高橋浩由の「スポーツ素敵に隠し味」

2011年7月15日(金)

「2塁3塁」 と 「1塁3塁」

「あれは個人の判断ですね」

 

試合後、松山商業の重澤和史監督は

そう静かに振り返った。

 

s-松商初戦突破2011.jpg

(校歌 松商ナインと応援団)

 

今治球場の1回戦、第1試合。

1回戦屈指のカードと目された

今治北 対 松山商業。

 

中盤までの主役は今治北のエース武田。

右スリークオーターから繰り出す球威あるストレートと

ブレーキの効いたスライダーで

7回まで松商打線に与えたヒットはわずか「1」。

 

一方の今治北はそのピッチャー武田の

タイムリー2ベースなどで2対0とリードしていた。

 

結局、ラスト2イニングスで松商が3点取って

勝利するのだが、

冒頭のコメントは、8回表の攻撃について。

 

先頭、1番左の西森がレフト前ヒット。

そして2番左の平岡。

うまく流してレフト前へ連続ヒット。

俊足の西森は一気に3塁へ。

 

これでノーアウト1塁3塁でクリーンアップへ...と思われた瞬間、

バッターランナーの平岡は送球間を突いて2塁を陥れた。

 

結果は「ナイスラン!」

ただ、気持ちが先行した走塁だったようにも見えた・・・

 

2点ビハインドの状況で

「ノーアウト1塁3塁」と「ノーアウト2塁3塁」では全く意味が違う。

 

「2塁3塁」ならば、1ヒットで一気に同点。

犠牲フライでも1点入って1アウト2塁。

次ぎのヒットで同点もありうる。

 

しかし「1塁3塁」では

犠牲フライで1点入っても1アウト1塁。

同点へもう2作業が必要になるだろう。

 

ただ、3番高木は

前の打席でレフトへヒットを放っている。

しかも終盤8回・・・。

 

 

結局、松山商業はノーアウト2塁3塁から

3番高木がライトへ犠牲フライで1点返し1アウト3塁。

 

そして押せ押せムードの中、

4番堀田がライトオーバーの

タイムリー2ベースヒットを放ち同点。

最終回に1点勝ち越し3対2。

最後は逃げ切って初戦を突破した。

 

 

「セオリー」と「不確定要素」

その狭間での格闘が高校野球最大の魅力であることは間違いない。

 

 

それを踏まえた上で、

 

「あれは、止まれだと思いますね」

 

重澤監督は振り返る。

苦笑いしながら―

 

球史に残る15年前の「奇跡のバックホーム」。

3塁ランナーのタッチアップに対し、

「ノーバウンド」のバックホームを誰が予想したことか。

 

ドラマは想定外から生まれるからドラマだ。

 

 

ただ、「監督とはなにか」

そして「高校野球とはなにか」

 

選手と監督の関係も例外なく時代を反映する。

 

ストレートに言えば「監督の指導」と「選手の意見」が

現代高校野球を形作っているのが現実。

昔の野球に「後者」は無い。

 

「行けっ」

 

「止まれ」

 

 

その一瞬に今の時代を垣間見ると同時に、

過ぎ去った時も意外に多いことに気づかされる。

 

 

 

 

 

 

2011年7月14日(木)

音の反撃

それは「3塁側」のスタンドから突然鳴り響いた。

 

夏の高校野球愛媛大会の開会式直後の1回戦。

5回を終了して9対2。

リードしていたのは「1塁側」に陣取る「東温」。

リードを許していたのは「今治南」。

 

そしてグラウンド整備が始まったその時。

およそ20人、ビシッと列をなし、

両手にバチを握った制服姿の女子生徒たちが

「音」で反撃に出た。

 

ダダダ、ダダダ、ダダダ、ダン!

カッ、カッ、カッ!

 

その小気味よく刻まれるビートは

激しく、一体となり、

夏空に向かって次々に解き放たれていく。

 

そして3分後、

集めるだけ集めた視線の持ち主たちから浴びた喝采。

 

もし、あと3点多く取られていたら

5回コールドで終わっていたこの試合。

 

リードされながらも今治南ナインの踏ん張りが

スタンドの「ドラムライン」に

晴れの舞台をプレゼントした。

 

―テレビじゃ見られない熱球劇場―

 

そして試合が再開された。

 

s-今治南 ドラムライン.jpg

(画面中央 今治南の「ドラムライン♪」)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011年7月 6日(水)

不屈の男、再び

s-後期開幕戦.jpg

7月2日(土) 今治球場。後期開幕戦。

画面右、オレンジが愛媛マンダリンパイレーツ。

画面左、グリーンが三重スリーアローズ。

そのさらに左、画面から切れている所でビシビシミットを鳴らしていたのが

野口茂樹投手。

そう、あの野口投手です。

独立リーグでは初の愛媛での登板でした。

s-野口1.jpg

今治のマウンドに上がった野口投手。

この様子をほぼ正面の位置からご両親も応援。

「よくここまで投げられるようになったなと。

 2度の手術、リハビリを経て...」

野口投手の父・豊範さんはそう語り目を細める。

母・宮子さんも

「自分の納得のいくまで調整していってほしい」とエールを送る。

s-野口2.jpg

12年前の99年、19勝7敗でリーグMVPの野口投手。

エースとして中日の優勝に貢献した。

その決め球の名は、「真っフォ」。

真っ直ぐの軌道から少し落ちる・・・そんな球だったと記憶。

この日も何球かそんなボールを見たような・・・。

12年前、冬の松山市営球場で野口投手が50球。

取材とはいえ受けた左手の感触はまだここに。

背番号は中日時代の47。

ブルペンでも47球。

不屈の男、野口茂樹。

まだやれる。

 

アナウンサールームトップに戻る

プロフィール

最近の記事

月別アーカイブ

2022年
2021年
2020年
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
2010年
2009年
2008年