高橋浩由の「スポーツ素敵に隠し味」

2011年3月 9日(水)

尾藤監督

尾藤監督の告別式が

きょう和歌山県で営まれました。

 

高校野球一筋の人生。

甲子園に愛された人生。

本当に素晴らしい、男の生き様・・・

心からご冥福をお祈りします。

 

 

あの日―

晩御飯が並ぶ我が家の食卓で

家族で釘付けになった延長18回。

 

ブラウン管の中、

カクテル光線に浮かび上がった甲子園で

まさかのドラマを、死闘を演じ続けた

星稜」と「箕島」。

 

陣頭指揮を執った若き、尾藤監督の

前のめりになった姿、そして「スマイル」。

 

1979年8月16日。

小学6年生、「辰巳ドラゴンズ」キャプテンで

野球一色だった当時の私の心は

その壮絶なドラマの前に完全に心を奪われました。

 

 

17年後―。

 

1996年8月。

私が愛媛に来て11ヶ月目、

松山商業が全国制覇を果たしましたが、

その4ヶ月前―

1人の高校球児の人生を変える出来事が起きました。

 

鹿児島実業の優勝で幕を閉じた春のセンバツ。

その大会を沸かせた実力派選手が集められ

高校日本代表が編成されました。

「AAAアジア野球選手権大会」に出場するためです。

 

その選抜メンバーに、

甲子園の土を踏んでもいない無名の選手が

1人抜擢されました。

 

宇和島東高校3年 「岩村明憲選手」です。

 

そして、その代表監督が「尾藤さん」でした。

 

 

日の丸軍団の4番に抜擢された岩村選手は

フィリピンのリサール・メモリアル・スタジアムで

ホームランをかっ飛ばすなど大活躍。

 

あの「ベーブ・ルース」の横には

「AKINORI IWMURA」の名がペイントされるなど

尾藤さんの眼力に、周囲はあらためて驚くことになりました。

 

 

上甲監督には「スマイル」を。

 

岩村選手には「自信」を。

 

尾藤さんが高校球界に残した数多くのエピソード。

野球王国愛媛の歴史にも

その足跡はしっかりと刻まれています。

 

合掌

 

 

 

2011年3月 2日(水)

早春の陽光

日曜日の朝。携帯電話の着信音で目が覚めた。

 

高校、大学時代の友人からのメール。

 

「これから出走します」

 

東京マラソンだ。

 

リモコンを握る。

 

凄い絵だ。人が道を埋めている・・・

 

この中で彼も今、走っている現実。

 

彼は6時間かけてゴールした。

 

そして彼が、晴海から豊洲あたりを疾走している頃・・・

 

東京千駄ヶ谷の国立競技場。

「ラグビー日本選手権決勝」が始まった。

サントリー 対 三洋電機。

 

自陣から回すサントリー。

 

強烈なタックルの三洋電機。

 

そして後半34分、背番号16が登場。

 

「山本 貢」。

 

新田のキャプテンも今や28歳だ。

フロントローの中央で体を張っている。

メインスタンドの影から日なたに出ると

赤いジャージは燃えていた。

 

激闘の末、軍配はサントリー。

 

監督就任1年目でチームを頂点に導いたのは

 

「エディ・ジョーンズ」。

 

2003年ラグビーワールドカップで

オーストラリアを準優勝に導いた名将だ。

 

そしてその栄光を掴んだスタッフの中には

新田ラグビー部出身で元日本代表、

そして現在チームディレクターの

「坂田正彰」さんが。

 

また、元日本代表監督で、サントリーの監督、部長も務めた

松山大学ラグビー部監督の「山本 巌」さんの

祝福する姿も目に浮かんだ。

 

 

80分間のドラマ。

6時間の生き様。

 

 

早春の陽光はこの日、

どちらにも等しく降り注いだ。

 

 

 

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