高橋浩由の「スポーツ素敵に隠し味」

2012年8月30日(木)

足りないもの

東京六大学野球で万年最下位といえば

天下の「東京大学」。

 

選手名簿を見れば出身校は、

灘、開成、筑駒、武蔵、日比谷・・・

ちなみにキャプテンは高知の土佐高出身。

 

甲子園を沸かせた選手が顔を揃える

他大学との実力差は歴然だ。

 

でもそこに悲壮感は全くない。

常にチャレンジャーの立場にいることを

誇りにさえ感じている(はず)。

 

それはなぜか―

 

「神宮球場の雰囲気が素晴らしいから」と選手達。

 

それはなぜか―

 

「応援」である。

 

応援するしかないほど「弱い」のである。

だから応援する人たちの必死度はものすごく高い。

 

球場でリードするのは「東京大学運動会応援部」。

 

かつてその団長がこのようなことを言っていた。

 

「チームが弱いからこそ、僕たちが必要なんです。

  

  しかも、もし勝ったりすれば、

    

     それは「応援の力」だと言えますから・・・」

 

 

 

s-ニンスタ秋の空.jpg

 

 

今、愛媛FCがとっても苦しんでいる。

 

 

10試合白星から遠ざかり、

J2、22チーム中18位に甘んじている。

 

気合が足りない、スタミナが足りない、精度が足りない・・・

もう「足りないもの」は出尽くした。

 

 

でも、本当に足りないのは「応援の力」だったりして・・・

 

s-ニンスタ 応援.jpg

 

2012年8月21日(火)

銀座沸騰は8年後への「表現」

松山市民全員集合!

 

などということはあり得ないが、

もしそんなことが起きると・・・

きのうのような光景になるのかも。

 

松山市の人口51万人。

それとほぼ同じ数、「50万」の人間がきのう銀座に押し寄せた。

 

それはまさに史上最多38個のメダルを獲得した

ロンドンオリンピックの盛り上がりを象徴する光景だった。

 

そしてオープンカーでメダリストたちを先導したのは

上島町出身の「村上幸史」選手。

メダルはないものの「人間らしい」がむしゃらな姿で

堂々と主将を務めた。

 

そしてバスの2号車右から3番目は

柔道男子73キロ級で銀メダルを獲得した

松山市出身、「中矢 力」選手。

全身で喜びを表現していた。

 

 

それにしてもオリンピックは体力勝負。

国民に等しくかけられた「時差」という負荷の中、

テレビ観戦してから寝るのか、寝てから録画で観戦するのか。

 

夏休みの子供たちも同様だ。

遊んでから宿題か、宿題してから勉強するのかは大きな悩み。

そこに五輪が加わったのだから大騒ぎだったろう。

 

それにしても50万人―

日本オリンピック委員会ではこの歴史的な光景を

2020年東京オリンピック誘致の切り札にしたい考えだ。

 

 

その「東京オリンピック」。

58年前、1964年開催時のポスターやパンフレット、

プログラムやバッジなども並ぶ展示会が

愛媛県生涯学習センターで開かれている。

 

 

 

s-五輪展示.jpg

(「愛媛とオリンピック」より)

 

実はそこで目を引いたパネルがこちら。

 

s-五輪芸術.jpg 

 

「美術部門」と「芸能部門」?

 

 

実はこれ、東京オリンピックの開催時、

同時期に行われていた「芸術展示」という公式プログラムの内容。

 

 

見れば、上野の東京国立博物館では「古美術」。

「近代美術」は京橋の国立近代美術館。

銀座の松屋では日本最高の作家58人よる「写真展」。

大手町の逓信総合博物館では「スポーツ郵便切手」の展示。

 

 

ほかにも歌舞伎座では「歌舞伎」を。

有楽町の芸術座では「人形浄瑠璃」。

また「雅楽講演」は宮内庁楽部舞台。

そのほか新橋演舞場では「古典舞踊」と盛りだくさんだ。

 

 

実は、1912年のストックホルム大会から

「建築」「彫刻」「絵画」「文学」「音楽」の5部門が

芸術競技となり実施されていて、

 

それは近代オリンピックの父、クーベルタンが

古代オリンピックにならい「スポーツ」と「芸術」の両方を

オリンピックに取り入れたいと考えていたからだという。

 

その点からみてもオリンピックは

人類の「表現の場」として、大きな役割を果たしてきた。

 

 

ただ・・・

 

サッカー銅メダル決定戦、日韓戦の試合後の「パク・ジョンウ」。

 

聖地であるピッチ上を

 

「領土問題パフォーマンス」の「表現の場」に選んだのは

 

サッカー選手としてあまりにも寂しくはなかったか。

 

 

s-五輪展示 東京.jpg 

 

 

2020年東京オリンピック―。

 

実現すれば、世界の「ビックリ人間たち」が繰り広げる

圧巻のパフォーマンスを目の当たりにできる。

 

その時、私たち日本人は

どんな「表現」を世界に発信するのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

2012年8月 9日(木)

「世界の舞台」に挑む「野球」女子

サッカー男女の快進撃や女子の卓球団体、バレーボールなど

熱気と結果の一致具合は、ほう酸水の溶解度曲線のように

今、まさに上昇カーブを描いている。

 

その一方で実感する寂しさ。

それは、オリンピック競技から外れた「野球」。

 

スカパー放送を眺めれば、

NPB球団各地のスタジアムでは

確かに夏休みで賑わってはいる。

 

ただ、短期決戦で「金メダル」を争う一発勝負は

また違う意味で非常に魅力的だ。

今や「WBC」出場にも暗雲立ち込める日本球界では

「世界が舞台」という、

どの競技でも当たり前になりつつある夢さえも

抱きづらい状態だ。

 

 

それでも!

 

選手達はしっかりこの夏も白球を握りしめている。

 

「女子野球ワールドカップ」が

あすカナダ・エドモントンで開幕する。

 

この大会を前に女子の日本代表選手20人が、

先日、松山市のマドンナスタジアムで最終合宿を張った。

 

 

s-女子野球日本代表 その1.jpg 

 

 

2008年松山開催でのワールドカップ初優勝以来

3連覇のかかる日本は、

新谷 博監督のもと調整具合は万全のようで

「普通にやれば勝てる状態」だとも。

 

 

s-女子野球日本代表 その2.jpg 

(新谷監督の指導を受ける日本代表選手たち)

 

 

練習を見ていても、選手達の「たくましい」腕っ節には

プライドという筋肉が躍動し、まさに頼もしい限り。

 

そんな中、合宿最終日のこの日、

フリーバッティングのピッチャーを務めたのが

マドンナ松山の「坂本加奈」投手。

 

 

   

s-マドンナ坂本投手 その1.jpg

 

 

実は、ワールドカップ日本代表候補として

チームに帯同していたが、

最終20人枠の選考からは落選。

カナダ行きは叶わなかった。

 

「残念です」

 

「世界の舞台」に立てなかった悔しさ―

それでも炎天下の中、大粒の汗を飛び散らせ

元同僚に黙々と「打たれまくる」その姿は

日の丸をつける代表選手たちの心に火をつけたはず。

 

前代表監督で現在、日本女子野球協会理事長の大倉孝一理事長も

「必ずいい報告が出来るように頑張ってきます」と明言する。

 

 

s-マドンナ坂本投手 その2.jpg

 

しかしこの夏、坂本投手には続きがある。 

 

ワールドカップ3連覇を果たした後、

再び日本代表メンバーは松山に集結することに。

 

8月25日に開幕する「全日本女子野球選手権」。

 

坂本投手は「マドンナ松山」のエースとして

3連覇メンバーに真っ向勝負を挑む日を楽しみにしている。

 

 

 

 

2012年8月 4日(土)

応援しているのは「鉄人」武田大作!

 

「準決勝」

 

s-武田準決勝.jpg

 

 

「順位決定戦」」

 

s-武田 順位.jpg

 

シャツ姿の準決勝は木曜日。

 

Tシャツ姿の順位決定戦は土曜日。

 

ロンドンオリンピック

ボート男子軽量級ダブルスカル

武田大作選手を応援しようと

所属するダイキの社員は

予選、敗者復活戦、準決勝、順位決定戦と4レース、

1週間に渡って応援してきた。

時間的に応援しやすい開始時刻ではあったと思うが、

温かい応援風景には「感じる」ものがあった。

 

不況の影響で「企業スポーツ」の衰退が叫ばれて久しいが

されど「企業スポーツ」。

 

武田選手のロンドン五輪は、きょう

北京大会を上回る」「12位」で幕を閉じた。

 

2000年シドニー大会、2004年アテネ大会と

2大会連続で6位入賞を果たしているだけに

それを上回ることはできなかった。

 

ただ、社員のみなさんにとっては、

武田大作選手という存在を通じて、大いに親睦を深めた。

しかも1週間に渡って。

もっと言えば、「5大会20年」に渡って・・・

 

スポーツが持つ力。

それは「人の心」を動かせること。

武田選手のロンドンは終わった。

ただ、成績以上に、社員の皆さんは

武田選手の「鉄人ぶり」にこそ心を動かされ、

それぞれの日常の刺激となっている。

 

「6大会連続を!」

 

レース後、そんな声があちこちから聞こえたのも

自然なことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2012年8月 4日(土)

「疑問」は「感動」

「どうやったら こういう着地ができるんでしょうか」

 

金メダルに輝いた内村航平選手の「跳馬」の着地が

ピタッと決まった直後、

実況アナウンサーが思わず漏らした言葉...

 

共感した。

そういう言葉なんだと思う、響くのは。

 

 

1964年東京オリンピック。

体操の団体と「跳馬」で金メダルに輝いた宇和島東高校出身、松田治広さん。

旧姓「ヤマシタ」。

そう、あの「ヤマシタ跳び」の山下さんに

96年アトランタオリンピック直前、

愛媛を代表するメダリストとしてインタビューをさせていただいた。

 

今でも覚えている。

松田さんが体操を始めたきっかけを話してくださった時の話。

 

後に自分も進むことになる日体大の選手の演技を

目の当たりにして

 

「な~んであんなことが出来るんだろう

  ど~やったらあんなことが出来るんだろう」

 

栄光へのストーリーの全てはそこから始まったという。

その思い出話を語っている時の松田さん。

本当に目がキラキラ輝いていた。

 

体の底から沸きあがって来る思いは

決して難しい言葉ではない。

内村選手の演技と実況アナウンサーの言葉を聴いて

16年前のそんな出来事を思い出していた。

 

***************************

 

思わず口をついた心の叫び・・・

 

頭を巡らせていると・・・

自分にもあった!

しかもこの夏。

 

s-決勝戦 あいさつ.jpg

 

 

「えっ、もう交代?」

 

これだ。

今治西 対 川之江の決勝戦。

1回表、川之江の攻撃、1アウト3塁、2ボール。

今治西の大野康哉監督は、

先発「伊藤」を2番手「中内」に交代させた。

 

「伊藤」といえば小松戦で9回1アウトまでノーヒットノーラン、

西条戦では延長11回無失点完投するなど

この夏、ノーシードの今治西の快進撃を支えた重要人物の1人だ。

 

しかし、プレーボールからわずか9球。

大野監督は前日の準決勝から連投の伊藤を変えた。

 

試合前、大野監督は報道陣に語っている。

「先発はもちろん伊藤です。これまでの流れもありますし」

 

ただ、こうも断言していた。

「もちろんきょうも継投が前提です」

とはいえ、わずか9球で・・・

 

結局、リリーフ登板した中内は

MAX141キロの球威を武器にロングリリーフに成功。

大野監督の起用に見事に結果で応え、優勝投手になった。

 

 

s-優勝 今治西.jpg

 

「な~んでそんな決断ができたんだろう

  ど~したらそんな決断ができるんだろう」

 

 

「疑問」は「感動」につながり、

「感動」は「行動」につながり

「行動」は「栄光」へとつながる・・・のかも。

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