高橋浩由の「スポーツ素敵に隠し味」

2008年9月24日(水)

風が北よりに変わるころ・・・  (番外編)

暑かった夏が過ぎ、

 

  風が北よりに変わるころ

 

  またこの季節がやってくる・・・

 

 

 

先日、13年ぶりに!「風」になりました~

 

海水浴シーズンのあと

 

少し寂しくなった海ですが

 

   ウインドサーフィンは

 

     これからがシーズン本番です。

 

 

    s-ウインド.jpg

   ~松山市・和気浜にて~

2008年9月 4日(木)

金メダルの取り方

s-北京雑誌.jpg 

「全部出し切ったんやないのか~っ!毅然とせいっ!」

 

試合後のベンチ裏通路。場所は坊っちゃんスタジアム。

声の主は、大野康哉監督。

そう、今から1ヶ月前の7月21日、

今治西は5季連続甲子園の夢が絶たれた。

 

誰もが今治西の優位は揺るがぬと思い、

なによりも選手自身が勝利を信じて疑わなかっただけに

その敗北のショックは相当なものだったことは想像に難くない。

 

そして冒頭の言葉である。

もちろん泣きじゃくる選手たちへ

大野監督流のねぎらいの言葉であるのは間違いないところ。

ただ、「全部出し切る」とは一体どういうことなのか。

 

負けたこと、ありますか―

 

一般的にスポーツ競技で「負ける時」というのは、

相手によって、敵によって、ライバルの力によって

自分の力を出せないよう相手にうまく立ち回られる場合が多い。

つまり、「本来の力なんか全く出し切らせてもらえない」状況だから負ける。

 

逆に、勝つためには「相手に力を出し切らせないようにしていく」のが常道だ。

 

なにも競技の最初から最後までずっと優位に立ち続けることではない。

それはとても難しい。

明らかに優位に立てるパートは、何も考える必要もない。

 

問題は「互角の勝負」にならざるを得ないパートだ。

そこで考えなければならないのが

「少しでも相手の調子を狂わせる方法はないか」。

 

その手法としては、「腕力」だったり「奇襲戦法」だったり、

はたまたスタンドの「大声援」だったり、それは本当に様々だ。

 

ただ最終的にはやはり、「目標を絶対に達成してやろう」という

「強い気持ち」が必要になってくるであろう。

結局、これを「全て」のエネルギー源としてやっていくしかない。

 

では「全て」とは何か。

 

競技中のパフォーマンスのみを指すわけではない。

・試合運び、レース展開などのイメージ作り、その裏づけ理論。

・リカバリー方法。相手の出方、リードされてから逆転への理論展開。

・ケガ、故障を負ったまま、出場せざるを得ない場合の心と体のバランス。

・競技者が同士が互いの戦術等を出し切ってもなお勝負が決しない場合、

 残された最後の領域としての肉体的強さ。

 

こうした様々なチェックポイントを日頃から準備していって初めて

「土俵の上に立つ」権利があるといえる。

 

そして初めて、相手の調子を狂わせるような

プレッシャーを掛けていくことも可能になる。

「強い気持ち」は欠かすことはできない。

 

星野仙一監督は「強い気持ち」を選手から引き出すプロ中のプロだ。

 

ただ、北京オリンピックの舞台で

いざ強い気持ちを持った選手が目の前に顔を揃えたとき

それだけで満足してしまったことはなかっただろうか。

勝てると思い込んでしまったことはなかったか。

 

「選手を信じる」という言葉によって

相手チームの選手が胸に秘める「強い気持ちの分析」を

「やや」怠りはしなかっただろうか。

 

まさかそんなことは無いと思うが、

専属スコアラーが分析した精緻なデータを

心のどこかで軽んじてしまってはいなかっただろうか。

 

プロ選手のプライドや経験則から

「やはり投げてみなけりゃ分からん。打ってみなけりゃ分からん」

という気持ちからデータを軽んじてはいなかっただろうか・・・

 

プライド結構。それが日本の野球文化を支えているのだから。

ただ世界の進化のスピードは年々加速度を増している。

そのことをバッターボックスで、

あるいはマウンドで実感しているようではまずい。

 

 

オリンピックが終わった。

金メダルを取った人の話は本当に興味深く、そして驚かされる。

 

北島康介と平井コーチはレース前日まで

フォームの改造、確認を繰り返していた。

そこには「プライド」などというそんな雑念は全く無い。

あるのは「どうしたら金メダルを取れるか」その1点のみだ。

考えて考えて、最後に出した答えが「勇気をもって、ゆっくり泳ごう」だったという。

 

陸上男子400mリレー。

朝原をはじめとする4人がレース直前まで取り組んでいたのが

「バトンの受け渡し」。

アンダーハンドパスで減速要素を極力減らす。

この「執念」あってこその銅メダルに人々は心を揺さぶられる。

 

ボート男子軽量級ダブルスカルの武田大作選手も、

残念ながら13位に終わったが、

レース直前までオールの入水の位置と出水の位置を工夫し

そのフォームの完成に全力を注いでいた。

 

「入賞はいらない。6位はいらない。金メダルしかいらない。

 でもこのフォームをマスターすれば絶対に速くなるって分かっているから

 ギリギリでも新しいことにチャレンジしたい。

 それはアスリートの本能だと思う。」

そう武田は言っていた。

 

「金メダル」に向かって「強い気持ち」を持って「全部」「出し切る」

 

一見、精神論を述べたような言葉でも

捉え方を誤ると結果は大きく変わってくる。

 

 

 

2008年9月 2日(火)

「マラソン人生」と「人生のようなマラソン」

s-アイデア帳 土佐.jpg答えを知りたいわけではない。

考えたかったのだ。

 

*      *      *

 

目の前にある色紙にはこうある。

 

「故障無く マラソンのスタートラインに立つ」

 

土佐礼子さんの言葉だ。

 

去年9月、世界陸上大阪大会で銅メダルに輝き

翌年の北京オリンピックへの抱負を問われた土佐さんは

色紙にこうペンを走らせた。

 

その時は、正直ピンとこなかったのを覚えている。

「粘って、金!」

「泣いても金!」

そんな言葉を想像していた。

 

しかしこれが、土佐さんにとって

どれだけ意味深く、

どれだけ難しく、

そして重要なことだったのか―

 

「故障なく・・・」

もしそんな事が可能ならば、素晴らしい結果が待っているのに!

 

どんなレースをするかとか、メダルだとか、

そんなことは、故障さえ無ければ、痛みさえ無ければ

おのずと結果はついてくるはずなのに・・・

 

自分を知り尽くしているからこそ、

「故障無く」スタートラインに立てさえすれば・・・

究極の願いだったのだろう。

 

***********************

北京オリンピック 女子マラソン 

土佐礼子選手 途中棄権

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その要因のひとつとして上げられているのが「外反母趾」。

 

私の母もそうだから良く知っている。

足の母指球の外側が外に張り出し、親指の先は斜め内側を向いている。

やはり日常生活でもそこに疲れが溜まりやすい。

ましてや、走るとなるとその苦労は想像に難くない。

しかも走る専門家となれば、これはとっても有り難くない症状である。

 

土佐さんは、その外反母趾の影響で

過去に左足の指3本を折っている。

さらにその左足をかばって、右足の指も折っている。

 

「だから、もう折れないんじゃないかな」

 

土佐さんは笑いながら私に語った。

強い。

 

そんな自分の足と相談しながら競技を続けてきた土佐さん。

だから「粘り強く」ならざるを得なかったともいえよう。

 

しかし、どこの世界に

激痛を抱えながら「25キロ」も走る人がいるだろうか。

 

あの姿に比べたら、世界陸上大阪大会銅メダルのラストの追い上げは

当然のようにも思える。

土佐さんからすれば(こんなにいい状態で走れている時に、

5位のまま終わるのはもったいない)

そんなところだったのかもしれない。

 

しかしなぜ今回、「故障あり」でも

マラソンのスタートラインに立ってしまったのか。

 

それは、「なぜレース直前にケガをしてしまったのか」、

「ケガを回避することは出来なかったのか」などということではない。

 

「ゴールできないだろうと予測される中で、なぜ走ることにしたのか」

考えたいのはそこだ。

人間にはやらねばならない時があるということなのか。

 

去年の世界陸上前に夫の村井啓一さんは言った。

 

「自分のために走って欲しい」

 

そう、土佐さんはきっとこれまで「誰かのために」走ってきたのだろう。

家族、ファン、応援してくれる人、地域の方々、

さらに指導者、スタッフ、そして愛する人のために・・・。

 

また、年末恒例の全日本実業団対抗女子駅伝では

自分がエントリーしてなくても

荷物持ちなどチームの裏方に徹する姿は決して珍しくはない。

 

土佐さんとはそういう人間だ。

 

「自分のために」

「誰かのために」

 

どちらのタイプが人間の歴史に名を残してきたのだろうか。

人間には「無理を承知でチャレンジする時」があるのだろう。

 

そして運が味方して成功する場合もあれば

不運にも失敗するときがある。

 

******************************

突然だが、瀬戸町出身の冒険家、河野兵市さんの言葉を思い出す。

 

「支援してくれている人のことを思ったら

やっぱり辞められなかったですよ」

 

97年、日本人初の北極点単独徒歩到達を果たした河野さん。

「きょうは誰の日と決めて、その人のために歩いていました」という

言葉はとても印象深い。

 

カナダのワードハント島から北極点を目指し順調に歩みを進めていた。

しかし北緯88度付近で厳しい乱氷帯に遭遇すると、

行く手を阻まれ、流され始め、さらに激しい嵐に足止めをされ進退窮まった。

「これまでか・・・」

河野さんは救助要請をする覚悟を決めたという。

 

しかしその時、河野さんの手元には、

故郷瀬戸町の川之浜小学校の児童たちが寄せてくれたたくさんの手紙があった。

「あきらめないで、がんばってください」

 

結局、無理を承知で歩き始めた河野さん。

すると突然、霧が晴れ、視界が開け、一気に勝負をかけた。

「北極の扉が開いた気がした」

 

運も味方し見事、偉業を成し遂げた河野さん。

しかし、2001年、北極点から瀬戸町へ向かった次の旅の途中、

北極海の氷が突然割れ、冷たい海に転落し、還らぬ人となった。

 

*********************************

 

土佐さんは過去に

奇跡が起きたレースを経験していなかっただろうか。

 

北京では運が無かった。

それだけのことかもしれない。

 

ただ・・・それでも土佐さんは痛みに顔をゆがめ、涙を流しながら走った。

そしてその衝撃的な姿を私たちは、まばたきもせず、

中継画面の中に捉え、豆粒大になっても見続けた。

 

なぜ、土佐さんは足の運びを辞めようとはしなかったのだろう。

なぜあの姿を、私たちに見せ続けたのだろう。

 

土佐さんは、北京オリンピックを

マラソン人生の区切りにする決意を固めていた。

だから、どんなレースになるにしても

「マラソンという競技そのもの」を表現したかったとも思える。

 

爽快感だけでない、達成感だけでもない、

人生にも例えられることの多い「マラソン」という競技を。

 

 

土佐さんは、なぜスタートラインに立ったのだろう。

 

そして自分はどうだ・・・

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