高橋浩由の「スポーツ素敵に隠し味」

2011年1月25日(火)

「いい顔」している長友

 

「外から見ているのはこんなにヒヤヒヤするんやな~」

 

きのうのラグビー日本選手権の予選、神戸製鋼vsNEC戦を

花園ラグビー場のスタンドから観戦した大畑大介選手。

日本ラグビー界きってのスター選手だ。

 

今月9日の試合中の大ケガで、豊田自動織機戦が

事実上の引退試合になってしまったが、

気持ちの整理をつけようと放ったであろうこの一言に

寂しさを感じてしまうファンは多いだろう。

 

それはそうと、大畑選手の言葉どおりこの試合に限らず

今年のラグビーはやはり面白いと思う。好ゲームが非常に多いのだ。

 

トップリーグも接戦が多く、実力拮抗の印象があるし、

花園の高校ラグビー決勝で東福岡と桐蔭学園が演じた

「両校優勝」というフィナーレも感動した。

 

そして大学選手権決勝では名将、岩出雅之監督率いる帝京大が、

あろうことか!我が早稲田を破り2連覇を果たした試合も

わずかに「1トライ差」。

 

ラグビーワールドカップイヤーということを差し引いても

魅力たっぷりのゲーム内容は2019年の日本開催に向け、

ファン拡大へいい流れを感じる。

 

その帝京大の岩出監督の著書

 

「信じて根を張れ!楕円のボールは信じるヤツの前に落ちてくる」

 

の中で印象深い文章に出会った。(「 」は引用文)

 

****************************** 

 

「サッカーW杯の日本代表でひとつ気づいたことがあります」

 

ラグビーの監督がサッカーを観戦する構図だけでも興味深い。

 

「日本の選手の中にひとり、非常にいい表情をしている選手がいました。

 『おっ、あの5番、いい顔しとるなあ』

 自宅のテレビで応援していて、思わず口にしたことを覚えています。

 背番号5。左サイドバックの長友佑都選手です。」

 

さらに続けて―

 

「自分を信じているいい顔をして、世界に挑んでいました。

 帝京大の選手も、長友選手のような顔で

         シーズンを戦ってほしいと思いました」

 

******************************

 

この著書が出版されたのは、去年の9月20日。

その後、岩出監督率いる帝京大は前述のとおり、

大学日本一に上り詰め2連覇を達成した。

 

 

きょうはサッカーアジアカップ準決勝「日韓戦」。

宿敵と相まみえる長友佑都の顔から

私たちも、今夜再び「自信」の二文字を読み取りたい。

2011年1月20日(木)

山が動いた・・・清宮氏ヤマハへ

早稲田ラグビー部の元監督清宮氏が

トップリーグヤマハの監督に就任するようだ。

 

今季ヤマハはリーグ14チーム中11位と低迷。

「ラグビー界のカリスマ」にチーム再建を託した形だ。

どんなステップでチーム再建を図るか。

とても楽しみだ。

 

清宮氏は母校早稲田を

01年から5年間で3度の大学日本一に導いた。

その後、サントリーに監督として戻り

就任2年目にはトップリーグ日本一を果たした。

 

プロジェクトとも言える周到に練られた組織作りと

選手の心に響く言葉が印象的なトップだ。

 

現在のヤマハ堀川隆延監督も早稲田ラグビー部のOB。

その後任として監督に就任する清宮氏。

チームには、大多尾、五郎丸ら早稲田時代の教え子も

手ぐすねを引いて待っているはずだ。

 

おととし経営不振からプロ契約を廃止した企業チームで、

社員として働きながらラグビーを続けてきた選手たち。

そんな経験を胸に秘める選手たちを

清宮氏がどんな言葉で戦う集団として火をつけるのか。

注目だ。

2011年1月19日(水)

心が響いた瞬間

きのう石毛宏典さんの講演会を取材させた頂いた。

 

ひめぎんホールの客席には

18歳以上の専門学校、各種学校の男女が約1000人。

この構図自体に興味があった。

 

「熱血肉食系」と「草食系男子」。

 

響くだろうか―

 

「あいさつと返事は大きな声で!」

「人の話しを聞くときは、相手の目を見て聞け!」

 

まず、自身が開く「石毛野球塾」の生徒との約束から入ったが、

石毛さんの「熱」がまっすぐ伝わるのか、少々不安になった・・・

 

しかし―

 

「四国アイランドリーグ」を立ち上げた思い。

 

「千葉のよそ者」が「四国」に受け入れてもらうまでの「汗」。

 

常勝西武ライオンズの1億円プレーヤーが直面した「挫折」と「気づき」

 

そして浮き彫りになっていった「夢」。

 

さらにアイランドリーグで「再生」を誓う若者たちとの会話・・・

 

 

s-石毛さん1.jpg

 

1時間半はあっという間だった。

杞憂に過ぎなかった。

 

「前心」、「朴心」「根心」、「耕心」、「捨心」。

 

左手にマイク、右手にホワイトボードのマーカー。

石毛さんは、現役時代に掲げたスローガンを1つ1つ紹介した。

 

「大切なことは目に見えないことが多い。

 木の根のように。

   見えないものを見つめていきたい」(根心)

 

現役時代、慢心しないよう「心のあり方」には

徹底的にこだわったという。

 

そして、石毛さんは切り出した。

 

「最近は『我流』または『自己流』を

  『個性』だと勘違いしている人が多い」

 

まず「形」があってこそ「ぶれない軸」が出来る。

 さらに軸ができても「志」がないと、

  いくら真面目にやっても「ぶれる」。

 

石毛さんは「基本」の大切さと

 それを身に着けるために必要な「聞く」姿勢を説いた。

 

s-ヤフードーム.jpg 

 

講演終了後―

会場の若者が手をあげた。

マイクが渡った。

 

19歳、専門学生、県内強豪野球部出身、ベンチ入り経験ゼロ。

 「野球以外のことで、野球の技術の参考になるものはありますか」

 

「あります!」

石毛さんは即答した。

 

彼が、人生に「工夫」を求めた瞬間を逃さなかった。 

 

ベンチ入りできなかった3年間だった

 今でも野球は好きだ。

 でも、専門学校もある。

どうすればいいんだろう・・・そんな風にも見て取れた。

 

そして次ぎの瞬間、石毛さんは、

1000人の前で勇気を持ってマイクを握った彼の

「心の迷い」を吹き飛ばした。

 

 

「おう!うちに来て野球やるか!」

2011年1月 6日(木)

紙の重み

その手は全く震えていなかった。

 

重さ、わずか数グラム。

その1枚の紙を過去どれだけ多くのゴルファーが

待ち焦がれてきたことか。

 

『マスターズの招待状』

 

その上品なクリーム色の厚紙と初対面を果たしたのは

松山市出身、松山英樹選手。

 

s-マスターズ1.jpg

 

あと7時間後には年も改まろうかという大晦日の午後5時、

愛媛、松山市内のゴルフ練習場のロビーは

家族やゴルフ仲間で祝福ムードに包まれた。

 

しかし歴史的な出来事にも、

18歳らしからぬ落ち着きの中・・・

 

「この紙切れで、すごい所に行けるんだなという感じですね」

 

s-マスターズ2.jpg

両手の指先で招待状をつまむようにして

顔のそばに近づける。

その紙の重みは―

 

「紙自体は軽いんですけど・・・」

 

「書いてある内容はちょっと読めないんですけど・・・」

 

「すごく重いものだと思っています」

 

ゆっくりだが、自分の言葉で語る松山選手。

実感はこれから徐々に体の隅々にまで広がっていくのだろうが

興奮気味の周囲の笑顔には思わず表情も緩んだ。

 

「小さい頃からお世話になっている方々がいる場所で

 封を開けることができてよかったです。

  夢の舞台なので楽しく頑張って来たいと思います」

 

そして年が明けてきょう―

 

仙台市の東北福祉大学で記者会見に姿を見せた松山選手。

招待状と共に過ごした1週間、相性も良さそうな印象だ。

 

―マスターズに出る他の日本人選手については?

 

「特に気にしていません」

 

記者からの質問にも表情は変わらない。

 

―同い年の石川遼選手や先輩の池田勇太選手も出ますが?

 

「・・・はい(笑)」

 

そう・・・それでいいと思う。

 

マスターズでプレーするのは自分であり、

世界標準を初めて計るのに「既存の物差し」は何の役にも立たない。

把握すべきは自分自身そのもので、

爪の先まで神経を尖らせて臨むのみだ。

 

16番ホールに代表される「ガラスのグリーン」、

11番から13番ホールの「アーメンコーナー」

 

立ちはだかる難コースに「技」と「心」を丸裸にされてなお、

世界中から集結したパトロンたちの前で

次ぎの1打に集中できるかどうか―。

 

「夢の舞台なので、楽しく頑張っていきたいと思います」

 

s-マスターズ3.jpg 

 

2011年4月7日。

アメリカジョージア州のオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ。

 

開幕日の1番ティグラウンドに、

どんな表情の松山英樹が立っているのか。

待ち遠しい限りである。

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