95年10月。
野茂英雄がドジャーブルーを身にまとい
トルネード旋風を巻き起こしたシーズン終盤。
愛媛のスポーツ界と出合ったのは丁度この頃でした。
そして年が明けた96年2月。
当時の上司から一言、指示がありました。
「月曜から金曜までスポーツコーナーをやれ」
それがどれほどのことなのか、
テレビ業界入りたての私にとっては全くの手探りでしたが、
よき先輩方に恵まれスタート。
全てはここから始まりました。
あれから12年間、
私の机の引き出しの奥には
A4サイズの1通の企画書がしまってあります。
「ITVスポーツ ウイークリー企画を考えるにあたり」
見出しはこうでした。
そして、その下の四角い囲みの中に書かれた言葉。それは・・・
「愛媛県のスポーツ界は、来るところまで来ている」
失礼を承知の上で言えば、
当時の私には危機的状況にあると映りました。
そしてその理由を私は次のように記していました。
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「福島国体 46位」
本県の国体での成績は天皇杯、皇后杯ともに徐々に下降線をたどり、
今年は史上最低2度目の天皇杯46位と、大不振だった。
「振り向けば高知」という状況のなか、このままの状態が漫然と続くと、
平成14年の高知国体では、史上最悪の結果も予想される。
国体がスポーツ界の全てではないが、
全体的な環境を整える上では
やはり現状を端的に表していると言える。
また、各競技ごとの全国大会でも単発的に好結果を残すこともあるが
継続的な力を持つ競技はやはり少数と言えよう。
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「愛媛FC」も「愛媛マンダリンパイレーツ」もない時代。
愛媛スポーツ界最大のトピックといえば、
やはり「甲子園」、そして「国体」でした。
グラウンド、体育館、道場、海、川、ダム湖・・・