「相撲は『見る』ものです。
『やる』ものじゃありません」
プロの激しい当たりについて尋ねた私に対し
新入幕直後の1人の若者は、はにかみながらそうつぶやいた。
しかしその後、突き押し一本で14年余りを駆け抜け
2009年5月30日、
両国国技館で大銀杏に別れを告げた。
「玉春日断髪式、楯山親方襲名披露式」
この日、開場と同時に続々と詰め掛ける
大勢のファンを
真っ先に出迎えたのは、
「西予市野村町出身、元関脇玉春日。年寄、楯山親方」

サインと写真撮影に快く応じる元関脇の周りに出来た
2重、3重となった人の輪は
その後30分間続いた。
地元、西予市野村町をはじめ多くの県関係者ら
約6500人が見つめる愛媛色の国技館。
そして午後0時半すぎ、西の花道に元玉春日関が登場。
最後の呼び出しを胸に刻み土俵上へ。
午後1時、断髪式―
土俵上の中央でいすに腰掛け、微動だにしない元玉春日。
館内に響く、小さな金属音。
ひとり、またひとり・・・
郷土からかけつけた恩師、支援者、各界の先輩、後輩・・・
約1時間半
300人が大銀杏にハサミを入れ、
波乱万丈の土俵生活をねぎらった。
96年初場所の新入幕以来、通算67場所で444勝。
三賞5回、金星7個、最高位関脇。
特に、十両陥落後に成し遂げた復活三賞受賞は
相撲道に一生を捧げる覚悟の賜物だろう。
そして最後は、師匠の片男波親方。
潔くハサミをいれ、
部屋頭の大銀杏を見事に切り落とした。

「一番の思い出は、ケガをしたことです」
とっさに出た言葉かもしれない。
断髪式を終えた楯山親方はすぐに別室へ移動し
大きな姿見の前で「整髪」。
床山さんが髪を整える最中のことだ。
―ケガですか?
「はい、ケガをしたことによって精神的にも
本当にたくさんの事を教わりました」
そして、刻一刻と変化していく自らの頭を
鏡越しに見つめながら続ける。
「今までの相撲人生といいますか、
色々な思い出がよみがえってきました。
波乱万丈の15年間だと思います」
ドライヤーの熱風が新鮮だったのかもしれない。
力士から社会人へ、自らに送ったエールだった気がした。
「1つの節目、本当の引退だと思います。
まげを切り落とすということは」
―出発点ですね?
「はい、出発点です。スタートです、これから。
これまででなく、これからです」
このあと国技館地下のパーティ会場には
少なくとも10歳は若返った元関脇の姿があった。
しかし、会場ぎっしり詰め掛けた支援者らに
決意の言葉を述べたのは
間違いなく「楯山親方」だった。
「きょうが親方業としてのスタートだと思っています。
まだまだ分からない事が多いと思いますが、
ご指導ご鞭撻を頂きながら一生懸命頑張りたいと思います。
今後とも宜しくお願いします」
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1週間後、楯山親方の故郷、野村町を訪れた。
「愛媛マンダリンパイレーツ」の公式戦初開催の取材だ。
市内ほぼ中心部の小高い山の上にある「西予市営野村球場」。
初夏の強い日差しの元、1000人を越えるファンが駆けつけ
若者たちの一投一打に声援を送った。
サブグラウンドの駐車場もほぼ満杯。
その誘導係をしていた男性に声をかけた。
もちろん体格が「良すぎた」からだ。
「野球も好きですよ。クラスに野球部の友達もいっぱいいましたからね。
子供たちがプロの技に触れるのは、とってもいいことですよ」
―野球選手になりたかった?
「いえ、無理ですよ!
周りは相撲関係者ばかりでしたから(笑)」

野球場の下に広がる野村の街並み。
そこは、今も昔も変わらぬ「乙亥の里」。
きょうも、第2の玉春日の登場を静かに待っている。
