坊ちゃんスタジアムに立てられた「黒獅子旗」

その旗がまぶしく見えたのは
冬晴れの澄んだ青空のためばかりではないだろう。
金色をベースにした布地の中央には
勇ましい黒獅子が左向きに刺繍されている。
そしてその獅子の目と鼻の先にあるのは
赤字に金色で縫い込まれた「優勝」の文字。
今月20日、社会人野球日本一のチームが
坊ちゃんスタジアムにやってきた。
「東芝」
去年の都市対抗野球大会の決勝戦を
東芝(川崎市) 7-5 JR東日本(東京)
のスコアで制し、8年ぶり6度目の優勝に輝いた名門チームだ。
坊スタでの春季キャンプも6年連続と
この時期恒例となっているだけに
迎える野球王国サイドとしても、鼻が高く悦ばしい。
折りしもこの前日、東芝本社では
「HD DVD」対「ブルーレイ」の対決に、
無念の白旗を揚げたばかり。
日本一の誇りを胸に抱くナインにとっても、
いかんともし難い大きなうねりの前に無力感に苛まれたことは
容易に想像はつく。
「しかしそんな時こそ!」の思いは、
松山の青空に痛いほど突き刺さり
スタンドネットに掲げられた横断幕のスローガン、
「絆 ~再び頂点へ~」の文字に刻み込まれた思いは深く、重い。
今回も10日間の日程でチーム作りに励む東芝ナイン。
「個人のレベルアップを図り、
シーズンに向けての総仕上げとして
今年1年しっかり戦っていけるよう頑張ります」
結城充弘キャプテンの言葉にも力がこもる。
そんなナインの勲章である
都市対抗野球大会の優勝旗、「黒獅子旗」だが、
その裏地に何が書かれているかを知る者は少ない。
見るとそこには、第1回大会から第78回大会までの
歴代の優勝都市とチーム名が全て刻まれていた。
一番左上が、第1回(1927年) 大連市・満鉄倶楽部(満州) だ。
第10回大会(1936年)には、
門司市・門司鉄道局 が優勝したのをきっかけに
八幡市・八幡製鉄 、東京市・藤倉電線と企業名が続く。
1943年-1945年は太平洋戦争激化のため開催中止 になったが、
その先に並ぶ名前には、やはり懐かしさを覚える方も
多いかもしれない。
第21回(1950年) 大会から3連覇を果たしたのは、
大阪市・全鐘紡 。
第27回大会(1956年)に初優勝を果たしたのは、
横浜市の日本石油だった。
そして黒獅子旗の上から2段目の中央やや右には
こう刻まれていた。
第30回(1959年) 松山市・丸善石油
その後も熊谷組、 電電近畿、 電電関東、新日鐵広畑、
日本鋼管、 大昭和製紙北海道、 神戸製鋼 。
そして川崎市・東芝が初優勝したのは、
第49回大会の1978年だ。
その後も生保にホテルに自動車に・・・
そこに刻まれていたのは、
まさに「日本の近代史そのもの」である。
しかし今、国内の社会人野球の企業チーム数は
ピーク時の3分の1と激減。
不況のあおりを受け、その歴史に幕を閉じたチームは後を絶たず
選手たちも、監督も、あらためて企業チームという形態の
特殊性を実感した。
もちろん、松山市の「NTT四国」もそのひとつだった。
剛速球でPL清原を3打席連続三振に封じた渡辺智男は西武へ。
男・西山一宇はジャイアンツへ。
山部 太はヤクルトで息長くマウンドに立ち続けた。
しかし彼らの第2の古里NTT四国硬式野球部は
1999年、NTTの再編に伴いその歴史に幕を閉じ、
芝の美しかった重信のグラウンドも
今や大型スーパーの敷地となった。
最後の都市対抗野球四国予選決勝で1点差で敗れたNTT四国。
試合後、緒賀監督、笠原主将らナインが一列になって
スタンドに頭を下げたシーンは
「白球の消えた夏」という番組と共に今も目蓋に焼き付いている。
その後「社会人野球の灯を消してはならない」と誕生した
「松山フェニックス」。
さらに「野球で夢をみる若者たちに、その場を提供してみたい」と
2005年に誕生した「四国アイランドリーグ」へと
歴史は繋がった。
この日、坊ちゃんスタジアムに立てられた「黒獅子旗」。
社会人野球日本一の勲章は
松山の澄んだ青空の下、北風にゆるやかになびいていた。
その旗を手に取ると、ずっしりと重い。