「北京」と「ミュンヘン」結ぶ 58秒91
「25mまでスーッといった時に、
あっ!タイミングがすでに合っていると思って。
僕はもうここで優勝だと思いました」
そう話すのは、「田口信教」さん。
1972年ミュンヘンオリンピック、
男子「平泳ぎ」の金メダリスト。
あの「ニッポンのタグチ」だ。
どうしても感想をお聞きしたかった。
同じ経験をした者からの一言を。
「世界新記録」で「金メダル」を獲った者のみが知る世界を―
田口さんは言った。
「北島が25m泳いだ時点で金メダルを確信しました」
その眼力こそ「金メダル級」だ。
理由がある。
「このレースに出てる選手の中で1番泳ぎがいいんです」
とても分かりやすい。
そしてこう続けた。
「平泳ぎはキックで進みます。
その時、実はトップ選手たちはひねりを使うんです。
ただ、そのひねりのタイミングと腕のかくタイミングが難しい。
でも北島くんは、きょうは早くからそのタイミングが合っていた。
スタミナは後半になっても落ちないのは知っているので、
あ、優勝すると思いましたね」
そして「世界新記録」で「金」。
その重みを、36年前「世界新記録」で「金」に輝いた田口さんは
北島のどこに視線を注いでいたのか。
「難しいことを言うつもりはないんですけどね」
そう前置きした上で、次のように語った。
「平泳ぎという種目は、隣を見て泳ぐレースをするわけではないんです。
隣は見えないんです」
そうか、確かに息継ぎの時、正面を見据えたままだ。
クロールは息継ぎで横を向く。
そして田口さんは、こう続けた。
「隣が見えたら、それはもう完全に負けです。
見えないから自分との闘いなんです。
あのスタート時点の顔、表情、すごい集中している顔。
その辺が、彼のすごさなんですよね」。
スタートしたらゴールまで、脇目も振らず一心不乱に泳ぐ。
それが「平泳ぎ」。
クロールならば相手の位置を確認して
スピードを緩めることもできるだろう。
しかし平泳ぎはまっしぐらだ。
そしてきょう北島は「誰の姿も見ずに」泳ぎきった。
前方から加わる水圧に対し自分自身の皮膚感覚と会話しながら
初めて味わう未知の「圧」を追い求めるのに
夢中になった58秒間だったに違いない。
電話口の田口さんが楽しそうだ。
「彼がジャパンオープン、オリンピック選考会の時に、
『あなたが世界新記録出して金メダル取ってくれると、
また私も注目度が上がるから。
よろしくね。(笑)』って話したんですけど。
ホントにやってくれましたね」
1972年、「ニッポンのタグチ」は
遠くドイツの地で、日の丸をセンターポールに掲げた。
あれから36年。
その間、8度のオリンピックが行われた。
それでも田口さんは、私にこう言った。
「やっぱり『平泳ぎ』は日本のお家芸なんですかね(笑)」
「ミュンヘン」と「北京」。
田口さんにとって「あの日」はきのうの事。
そして、きょう日本中が酔いしれた「1人の若者」の快挙とは
時を超え、太く、強く、しっかりと結ばれていた。
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2008年8月11日。
北京オリンピック水泳男子平泳ぎ100m決勝。
優勝は「北島康介」。
アテネに続き2連覇達成。しかも「世界新記録」。
「58秒91」
北島は圧倒的な輝きを放ちながら100mを泳ぎきった。
「なんも言えね~。アテネの時より超気持ちいいです」
それは、感動を受けた私たちの言葉でもある。