高橋浩由の「スポーツ素敵に隠し味」

2008年06月27日(金)

「ボート界の第一次産業」大ちゃんが行く!


080625-takeda-3.jpg「あとは動物的な感覚があればね・・・」


 

北京オリンピックまで1ヶ月あまりとなった今月25日、

松山市の梅津寺海岸に現れた「大ちゃん」こと武田大作。34歳。

 

人っ子一人いない海、静かな海面、行き交うフェリー・・・

そんな中を静かに、スイーッと滑るように海面を移動する物体に目を凝らせば、

そこは「タイムスリップしたかのよ~に」あの日と同じ光景が広がっていた。

 

愛大付属「農業」高校出身で、ホームゲレンデは「海」とくれば、

まさに愛媛の「地産地消アスリート」といっても過言ではない。

 

大作さんの「優勝」を初めて目の当たりにしたのは、

1996年9月の広島国体だった。

広島県福山市の芦田川漕艇場で行われたボート成年男子シングルスカル決勝。

「ヨーイ ドン」

といっても、ゴール地点にいる自分から見ると、スタート地点の様子など豆粒のようで

スタートしたのかさえ良く分からない。

 

ところが、1分、2分・・・と時計が進み、

ようやく「あ、あれが大作さんだ」と分かる頃には

もうグングン艇速はあがっていて、見る見るうちにその背中は大きくなる。

そして、圧倒的な差をつけて堂々のトップフィニッシュ。

この時点で国体4連覇を達成した。

 

さらにその後も手を緩めることなく、

現在では、全日本選手権では7連覇を含め9度の優勝。

国体でも数えるのがいやになるほどの優勝を果たした。

 

人懐っこい笑顔を湛えながら陸にあがってくる姿には、

この若者が将来なにかでっかいことをするだろうという

オーラのようなものが見て取れたのを思い出す。

 

そしてアトランタオリンピックの惨敗など

まるで遠い昔のことのように、

武田はこの時すでに次のステップに走り出していた。

 

世界と渡り合うために―

 

武田は「軽量級」というカテゴリーで

しかも「ダブルスカル」という種目に的を絞ったのである。

 

そして2004年、シドニーオリンピック。

「無我夢中でした」

 

駆け引きどころか、ありったけの力を搾り出し、

日本ボート界初の決勝進出で6位入賞を果たした大作さん。

トップとは7秒あまりの差をつけられたが、

世界で戦える手応えを掴んだ。

 

そして満を持してメダルを狙いにいったのが

2004年のアテネ。

2大会連続の決勝進出は計算どおりだった。

そして迎えた決勝レース。

 

武田組はヨーロッパ勢の「レース運び」も「考え方」も「スタミナ」も

熟知していた・・・はずだった。

ところが、結果は6位。

後半勝負を挑んだ武田組だったが、

他国のペアは予想に反して、ペースが落ちなかった。

 

「いざ勝負!という時の彼らの底力までは計算できなかった。

 なにか動物的な感覚なんですよね。」

 

そしてタイム―

メダル圏内の3位との差は、わずか「1秒75」。

2000m漕いできて、「メダリスト」と「その他」を分けたのは

「あいさつ」をする程度の時間差だった。

 

ゴールした直後の武田。

「まだ行けるとも思えるし、逆にこれが限界なのかとも思いました」

 

手足が短い日本人。

手足の長い欧米人。

 

この、いかんともし難い現実。

しかし武田は「既に気がついていた」という。

ただこれまでは、あえてやってこなかったともいう。

 

「どうすれば欧米人と渡り合えるのか―」

 

分かっていてもトライせずに臨んだアテネオリンピック。

しかし、今回の北京は違う―

 

「今は、好不調の波が凄い激しいんです。

 いい時は世界のトップレベルまでいきます。

 ただ悪いときは、前よりも遅かったりするんです」

 

北京まで1ヶ月あまり。

武田は今、現在もフォーム改造に取り組んでいる。

 

テーマは「オールの運び」だ。

(詳しくはキャッチあいをチェック!)

 

そのイメージを刷り込むべく、武田は来る日も来る日も

課題に取り組んでいる。

 

「もう6位とか入賞とかはいらないんです。

 新しい課題に取り組まなくてもいいんですが、

 それではやっぱり6位になってしまうんです。

 でも、この取り組みをモノにできれば勝てるってことが分かっているんです。

 ダメな時は、徹底的にダメなんですが、

 勝てる方法が分かっているんだから、やっぱりその取り組みにチャレンジしたい」

 

イメージは表彰台のてっぺん。

しかしそのプロセスまで鮮明にイメージしていることに驚く。

 

「最後の最後まで力を絞りきって限界の一歩手前ぐらいでゴールになだれ込みたい。

 そして結果を見たら金メダルだった・・・そういうのが理想ですね」

 

そして最後に武田はこう加えた。

 

「ゴールしたときにどう感じるのか。

 銅メダルでも、達成感がくれば、それでやめるかもしれない。

 入賞にとどまっても、納得のレースであればやめるかもしれない。

 でも、優勝しても、満足いかない内容だったら・・・困りますね。」

 

次はロンドン大会―

 

「38歳でも、世界では実際、やっている選手いっぱいいますからね。

 とにかくゴールした瞬間に何を思うか― 僕にも分かりません」

 

決勝レースは8月17日。

女子マラソンと同じ日だ。

ニュースのトップ項目争いの行方にも今から注目が集まる・・・




2008年06月09日(月)

「ゴジラ高田」の逆転タイムリー



「ナイスバッティング!」

「ありがとうございます!」

2塁ベースから1塁ベースに向かって5、6歩戻ったあたり。
2人の笑顔が、カクテル光線に一瞬浮かび上がった。

********************************
2008年6月6日(金) 坊っちゃんスタジアム。
0対1。
福岡レッドワーブラーズが1点リードで迎えた4回ウラ、
愛媛マンダリンパイレーツの攻撃。
この回先頭の3番檜垣がセンター前ヒットで出塁。
4番嶋田、5番梶原が倒れた後、
6番比嘉のセンター前ヒットで2死1塁2塁。
ここで7番の大島。
調子は落としていても、元4番として期待は高まる。
スタンドの声援もピークに達した。
ところが、カウント2-2からの5球目は死球・・・
これで2アウト満塁。

ここで打席に向かったのは、「背番号55」。
8番、指名打者、「高田泰輔」。
そう、新田高校時代は「四国一のスラッガー」とも呼ばれた
あの高田だった。

****************************

去年11月。新居浜球場で行われた
四国アイランドリーグの高校生トライアウト。

受験者名簿の中に「新田」、「済美」の学校名を見つけた時の
気持ちの昂ぶりは今も忘れない。
なにしろ愛媛県内の、いわゆる「強豪校」から
直接アイランドリーグに勝負を挑んできたのだから・・・。
その1人が、「新田の高田泰輔」だった。

ところがグラウンドでアップ中の受験者の中に高田が「いない」。
この4ヶ月前、「夏の高校野球愛媛大会」の直前の
「シード校紹介」で取材をしたばかり。
忘れようがない・・・

と、その時、
グラブを持って小走りで目の前を通り過ぎた若者が目に留まる。
「いた!」高田がいた。
しかし・・・「痩せたな~!」

「夏の大会で負けてから、
動きのスピードを上げるトレーニングをしてました」

おそらく10キロ近く、体を絞っていたのではないか。
あの、「デン!」とした重そうな印象は微塵もない。
ひと目で、その「本気度」が伝わってきた。

確かに最後の夏、全くといっていいほど
高田のバットは湿っていた。
愛媛の高校野球ファンなら記憶に新しい、2年生夏の愛媛大会での
「バックスクリーン左に飛び込む特大アーチ」。
その残像は1年後の夏の大会中、
高田が打席に立つたびに思い出されたが
結局、再現には至らなかった。

ここまでの選手なのか・・・

しかし、そんな私の思いは全くの「杞憂」に過ぎなかった。
それが判明したのが、
このトライアウト「受験者名簿」を見た瞬間だった。
そして高田は私に言い切った。

「プロ野球に行くというのは、
 野球を始めた小学生の頃からの夢なんです。
 だから、なにがなんでも夢を叶えたくて、
       その第1歩として試験を受けました」

******************************

そして5ヵ月後の3月、
開幕を目前に控えた
愛媛マンダリンパイレーツナインの練習グラウンド。

どこまで仕上げてきたか。
高田の「バッティング」を見に行った。
ところが、また高田の姿が見当たらない・・・「いた!」

なんとそこは、「3塁側ベンチの裏」、グラウンドの外だった。
見れば高田は、「キャッチボール」をしている。
その距離およそ「10メートル」足らず。

「そうじゃない!左肩を開くな!もっとひねって!」

なんと高田は「ボールの投げ方」の指導を受けていたのである。
バッティングどころか、
野球のいろはの「い」まで立ち返っていた。

「全然ですよ。まだまだ。」

コーチするのは、田口大地選手。
去年のキャプテンで、4年目の今シーズンは
プレーイングコーチとして
ルーキーたちの指導を任されていた。

田口は、3年間このリーグで学んできたものを
来る日も来る日も高田らルーキーに注入していった。

高田がポツリと口にする。
「スピードも、パワーもまだまだです。
       やることは山ほどあります。」

そう語る表情は真剣で、余裕もない。
しかし明らかに、才能で勝負してきた高校時代とは違う
「闘争心」がにじみ出ていた。

高田がついに「本気」になっていた―

******************************

そしてさらに3ヶ月が過ぎた。
前期も残り10試合ほど。
ここまで「2位」のパイレーツだが、
高田は「指名打者」として
バッティングラインアップに名を連ねるまでになっていた。

迎えた6月6日。坊っちゃんスタジアム。
ホーム4連戦の初日、前日の試合でヒットを放ち
「感触」をつかんでいた高田は、
この日の第1打席、レフトフライながら
アウトコースの球を「レフトポール際」にまで運んでいた。

そして「第2打席」は4回に巡ってきた。
1点を追いかけるパイレーツは、「2アウト満塁」のチャンス。
ここでバッターボックスには「高田泰輔」が入った。

1球目、スライダーが外れてボール。
2球目、ストレートも外れてカウント0-2。

「カウント0-2になった時点で、もうまっすぐ1本に絞って
おもいっきり振ろうと思ってました」

そして3球目、インコースのストレートに高田は迷わず反応した。

「打った瞬間は『あ~』と思ったんですよ。
 セカンド寄りで詰まってたんで。
 でも、抜けたって分かった瞬間は素直に嬉しかったです」

結局、ライト前への「逆転」タイムリーヒット!

3塁ランナー檜垣が帰り、「同点」。
さらに2塁から比嘉も一気にホームを突き「逆転」に成功した。

2塁ベース上で小さく「ポーン」と手を叩いた高田。
そして―

1塁コーチボックスにいた「背番号71」が
2塁ベース上の高田に歩み寄り、手袋と肘ガードを受け取った。

「ナイスバッティング!」

「田口大地」選手だった。
愛弟子の勇姿に目を細めながら祝福の一言を真っ先に伝えた。

「嬉しかったですね。ありがとうございますって言いました。」

結局、このタイムリーが「決勝点」となりパイレーツが快勝。
高田はこの日、もう1本ヒットを放ち、
初の「ヒーローインタビュー」にも声がかかった。

「これからも1戦1戦、大事に戦っていきます」

****************************

「ヒット1本」に、どれだけの「汗」が注ぎ込まれているか。

「その1本」がどれだけ喜ばしく、深いものか。

1塁側スタンドのファンは、それを「知っている」。
そしてその1本から、「NPBへの長い道のり」が始まることも。

「愛媛のゴジラ」、高田泰輔。
背番号55の持つ重みに、
きょうもまた「フルスイング」を誓う。


6月6日(金) 坊っちゃんスタジアム 861人
福岡RW 010 000 000  1
愛媛MP 000 301 02×  6
2008年06月02日(月)

文字と真実


たまには日記を「書いてみよう」と思う。

いや、そもそもこの日記は
「キーボードを叩いて」文字を連ねているだけだ。
「手書き」の文字ではない。

最後に「手書き」の日記を書いたのはいつだろう。


   *   *   *   *   *


レンタルビデオ店に入った。

映画好きの私は、毎日映画を見ていたい・・・が、
最近は週に1本が精々だ。
なかなか時間がとれないのが寂しい。

だからレンタルビデオ店にズラリと並んだパッケージから
1本を選ぶ時はどうしても慎重になる。

そんな時、頼りにしているのが「手書き」のメッセージ。
店員さんたちが実際にその作品を見た感想を
短い「メモ」にしてあるアレだ。

すごく参考になる。
パッケージ上に踊る洗練された言葉よりも。

なぜか・・・

「手書き」の文字だからかもしれない。


1つの作品に2つも、3つも感想のメモが並んでいることもある。
字体も違えば、着眼点もバラバラだ。
でもその1枚1枚には「個性」がある。

作品を褒め称えたのもあれば、
役者の演技をこき下ろすものもある。
でも、賛否両論入り混じった作品ほど興味をそそられる。

借りたくなる。

その「手書き」の文字になら、騙されてもいいとさえ感じる。

なぜか・・・

時間を共有しているかのような感覚・・・か。

文字を書く。
手で書く。
汚い字だ。
もう少し綺麗な字が書けたらなあ。

でも、伝えたいことがあるのなら、やっぱり「手書き」を選ぶ。
そこには、「真実」があるような気がするからだ。
消しゴムの跡も、真実だ。

全てが「感情の軌跡」として、相手に贈られるからかもしれない。
そこに人間臭さを感じとれるからかも。

 ***   ***   ***   ***

きのう、娘の書いた日記を読んだ。

そして、自分の手を見る。


真実を伝えているだろうか――

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