舞台に勝ち上がってきたのは「松山聖陵」と「三島」でした。

 

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この両チーム、去年11月の花園予選では非常に悔しい思いをしました。

準決勝  「松山聖陵」24-24北条  引き分け、抽選の結果北条が決勝進出。

決 勝  「三島」29-31北条  サヨナラ逆転コンバージョンキックを決め北条が優勝。

 

あれから2か月半が過ぎ、新人大会の決勝戦。

双方の1、2年生たちは、引退した3年生たちの思いを胸に60分間、頑張りました。

ただ、この時点では、「松山聖陵フィフティーン」が圧倒的な力を発揮しました。

 

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松山聖陵は、まず個々の当たりの強さで接点の攻防を制し、

FWとBKの連動もスムーズ。

ハンドリングミスもほとんどありませんでした。

 

その躍進のカギを握っている一人の選手がいます。

 

「三好優作」キャプテンです。

 

去年8月にはU17日本代表メンバーとして国際試合も経験。

日本の3戦全勝に貢献しました。

とにかく、ボールを持てば相手DFを2、3人吹っ飛ばすその突進力は

「すごい」の一言。

さらに、アタックラインに三好選手がいるだけで相手DFを引き付けられるので

三好選手の周りにはスペースが出来やすく、味方のトライにもつながっています。

 

まさに圧倒的な存在感―

 

しかし、フィジカル面の強さだけではないのが三好選手のすごい所。

「桜のジャージ」を身にまとい世界を相手にできるメンタリティは

いったいどこから来るのでしょうか。

 

それは11日(祝)18:15から始まる「Nスタキャッチあい」で・・・

 

あ、見てない? 見逃した?

 

残念ですね~

それならば、ぜひ今年は、球技場でお会いしましょう。

ワールドカップでラグビー観戦に目覚めた方にも、

ぜひ一度、目に焼き付けておいて欲しい選手です!

 

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(優勝を決めて、スタンドの応援団にお礼の言葉を述べる三好優作主将)

 

*****************************

愛媛県新人大会決勝   優勝 松山聖陵 62-5 三島

2月19日、20日の四国大会では

Aブロック代表が「松山聖陵」、Bブロック代表が「三島」です。

 

 

 

 

2016年2月 9日(火)

銀輪通信 ~冬の足跡、春の足音~

久しぶりの銀輪通信です。

冬は、晴れたら乗ります。

着るもの着たら、冷えた空気は最高です。

 

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正面に見える高縄山周辺は、この時期でも最高のコース。

全く信号にひっかかりません。

30キロくらい連続してこぎ続けることができます。

そして峠を上り、峠を下り、また峠を上り・・・

そしてこの日、峠の下りでちょっとペダルを踏んでみました。

 

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初の60キロ超え。自己ベスト更新です。

(自転車は軽車両。道路交通法はしっかり遵守しております)

 

北条から峠を越えて菊間へ。

この時期の菊間町といえば「やくよけ大師 遍照院」。

2月3日の「節分厄除大祭」当日を中心に

厄除け祈祷の方々で、本堂のまわりはとても賑やかでした。

 

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気持ちだけでも、愛車の厄除け祈祷です。

 

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「福は内 鬼は内」

感謝と願いが込められた掛け声ですね。

 

鬼瓦が受ける日差しも少しづつ、やわらかくなってきました。

 

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2016年2月 4日(木)

「苦闘の後に、栄光の明日がある」

 

2016年 リオ・オリンピック。

2019年 ラグビーワールドカップ日本大会

2020年 東京オリンピック

 

2010年代の後半は、日本にとって

まさに国際大会目白押し。

競技力はもちろん、文化も、社会も、人間力でも

世界の中での日本の立ち位置が問われますね。

 

そんな真っ只中の「2017年」に開かれるのが

「えひめ国体・えひめ大会」。

もう、目の前です。

 

こうした中、きょう松山市内のホテルでは

「愛媛県体育協会 表彰」が行われました。

 

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2015年に、国際大会で入賞した選手をはじめ、

全国大会の入賞選手やチームなど

個人75人、21団体のトップアスリートたち、

そして指導者ら、およそ300人が集結。

 

大亀会長から表彰状を手渡されながら

来年のえひめ国体へ、決意を新たにしていました。

 

そんな会場でみつけたこちらのポスター。

 

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えひめ国体での「天皇杯、皇后杯の獲得」を目標にあげてはいても

その難しさを肌で知っているのは、

もちろん現場の一人一人の選手たち。

 

その難しさをあらためて共有し、熱に変えてこそ、

真の勝利は見えてくるのかもしれない。

 

 

 

 

 

2016年2月 3日(水)

あの夏の「清原和博」

 

夏休み中の練習は厳しかった。

 

高校の硬式野球部に入って初めて迎える夏。

東京、練馬区の黒土に早朝からギラギラ照りつける太陽。

 

バックネットを支えるコンクリート製の柱の影。

校舎の脇の茂みに転がって行ったボール探し。

それらは1年生部員唯一の「極楽時間」だった。

 

そんな1983年夏。

1日の練習を終えて、ヘトヘトになって部室に戻れば

胸のあたりが真っ黒になって脱ぎ捨てられたユニフォームと

読み捨てられた「スポーツ新聞」が転がっていた。

 

そしてそこには、「KKコンビ」の文字がいつも踊っていた。

 

同じ1年生でこんな凄い奴が大阪にはいるのか―

 

「清原和博」

 

その夏、PL学園は1年生の

「KKコンビ」の活躍で全国制覇を果たすと、

その後、2年春、夏、3年春、夏と5季連続甲子園出場。

 

優勝2回、準優勝2回、そして―「清原」

その規格外のスラッガーは甲子園大会歴代最多、

通算13本のホームランを叩きこんだ。

 

どうしたらあんな風に飛ばせるんだろう。

なぜ、簡単に右に流せるんだろう。

「構え」か「スイングスピード」か、「バット」なのか―

考えていたら、私の高校野球は終わった。

 

日本を代表するスラッガー「清原和博」。

 

そして初めてその名を知ったあの夏から19年後、

彼は松山にやってきた。

 

2002年 プロ野球オールスターゲーム。

2万7000人で膨れ上がった坊っちゃんスタジアム。

 

華やかな舞台に、彼はとても似合った。

接点など何もない自分だが、

どこかとても誇らしかったのを覚えている。

 

甲子園が面白かった時代―

 

そのスター街道のど真ん中を堂々と歩いていた清原。

 

 

今、大きな喪失感は否めない。

 

 

写真も特に持ってない。

 

 

 

 

 

 

 

2016年2月 2日(火)

校長室の電話の前で、スマホを握りしめて

あの日、電話はならなかった。

あくまでもマスコミは起き得ることに備えて準備していただけで

予想屋でもなければ、結果に対する何かの影響力を持っているわけでもない。

待って、そして何も起きなかっただけ。

ただ、見出しにはあえて「吉報届かず」と書いた。

 

1月29日 選抜高校野球大会出場校発表。

午後3時、済美高校の校長室。

待機しているほぼ全員が、スマホの画面で出場決定校の速報を見つめていた。

そして35分後、四国地区の出場校が決まった。3校だった。

そこに「済美」の名はなかった。

 

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オリンピック開催地の選考発表―

女子マラソンの五輪日本代表選手発表―

これまで星の数ほどの選考委員会が開かれ、

人間は選考委員会の決定に一喜一憂してきた。

が・・・

スポーツの魅力の一つには、人の意を超えたところで白黒はっきりするところにある。

相手より100分の1秒でも早ければ勝ちであり、

相手より1点でも多くとれば勝ちであり、

1点少なければ負けである。

 

そのために膨大な時間をかけて準備をする。

そしてその数パーセントにも満たない競技時間の「本番」でしのぎを削り、

「結果」を潔く受け止める。

 

選手として、チームとして、出来るのはそこまで。

そしてそれが、選手にとって、チームにとって「全て」だと思う。

「結果」は出ているのだ。

 

済美は秋の四国大会ベスト4。

2回戦で鳴門に完封勝利を収め、

準決勝では、のちに優勝し、秋の明治神宮大会で日本一に輝いた

高松商業に1点差で敗れた―。

 

秋の最後の試合から約「3か月」。

どこのチームも秋の敗戦直後から、徹底的に打ち込み、投げ込み、猛ノックを浴び、

走り込み、体幹を鍛え、バーベルを持ち上げてきた。

そしてチームは一回りも二回りも力をつけ、自信を手にし、そして年が明ける。

 

1人の野球部員の実質の活動時間は

1年生の4月から、3年生7月までの「2年4か月」。長いようで短い。

このうちの「3か月」という時間は短いようで長い。

高校生が変貌を遂げるには十分可能な時間だ。

どこのチームも、日進月歩で成長を続けている。

 

1月29日、選考委員会の机上に乗っているのは

主に「3か月前」の出来事である。

チームにとっては、すっかり「過去」だ。

言い過ぎならば、少なくとも「今」ではない。

 

高校2年生の1月。

たいていの高校球児がこう思う。

「もう最後の年か・・・」

7か月も先だが、「夏」は完全に視界に入ってくる。

 

「俺たちの目標は、あくまでも夏だ」

1月29日の夕方、済美の乗松監督も

選手たちを前にこう伝えている。

 

そうした中、全国から選ばれた32校が出場する「春のセンバツ」。

今年は3月20日に開幕する。

それは、「去年秋の結果」から、約5か月後のことである。

 

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