高橋浩由の「スポーツ素敵に隠し味」

2008年02月24日(日)

坊ちゃんスタジアムに立てられた「黒獅子旗」


その旗がまぶしく見えたのは
冬晴れの澄んだ青空のためばかりではないだろう。

金色をベースにした布地の中央には
勇ましい黒獅子が左向きに刺繍されている。
そしてその獅子の目と鼻の先にあるのは
赤字に金色で縫い込まれた「優勝」の文字。

今月20日、社会人野球日本一のチームが
坊ちゃんスタジアムにやってきた。

「東芝」

去年の都市対抗野球大会の決勝戦を

東芝(川崎市) 7-5 JR東日本(東京)

のスコアで制し、8年ぶり6度目の優勝に輝いた名門チームだ。

坊スタでの春季キャンプも6年連続と
この時期恒例となっているだけに
迎える野球王国サイドとしても、鼻が高く悦ばしい。

折りしもこの前日、東芝本社では
「HD DVD」対「ブルーレイ」の対決に、
無念の白旗を揚げたばかり。
日本一の誇りを胸に抱くナインにとっても、
いかんともし難い大きなうねりの前に無力感に苛まれたことは
容易に想像はつく。

「しかしそんな時こそ!」の思いは、
松山の青空に痛いほど突き刺さり
スタンドネットに掲げられた横断幕のスローガン、
「絆 ~再び頂点へ~」の文字に刻み込まれた思いは深く、重い。

今回も10日間の日程でチーム作りに励む東芝ナイン。

「個人のレベルアップを図り、
シーズンに向けての総仕上げとして
  今年1年しっかり戦っていけるよう頑張ります」
結城充弘キャプテンの言葉にも力がこもる。

そんなナインの勲章である
都市対抗野球大会の優勝旗、「黒獅子旗」だが、
その裏地に何が書かれているかを知る者は少ない。

見るとそこには、第1回大会から第78回大会までの
歴代の優勝都市とチーム名が全て刻まれていた。

一番左上が、第1回(1927年) 大連市・満鉄倶楽部(満州) だ。

第10回大会(1936年)には、
門司市・門司鉄道局 が優勝したのをきっかけに
八幡市・八幡製鉄 、東京市・藤倉電線と企業名が続く。

1943年-1945年は太平洋戦争激化のため開催中止 になったが、
その先に並ぶ名前には、やはり懐かしさを覚える方も
多いかもしれない。

第21回(1950年) 大会から3連覇を果たしたのは、
大阪市・全鐘紡 。
第27回大会(1956年)に初優勝を果たしたのは、
横浜市の日本石油だった。

そして黒獅子旗の上から2段目の中央やや右には
こう刻まれていた。

第30回(1959年) 松山市・丸善石油

その後も熊谷組、 電電近畿、 電電関東、新日鐵広畑、
日本鋼管、 大昭和製紙北海道、 神戸製鋼 。
そして川崎市・東芝が初優勝したのは、
第49回大会の1978年だ。

その後も生保にホテルに自動車に・・・
そこに刻まれていたのは、
まさに「日本の近代史そのもの」である。

しかし今、国内の社会人野球の企業チーム数は
ピーク時の3分の1と激減。
不況のあおりを受け、その歴史に幕を閉じたチームは後を絶たず
選手たちも、監督も、あらためて企業チームという形態の
特殊性を実感した。

もちろん、松山市の「NTT四国」もそのひとつだった。

剛速球でPL清原を3打席連続三振に封じた渡辺智男は西武へ。
男・西山一宇はジャイアンツへ。
山部 太はヤクルトで息長くマウンドに立ち続けた。

しかし彼らの第2の古里NTT四国硬式野球部は
1999年、NTTの再編に伴いその歴史に幕を閉じ、
芝の美しかった重信のグラウンドも
今や大型スーパーの敷地となった。

最後の都市対抗野球四国予選決勝で1点差で敗れたNTT四国。
試合後、緒賀監督、笠原主将らナインが一列になって
スタンドに頭を下げたシーンは
「白球の消えた夏」という番組と共に今も目蓋に焼き付いている。

その後「社会人野球の灯を消してはならない」と誕生した
「松山フェニックス」。

さらに「野球で夢をみる若者たちに、その場を提供してみたい」と
2005年に誕生した「四国アイランドリーグ」へと
歴史は繋がった。


この日、坊ちゃんスタジアムに立てられた「黒獅子旗」。
社会人野球日本一の勲章は
松山の澄んだ青空の下、北風にゆるやかになびいていた。

その旗を手に取ると、ずっしりと重い。
2008年02月16日(土)

アイランドリーガーの想像力は




あっという間に2週間あまりが過ぎた。
愛媛マンダリンパイレーツナインも
連日、厳しいトレーニングに励んでいる。
ルーキーから4年目の「大地」まで。
どんなチームが出来上がるか、本当に楽しみだ。

選手たちは、夢に向かって全力投球できるこの環境を
納得のいくまで、とことん「利用」して欲しいと思う。
シーズンを一気に駆け抜けてもらいたい。
環境に「慣れる」ことは大願成就の絶対条件ではない。

2月1日。
キャンプインに際し、石毛シニアアドバイザーは
小さく固まった円陣の前で、選手にこう語っている。

「きょうから長丁場だ。
 疲れた。休みたい。ズルしたい。
そう感じることもあるかもしれない。

しかし、『なぜここに来たのか』っていうことだ。
 NPBに、なぜ行けなかったんだ?
現状認識することだ。

 遊びたい、おしゃれしたい。
 そう思ったら、髪の毛を切れ。
 おしゃれするにもエネルギーがいる。
 しかしそんなことにエネルギー使っている暇なんか無いんだよ。
無駄なものは省いて、
野球だけに集中する生活スタイルを作っていく。

なぜなら、来年は無い。
時間はあるようで無い。
1分、1秒を大切に。絶対に優先順位を間違うな」


熾烈な生存競争を16年に渡って繰り広げ、
その先頭をひた走ってきた石毛シニアアドバイザーの言葉は重い。

そんな言葉を胸に晴れて夢のNPBの扉を開けた選手たちも
今、南国のキャンプ地で自信の可能性と戦っている。

きのう1人のピッチャーがマウンドで血祭りに上げられている姿を見た。
香川オリーブガイナーズ出身、読売ジャイアンツの深沢和帆投手だ。
アイランドリーグ時代には、
球持ちが良く、ぐっと遅れて出てくる左の腕によって
安定感抜群のピッチングを見せていた深沢。

しかし、きのうの宮崎サンマリンスタジアムの紅白戦。
紅組の2番手としてマウンドに上がった深沢は
全く別人のように見えた。

緩急を効かせ、フォークボールで空振りを取るシーンには
懐かしさを感じたが、
それも束の間、投げては打たれ、投げては打たれ・・・
しまいには連続ホームランを浴びるなど
2回を投げて5安打で自責点7。
ストライクを取りに行った所を確実にもっていかれた。
深沢にとってはとてもチームメイトとは思えなかっただろう。

白組の先発も、新田出身の越智だったが、
2回を投げて、3安打、自責点2とこちらも苦しんでいた。

質の高い、確率の高い、一投一打。
相手がいない中では百発百中が当然の世界。
その精度の中で凌ぎを削っている緊張感は
なかなか想像できるものではない。

が、しかしそこに割って入っていこうという
アイランドリーグの若者たちには、当然たくましい想像力が求められる。
その緊張感をイメージさせたいという石毛シニアアドバイザー。
それができれば、北風吹きすさぶ土のグラウンドでの練習でも、
取り組む姿勢が変わってくるだろう。

「意図の無い1球」はコースが良くても淘汰され、
「魂の篭った1球」は甘くても打ち取れる。

そんな当たり前のことをあらためて思い出させられた。
2008年02月06日(水)

鹿児島から学ぶこととは・・・愛媛FCキャンプイン



「去年は鹿児島の前から、やばいな~と思ってたが、
 今年はそれは無いですね」

おっ、聞いた事無いようなコメントだぞ。

「ここまで結構順調なんで、楽しみにしてます」

鹿児島キャンプに向かう直前、
松山空港で開かれた愛媛FCの壮行会。
その出発前、望月一仁監督は
笑みを浮かべながら報道陣の囲み取材に応じていた。

新居浜キャンプが大雪によって中止になったのは誤算だったが、
新加入選手が生活のリズムを作ることを含め、
松山に残って落ち着いてトレーニングに励めたことは
返ってプラスに働いた部分も多かっただろう。

その上、カマタマーレ讃岐と広島修道大学との
トレーニングマッチでも
まずは全勝を貫き、得点シーンも多く生まれている点も
望月監督の手応えをより確かなものにしているのは間違いない。

ただ・・・

MF宮原だ。

なんとも残念な故障である。
1月31日の練習中、右肩関節脱臼で全治3週間。
「幸い重傷ではない」とは、川井光一広報の話だが、
問題はそのタイミング。
2月5日の松山空港に、彼の姿を見つけることは出来なかった。


「リーダーシップ」というニュアンスより、
「キャプテンシー」という響きがぴったりくる
「深いプロ意識」=「危機管理意識」を宿したその言動は、
若手選手を奮い立たせ、ベテラン勢に初心を思い出させている。

「遊びじゃねえぞ!」

その言葉を鹿児島のグラウンドで聞くことが出来ないのは残念だ。

ただ、逆に闘将宮原の不在は若手選手の自主性を伸ばす上で
大きなチャンスともいえるし、
特に同じポジションのキム・テヨンには
本気でレギュラー取りを狙ってもらいたい。



「いつ桜島が噴火するか」

鹿児島市民は常にその緊張感の中で暮らしている。

「そして爆発したらどうするか」

その危機管理意識はDNAレベルに達している。

そんな日々の積み重ねは風土から気質へ、そして文化へと昇華し、
薩摩の歴史を紡いできた。

サッカーも難しい。
しかし、愛媛FCが鹿児島で学ぶものはそれ以上に多い。
2008年02月06日(水)

「悲劇のロスタイム」を乗り越えて・・・三島ラグビー部




「もう何が起きたのか・・・さっぱり分からなかったです。
 あんな衝撃的な敗北は初めてでした」

あの日から2ヶ月あまりが過ぎても
まだその悪夢は昨日の事のように目蓋に浮かんでくるのだろう。
三島高校ラグビー部 小川雄平キャプテンは、
白い息とともに、一気に吐き出した。

去年11月23日。
全国高校ラグビー県予選決勝。
三島は後半途中まで最大12点リードし、
2連覇に王手をかけていた。ところが・・・

残り4分で27対24の3点差。
そして後半ロスタイム、
北条の快足ウイング菊池選手にボールが渡り勝負は決まった。

北条29-27三島。

悲劇のロスタイムに続いてノーサイドの笛。
その瞬間、イエロージャージは緑の芝に崩れ落ちた。

先月31日。三島高校を訪ねた。
瀬戸内の海から吹きつける北風は冷たく、
背後にそびえる四国山地にぶつかり北斜面はうっすらと白い。
そんな夕暮れ前の午後5時。
ナイター照明にぽっかり浮かび上がったグラウンドだけは
熱気に包まれていた。
野球部、サッカー部、女子ソフトボール部、そしてラグビー部。
広いグラウンドも、若いエネルギーでひしめき合っていた。

「実は、悔しくてまだ決勝戦のビデオを見てないんです」

はにかみながらそう語るのは、野本聡監督。
きっと一生、見ないのだろう。
見なくても、思い出したくなくても、目に焼きついているだろう。

2月3日。日曜日。
この時期はさすがに県総合運動公園球技場の芝も冬枯れ色で
あの日の華やかさとは似ても似付かない。
しかしスタンドの熱気は、やはり決勝戦らしい雰囲気だ。

それもそのはず、三島の相手は
久しぶりの決勝戦に意気あがる松山聖陵。
烏谷、丹生谷コンビで長年叩き上げてきた伝統校の復活は
関係者にとっては明るい話題だ。
しかも、この日は野球部まで急遽応援に駆けつけ
一層雰囲気を盛り上げた。

地元の松山聖陵。
アウエーの三島。

しかし、キックオフ後はワンサイドだった。

確かにレギュラーの3分の2が
去年のメンバーである三島は強かった。

しかしそのプレー以上に印象的だったのは彼らの表情だ。
焦点がぶれない・・・というか、
少々のことでは動じないというか、
執念のような思いに突き動かされる中で生まれる
落ち着きのようなモノが、
イエロージャージからはオーラの如く発せられていた。

三島57-7松山聖陵

三島は新人大会初優勝。
しかし、あの「悪夢のロスタイム」の雪辱は
やはり年末の花園予選でしか晴らすことはできない。

その大いなる目標に向かい、
イエロージャージはこの日、力強く第一歩を刻んだ。
2008年02月04日(月)

河上さんに訊け!



若い奴らに必要なのは親父の小言だ。
それも、できれば辛口がいい。
しなやかでスマートなアスリートタイプが
もてはやされる昨今、骨太で当たり強い男は少ない。

というよりは、そんな男の作り方が分からないのが現状か。
しかし今、グラウンドで求められているのも
そんなタイプだという。
元四国アイランドリーグ代表の石毛宏典氏は言った。

「ファンは選手の人間臭さに魅力を感じ、
それを、お金を払って見に来るのだ」

その石毛さんが全幅の信頼を置いているのが、
愛媛マンダリンパイレーツ顧問の河上國男さん。
プロ球界著名人と様々な交流をもつ愛媛球界の重鎮のひとりだ。

これまでもパイレーツ選手の成長ぶりを見届けてきたが
4年目の今シーズン、チームの大幅な若返りに合わせ
ついに立ち上がった。

「古い指導法が、今最も新しいんだ」

その言葉に隠された意味と、実体験に裏打ちされた真理。
甘さを徹底的に取り除いたプロ意識の真髄とは・・・。

題して、「河上さんに訊け!」

今シーズン、随時お伝えしていきます。

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