松山市民全員集合!
などということはあり得ないが、
もしそんなことが起きると・・・
きのうのような光景になるのかも。
松山市の人口51万人。
それとほぼ同じ数、「50万」の人間がきのう銀座に押し寄せた。
それはまさに史上最多38個のメダルを獲得した
ロンドンオリンピックの盛り上がりを象徴する光景だった。
そしてオープンカーでメダリストたちを先導したのは
上島町出身の「村上幸史」選手。
メダルはないものの「人間らしい」がむしゃらな姿で
堂々と主将を務めた。
そしてバスの2号車右から3番目は
柔道男子73キロ級で銀メダルを獲得した
松山市出身、「中矢 力」選手。
全身で喜びを表現していた。
それにしてもオリンピックは体力勝負。
国民に等しくかけられた「時差」という負荷の中、
テレビ観戦してから寝るのか、寝てから録画で観戦するのか。
夏休みの子供たちも同様だ。
遊んでから宿題か、宿題してから勉強するのかは大きな悩み。
そこに五輪が加わったのだから大騒ぎだったろう。
それにしても50万人―
日本オリンピック委員会ではこの歴史的な光景を
2020年東京オリンピック誘致の切り札にしたい考えだ。
その「東京オリンピック」。
58年前、1964年開催時のポスターやパンフレット、
プログラムやバッジなども並ぶ展示会が
愛媛県生涯学習センターで開かれている。

(「愛媛とオリンピック」より)
実はそこで目を引いたパネルがこちら。
「美術部門」と「芸能部門」?
実はこれ、東京オリンピックの開催時、
同時期に行われていた「芸術展示」という公式プログラムの内容。
見れば、上野の東京国立博物館では「古美術」。
「近代美術」は京橋の国立近代美術館。
銀座の松屋では日本最高の作家58人よる「写真展」。
大手町の逓信総合博物館では「スポーツ郵便切手」の展示。
ほかにも歌舞伎座では「歌舞伎」を。
有楽町の芸術座では「人形浄瑠璃」。
また「雅楽講演」は宮内庁楽部舞台。
そのほか新橋演舞場では「古典舞踊」と盛りだくさんだ。
実は、1912年のストックホルム大会から
「建築」「彫刻」「絵画」「文学」「音楽」の5部門が
芸術競技となり実施されていて、
それは近代オリンピックの父、クーベルタンが
古代オリンピックにならい「スポーツ」と「芸術」の両方を
オリンピックに取り入れたいと考えていたからだという。
その点からみてもオリンピックは
人類の「表現の場」として、大きな役割を果たしてきた。
ただ・・・
サッカー銅メダル決定戦、日韓戦の試合後の「パク・ジョンウ」。
聖地であるピッチ上を
「領土問題パフォーマンス」の「表現の場」に選んだのは
サッカー選手としてあまりにも寂しくはなかったか。
2020年東京オリンピック―。
実現すれば、世界の「ビックリ人間たち」が繰り広げる
圧巻のパフォーマンスを目の当たりにできる。
その時、私たち日本人は
どんな「表現」を世界に発信するのだろう。