
「相撲は『見る』ものです。
『やる』ものじゃありません」
プロの激しい当たりについて尋ねた私に対し
新入幕直後の1人の若者は、はにかみながらそうつぶやいた。
しかしその後、突き押し一本で14年余りを駆け抜け
2009年5月30日、
両国国技館で大銀杏に別れを告げた。
「玉春日断髪式、楯山親方襲名披露式」
この日、開場と同時に続々と詰め掛ける 大勢のファンを
「西予市野村町出身、元関脇玉春日。年寄、楯山親方」
サインと写真撮影に快く応じる元関脇の周りに出来た
2重、3重となった人の輪は
その後30分間続いた。
地元、西予市野村町をはじめ多くの県関係者ら
約6500人が見つめる愛媛色の国技館。
そして午後0時半すぎ、西の花道に元玉春日関が登場。
最後の呼び出しを胸に刻み土俵上へ。
午後1時、断髪式―
土俵上の中央でいすに腰掛け、微動だにしない元玉春日。
館内に響く、小さな金属音。
ひとり、またひとり・・・
郷土からかけつけた恩師、支援者、各界の先輩、後輩・・・
約1時間半
300人が大銀杏にハサミを入れ、
波乱万丈の土俵生活をねぎらった。
96年初場所の新入幕以来、通算67場所で444勝。
三賞5回、金星7個、最高位関脇。
特に、十両陥落後に成し遂げた復活三賞受賞は
相撲道に一生を捧げる覚悟の賜物だろう。
そして最後は、師匠の片男波親方。
潔くハサミをいれ、
部屋頭の大銀杏を見事に切り落とした。

「一番の思い出は、ケガをしたことです」
とっさに出た言葉かもしれない。
断髪式を終えた楯山親方はすぐに別室へ移動し
大きな姿見の前で「整髪」。
床山さんが髪を整える最中のことだ。
―ケガですか?
「はい、ケガをしたことによって精神的にも
本当にたくさんの事を教わりました」
そして、刻一刻と変化していく自らの頭を
鏡越しに見つめながら続ける。
「今までの相撲人生といいますか、
色々な思い出がよみがえってきました。
波乱万丈の15年間だと思います」
ドライヤーの熱風が新鮮だったのかもしれない。
力士から社会人へ、自らに送ったエールだった気がした。
「1つの節目、本当の引退だと思います。
まげを切り落とすということは」
―出発点ですね?
「はい、出発点です。スタートです、これから。
これまででなく、これからです」
このあと国技館地下のパーティ会場には
少なくとも10歳は若返った元関脇の姿があった。
しかし、会場ぎっしり詰め掛けた支援者らに
決意の言葉を述べたのは
間違いなく「楯山親方」だった。
「きょうが親方業としてのスタートだと思っています。
まだまだ分からない事が多いと思いますが、
ご指導ご鞭撻を頂きながら一生懸命頑張りたいと思います。
今後とも宜しくお願いします」
*******************************
1週間後、楯山親方の故郷、野村町を訪れた。
「愛媛マンダリンパイレーツ」の公式戦初開催の取材だ。
市内ほぼ中心部の小高い山の上にある「西予市営野村球場」。
初夏の強い日差しの元、1000人を越えるファンが駆けつけ
若者たちの一投一打に声援を送った。
サブグラウンドの駐車場もほぼ満杯。
その誘導係をしていた男性に声をかけた。
もちろん体格が「良すぎた」からだ。
「野球も好きですよ。クラスに野球部の友達もいっぱいいましたからね。
子供たちがプロの技に触れるのは、とってもいいことですよ」
―野球選手になりたかった?
「いえ、無理ですよ!
周りは相撲関係者ばかりでしたから(笑)」
野球場の下に広がる野村の街並み。
そこは、今も昔も変わらぬ「乙亥の里」。
きょうも、第2の玉春日の登場を静かに待っている。

(庭のスイカ 植え付け1週間後) 愛媛FCが8位で第1クールを折り返した。
「登録人数Jリーグ最少」という事実は
当初、マイナス面にしか映らなかった。
しかし現状、結果は逆に出た。
ケガの発生率などを考えれば
チーム運営に不安はつきない。
事実、確実に?けが人は出ている。
きのうもアライールの骨折が発表されたばかりだ。
しかし次から次へとやってくる試合を前に
現場はかなりのプラス思考でないと
やってられないと思う。
事実、キャプテン三上選手の言葉はシンプルだ。
「今、いるメンバーで出来る限りのことをやるだけです」
達観しているようだがそれは違う。
事実をまっすぐ見つめている。
それ以上どうしろというのか。
逆に、とても力強い言葉に感じる。
実際、そのプラス思考に支えられたチームは
7試合連続白星なしの時期に、
マイナス思考に陥ることなく多くを学んだ。
そして第1クールを3連勝で締めくくり8位につけた。
あっぱれな展開だ。
「あいつがいなくなったらいいパスが来なくなる・・・」
それなら、自分からパスをもらいに動けばいいではないか。
「あいつがいなくなったら攻撃にタメがなくなるかも」
それなら、中盤省略しても単調な攻撃になっても
FWが飛び出してみればいいではないか。
現状こそ現実であり、
わざわざ以前の状況と比較して今を嘆くよりも
「変化し続ける現状に対処し続けること」こそ
成長であり、勝利への近道なのでは―
サッカーも、そして企業も。
我が家の庭で地を這い始めた
スイカの茎を眺めながら
そう感じた初夏の午後だった。
(去年8月 庭のスイカ 約20個収穫) 
上島町「生名島」。
場所はこちらです。

愛媛マンダリンパイレーツの「離島初開催」。
5月17日(日)
盛り上がりました。
本当に。
岩城、弓削、魚島、生名で「上島4兄弟」。
合併によるとはいえ、
この4島の結束力は本当に素晴らしい!
上島町が一体となって「パイレーツ公式戦 生名島開催」を、
絶対に成功させるんだという強い思い。
両チームの選手にしっかり伝わっていたはずです。
なにより「売店」が最高!
写真が手元に全くありません!
特に、岩城島産「レモンポーク」は圧巻の味でした。
「今年の食肉産業展 銘柄豚コンテスト最優秀賞受賞」。
肉質、うまみ、柔らかさ・・・まいりました!
この愛媛マンダリンパイレーツ「生名島初開催」の模様は
あいテレビ「THE NEWSキャッチあい」で近日OAします。
さて本題・・・
そうです。
「生名島」といえば
「やり投げ」です。
「村上幸史」です。
「ベルリン」です。
「世界陸上 8月15日開幕 TBS系列独占放送」です。
これは宣伝なんです!
村上選手は間違いなく切符を掴んでくれるはずです。
去年は北京でした。
印象深いのは出場を決めた去年6月の日本選手権。
優勝を決めた一投。
やりが刺さった瞬間、恩師、浜元一馬コーチのガッツポーズ。
忘れ難い光景です。
「17歳」の時から取材をさせていただいた村上選手。
今「29歳」。
私、13年目にして初めての生名島上陸でした。
いい所です。
なんでもウマい!(またかっ)
いきなスポレク公園内にある
村上選手の功績を讃える展示コーナー。
「やり」もあります。

ここで育ったんだ・・・
今シーズンは自己記録を塗り替え絶好調が伝えられる村上選手。
「生名島」から 強く放たれたやりが描く 放物線の先には
「ベルリン」の 青い芝生が広がっているような気がいたします。
(あっ、どこかで聞いたような・・・?)
(前回に続く)
「だから愛媛FCが困っている」。
もちろん「入場者数」のこと。
愛媛FCのニンスタでの平均は現在「3907」人。
MAXで5653人。
下は2521人にまで下がる。
J2の平均が「6133」人。
愛媛は、18チーム中「15位」だ。
「スタジアムを松山市内中心部へ」
そんな声の「理由」や「経済効果」などは
もういまさらだ。
ただ、気運が一向に表立って盛り上がってこないのはなぜか・・・
もしかすると愛媛県民の深層心理に、
「新たなスタジアム」=「坊っちゃんスタジアム並みの施設」
・・・という感覚がないだろうか。
ない?ホントに?
現在、集客絶好調、広島新球場の「マツダスタジアム」。
前回記したように建設費は「坊っちゃんスタジアムより安い」。
坊っちゃんスタジアムは、かなり「立派な」球場なのだ。
こうした中、
「2万人収容のサッカー専用スタジアム」。
J1規格を満たすためにはこれが基準線だろう。
しかし今、愛媛FCサポーターが望んでいる
スタジアムの規模を尋ねてみて欲しい。
「なんなら、仮設スタンドでもいいのでは・・・」
そんな声も決して少なくない。
むしろ多いくらいだろう。
ホームゲームにやってくる「コアファン」は、約2000人。
この方々は、すでに自分なりの楽しみ方を心得ている方々だ。
アクセスの悪さよりも、
2週に1度やってくる「非日常空間」を満喫している方々だ。
そんな方々でさえ口にする「市内中心部にスタジアムを」という思い。
そこにあるのは・・・
「この素晴らしさを1人でも多くの人に教えてあげたい!」
そんな思いに集約される。
「愛媛」という名の下に必死になる選手たちに自分を重ね合わせ、
「誇り」を胸に一緒になって戦うことの楽しさ、喜び、充実感・・・
間違ってもサポーターという「限られた人」のために
利便性を良くしてくれと訴えているわけではない。
「中心部にあれば、これまで以上に楽に行ける」とか、
「終わったあとに飲みにいける」などという
一次的な欲求などではない。
東京はオリンピックでひとつになろうとしている。
愛媛は街中にみんなで作ったささやかな「サッカー専用スタジアム」で
ひとつになれはしないだろうか。
「聖地」とは、箱の大小で決まるものではない。
そこに集まってくる人が紡ぐ情熱の歴史によって、
いつしか「聖地」となる。
試しに!
市内中心部の広場に100m×70mの四角を書いて、
愛媛FCイレブンに来てもらうといい。
そこから、何か始まるかもしれない。
そう、1個のサッカーボールも忘れずに・・・
新広島市民球場。
マツダ ズーム・ズームスタジアム広島。
略称「マツダスタジアム」
初めて行った。
面白いスタジアムだ。
メジャーのスタジアムをイメージして
内野が天然芝で、スタンドの勾配も緩やかで、
ファウルグラウンドが狭くて選手が間近に見られて・・・。
そしてご存知のとおり
熱烈なファン向けの「パフォーマンスシート」をはじめ、
「ボックスフロア」に「パーティフロア」
「ブルペンレストラン」に「のぞきチューブ」などなど。
名前だけでもワクワクする。
さらに特徴的なのが左右非対称の造り。
レフトスタンドの中央付近がぽっかり空いているのだが
なんでだろう~とぼんやり眺めていると
突然「シューッ」と視界に飛び込んできたのは「新幹線」。
これはレフト後方が
「山陽本線」「山陽新幹線」の軌道になっているためだが
マツダスタジアムでは
その設計上の制約を逆手に取っているのがまた憎い。
なんとJRの乗客も球場の観客と見たてて、
車窓から試合をチェックできるということだ。
この独特の球場設計を担当したのは
「環境デザイン研究所」。
ここは、あの北島康介も何度も泳ぎ、日本選手権の会場としても有名な
「東京辰巳国際水泳場」などを設計している。
実は私もここによく通っていたのだが、
外から見ても中に入ってもなかなか楽しい場所である。
この日は、広島―阪神3連戦の初日。
結局私は、カープの試合前練習中だけの滞在で非常に残念だったが
RCC中国放送のスーパー実況アナウンサー「一柳さん」が
実況担当日にも関わらずアテンドをしてくださった。
深く感謝。
で、スタジアムに話を戻すが
あらためて驚くのは・・・
「マツダスタジアムの建設費は、坊っちゃんスタジアムより安い!」
・・・という事実。
坊っちゃんスタジアム 118億円
マツダスタジアム
本体建設費 90億円+22億円
→ロッカー、スポーツバー、球団事務所等
カープファンでぎっしり埋まるスタンド。
ビッグなスコアボードなど、
完全プロ使用のこのスタジアムが
なぜ・・・坊っちゃんスタジアムより安いのか。
それはスタジアム内のプレスルームに向かう道中に一部判明した。
「これで完成・・・なんですよね」
ファンの目に触れないような通路などの天井、壁などは
極力簡素な造りになっていたのだ。
エアダクトなどはむき出しの所が多く、
構造上問題ないところは「壁」というよりは「仕切り」に感じる。
実際、様々な工夫で建設費を抑制したことこそ「メジャー仕様」なのだ。
坊っちゃんスタジアムの通路や壁、
ロッカー、会議室などを思い浮かべるとその差は歴然だ。
そう「坊っちゃんスタジアム」はあらためて「立派な」球場なのである!
だから!「愛媛FC」が困っているのである!
(次回、聖地の条件は「箱」≦「人」 につづく)

今から5年前。
日本初の独立リーグ、四国アイランドリーグが開幕する3ヶ月前のこと。
福岡ヤフードームの3塁側ダグアウト前には
2重、3重の円陣が出来ていた。
最終トライアウトの受験者たちだった。
その輪の中心には、石毛宏典さん。
この日、石毛さんは「11分間」に渡り思いのたけをぶちまけていた。
その中にあった一節―
「なぜ打てないんだろう。
どうしたら打てるんだろう。
嬉しい、悔しい・・・その都度現れる感情の起伏。
その振れ幅がこれぐらい(指先程度の)奴と
これぐらいの奴(両手を広げた位)。
それが大きい奴ほど、人間的に魅力がある。魅力がある。
そこに人間臭さが出てくる。
それを、お客さんは見に来るんだよ!
今、そういう奴が少ないから
プロ野球の人気が落ちてんだよ!」
あの瞬間、「7872人のため息」を君はどう聞いただろうか。
何を感じただろう。
忘れてしまいたいが、
一生忘れられない瞬間になったに違いない。
しかしスタンドのファンが見たいのは、
そこから君がどうするか― その一点。
なぜならファンは、君の背中に自分を重ね合わせているからだ。
エラーを見て、スタジアムを去った人を追う必要はない。
立場は違えど、あの瞬間を共有した者同士が
次に向かって何ができるか―
あれから48時間が過ぎた。
君はもう、きっと動き出しているに違いない。
シーズンはあっという間だ。
しかし必ず、何度か成長のチャンスは訪れる。
それが「今」であることを疑う余地はない。
愛媛FCのキャンプ地は「鹿児島」だ。
鹿児島は「1番」が好きらしい。

「桜島」である。
いわずと知れた活火山。
錦江湾からそびえ立つ堂々たる姿は国内屈指の存在感を湛える。
有史以来、大噴火3回。
この日も噴火した。
火山灰の行方を鹿児島県民は、
テレビ局の「桜島上空の風向き予報」で確認する。
いつ、噴火するか分からない活火山が目の前にある生活。
それが日常。
なにも問題ない。
ついでに桜島大根の大きさは「世界一」だ。
ギネスブックにも認定されている。

「桜島フェリー」。
鹿児島市内中心部と桜島を15分で結ぶ。
昼間10分間隔、24時間休みなし。
年間利用550万人、車両164万台は国内屈指の数字だ。

「西郷隆盛像」である。
鹿児島空港の目の前、西郷公園にそびえ立つ。
鹿児島に到着した愛媛FCイレブンと目が合ったはず。
ただ正式名称は、「現代を見つめる西郷隆盛像」という。
高さ10.5メートル。
実在の人物像としては日本最大だ。
「蒲生のクス」だ。
場所は鹿児島県蒲生町。
愛媛FC 対 城南一和への取材の道中に発見。
国指定特別天然記念物に指定されている。
樹齢1500年。
根廻り33メートル。
高さ30メートル。
「日本一」。
文句なし。

日本一に驚いていると、今後は世界一だという。
薩摩川内市の竜仙郷。
直径13メートル。
名前を「世界一郷水車」という。
「蒲生のクス」は大地から与えられた日本一。
水車は明らかに1番を 「狙い」 に行っている。

「叫びの肖像」
2004年8月21日 長渕剛桜島オールナイトコンサート。
2006年3月19日に記念碑建立。
吠える先には桜島の噴火口。
日本一叫び続けている像である。
思いは、マグマより熱い。
「1番」を抱え、「1番」を守り、「1番」を狙う鹿児島。
私はどうだ?
君はどう?
そして愛媛FCイレブンは・・・
2008年が終わろうとしています。
今年も、様々な場面、場所で
多くの方々に大変お世話になりました。
この場を借りて、誠に有難うございました。
かつてない不況に冷え切る社会の中、
スポーツ界でも名門クラブが次々に廃部に追い込まれるなど
状況は深刻です。
もちろん県内でも愛媛FCを筆頭にマンダリンパイレーツなど
その足元を固めていくのは容易なことではありません。
ただ、スポーツはどんな世の中にあっても
社会を明るく、元気にし、感動と生きる勇気を与えてくれます。
灯を消してはいけません。
こんなときだからこそ、知恵と汗が必要です。
2009年は愛媛スポーツ界の勝負の年。
私も、足場を固め、来るべき時に備えたいと思います。
来年も、どうぞよろしくお願いします。

冬の夕景 Photo by hiroyossy
「ラグビーで流れを変えるのはやはりタックルですよ」
そう一言つぶやいて西の空に目をやった1人の青年監督は
眩しそうに目を細めた。
2008年11月21日。午後5時過ぎ。
午前中からの雨が上がり西の空の雲の切れ間からは
青空が顔を出し始めていた。
この1時間前、私は新田高校グラウンドに到着した。
3日後の大一番に向けての取材だ。
全国高校ラグビー大会愛媛県予選決勝。
3年ぶりに花園に王手をかけたチームの戦力を
あらためて確認するためだった。
ところがグラウンドに誰もいない。
(3日前だし、金曜日だし、他の部活はやってるし、
もしかして練習終わってしまったか・・・)
「・・・留守番電話に接続中です・・・・」
大西監督の携帯は2度、機械的に私に告げた。
「すいません、ここからグラウンドは見えないんです・・・」
さらに代表電話の向こうの方にも食い下がってしまった。
ラグビー部が、きょう練習していたかどうか、
いないなら今、大西監督はどこにいるのか・・・
「ちわ~っす」
いた。
選手たちの元気な声が響き始めたのは午後5時を回った頃だった。
ミーティング中だったという。しかし、1時間も―
「いや~、長くなってしまいまして」
大西監督だ。31歳、監督3年目。
「選手たちといい会話ができました。自然な感じの」
聞きたい。サマリーだけでも。
「ん~、自分たちにとってやられてイヤなプレーは何だと思う?って」
やられてイヤなこと?
「それは、相手にとっても同じこと。
そこを突けばいいんじゃないか?って」
イヤなことはいっぱいあったのだろう。
少なく見積もっても半分の30分間は
自分たちの弱点をさらけ出しているはずだ。
しかし今の今まで考えたくもなかった自分たちの弱点に正対すると
かえって気持ちがすっきりするかもしれない・・・
なによりも「己を知る」ことは、敵を倒す上での絶対条件だ。
このチームが「このチームらしく」戦うために―
「明らかに三島さんの方が力は上ですよ。
でも、3度同じ相手に負けるわけにはいきません」
では、どうする。
「タックルで勝つ。タックルで前に出る。
最後は気持ちが強い方が勝つ。そう信じています。」
照明塔にはまもなく灯がともり、実戦練習が始まった。
土のグラウンドにはあちこちに「水溜り」。
選手たちのジャージはあっという間に色を失い敵か味方か
見分けがつかなくなった。
*********************************
3日後、雨。
決勝戦の試合開始を告げるホイッスルが鳴った。
花園切符をかけたファイナル。
新田のキックオフ。
ボールの落下点目指してなだれ込んでいく
濃紺にブルーラインのジャージ。
目を引く出足の鋭いタックル―
それは30分間休み無く続いた。
新田は第2シード。三島は第1シード。
そこに至る経緯はこうだ。
1月の新人大会準決勝 ○三島32-7新田。このあと三島が優勝。
4月の四国大会県予選決勝 ○三島55-0新田。
6月の県高校総体決勝(10人制) ○三島24-7新田
つまり全部三島の勝ちだ。既に3冠達成。
この試合に勝てば去年の北条に続き4冠を達成することになる。
そして新田は今シーズン、三島に3連敗という事実。
ただ、最後の直接対決、県総体からは5ヶ月あまり・・・。
高校生年代の若者の吸収力からすると、
何かを身に着け、自信を手に入れるには決して足りない時間ではない。
もちろんそこには「気持ちの強さ」が必要になるが。
前半30分が終了した。7対0で三島がリード。
しかしわずか1トライ1ゴール差。
「新田にとってはもう、上等上等の内容ですよ」
実況席の解説、小山田眞也さんがうなる。
(大分国体少年の部監督、東予ラグビー部監督)
ハーフタイム。円陣の中央で選手を前にする監督大西良。
言葉は短い。迷いはない。
後半一気に勝負に出る覚悟を固める。
自分たちらしさを全面に出して―
*********************************
実は大西監督には、苦い思い出がある。
新田OBの大西監督は、FWフッカーとして
現役時代93、94年度と2度花園に出場した。
2回戦で敗れ、正月を花園で迎えることは出来なかったが
その後、169センチ80キロの小柄なファイターは
法政大学でも活躍し、4年生の時にはキャプテンに抜擢された。
この年、法政は強かった。
新田OBの坂田正彰選手(元日本代表~サントリー)が
キャプテンを務めた94年、関東大学ラグビー対抗戦で
2位になった法政は、その後、次第に順位を落とした。
しかし大西選手の入学以降、法政は再び息を吹き返し
98年11月22日の秩父宮に乗り込むことになる。
そして大西キャプテン率いる法政は
「関東学院大学」との死闘を制し5年ぶりのリーグ戦優勝を飾った。
○法政大 34-32 関東学院大
しかし話は続く。
その1ヶ月後の大学選手権。
法政は1回戦で「日体大」を91対12で圧倒し
2回戦で「早稲田」との対戦が決まった。
しかしここでキャプテン大西を悩ます事態が発生した。
実は日体大戦の大勝は、主に「バックス展開」によるもので、
その圧倒的な勢いに、首脳陣やOBらからは
「次もバックス展開で行け!」という要望が多数寄せられた。
ところがキャプテン大西は全く逆の考えだった。
「このチームが本当に自信を持っているのは『フォワード』。
やはり自分たち本来の姿で勝負するべきだ」
そして98年12月27日。
晴れ渡る年の瀬の秩父宮での「早稲田」戦当日、
大西は決断した。
「もう1試合バックスで勝負して、
次の準決勝からフォワードで行こう・・・」
確かにこの年、早稲田は本来の強さはなかった。
この時の早稲田には、センターに啓光学園出身の山崎勇気(4年)という
スター選手がいたが
シーズン前の交流戦でも、黒星ながらわずか4点差。
なによりも法政には勢いがあった。
ところが結果は―
法政大●16-20早稲田大
バックス展開は早稲田の出足の良さに寸断され、
最後はインターセプトによるトライ1本差で法政は涙を飲んだ。
あれから10年―
母校の監督に就任して3年目。
「あの日のことは、今でも反省しているというか、
後悔しているんですよね。先を見てしまったというか・・・」
*********************************
今シーズンを締めくくる花園予選決勝も残り30分。
得点は0-7で三島がリード。
しかし、監督大西に迷いはなかった。
新田らしさとは何か、自問自答するまでもなかった。
タックルで勝つ。タックルで前に出る。
そして勝負に出た。
後半 1分、まずキャプテン11番増田がトライ。
後半 7分、再び増田のトライで逆転。
後半13分、6番徳田がPG成功。
後半25分、12番逢坂がトライ。
結局、後半怒涛の攻めを繰り広げた新田が優勝。
3年ぶり44回目の花園切符。
監督大西は、初めて男になった。
決勝
○新田 24-12 三島
そして5分後。
監督大西は、泣いた。
これまでのラグビー人生を脳裏に浮かべ、
長い沈黙のあと全ての思いは嗚咽に押し出され、
大粒の涙となって芝の上に落ちた。
「最後まであきらめない気持ちが出たと思います」
搾り出すような声だったがもう一言付け加えた。
「新田高校らしく、『タックルで前に出る』というのを
全国で示せたらいいかなと思います」
全国高校ラグビー大会愛媛県予選
優勝 新田高校ラグビー部
監督、大西 良 31歳。
試合後、ニンジニアスタジアムでは雨があがった。
雲の切れ間からは10年前の秩父宮と同じ、青空が覗いていた。
「宙に舞う沖監督の表情を正面から撮りたかった」
ただそれだけだったのですが・・・
全てのテレビ局の胴上げ映像にカメラマンとして映りこんでしまいました。
この度は大変お騒がせしました。
それにしても、この時私の頭の中では
この4年間の出来事が走馬灯のように駆け巡っていました。
目の前の選手たちと、
チームを去っていった選手たちが
何度も何度もオーバーラップしていました。
今回の優勝は
パイレーツの1期生、2期生、3期生、そして4期生が
束になって勝ち取った優勝です。
2005年4月1日、マドンナスタジアムで
愛媛マンダリンパイレーツとして25人の選手が初練習を行って以来
2008年9月21日まで
開拓者たちの思いが1本の道となって
しっかり繋がっていたことに感動を覚えます。
選手が、スタッフが、球団職員の方々が
これまでこの愛媛で流してきた汗、そして涙・・・
それらがどれだけ県民の生きる糧、心の支えになり、
なによりも野球ファンを楽しませてきたことか。
どうぞこれからも
迷うことなく走り続けてください。
[パイレーツ優勝を支えた方々]
木谷智朗さん、坂田晋一さん、田坂賢一郎さん、浦川大輔さん、
木村吉久さん,小山内大和さん、西山道隆さん、江村卓也さん、
前田真宏さん、豊田光さん、赤井慎太郎さん、広田嘉明さん、
李 鐘ひさん、今村遼太さん、荒木康一さん、金田徒至さん、
中谷翼さん、林真輝さん、金輪圭祐さん、日野博幸さん、大下敦司さん
坂下素直さん、河野光雄さん、安達輝誠さん、DJ(益本大祐)さん、
久保井雄慈さん、マサシ(増田真士)さん、藤谷雄也さん、
松坂恭平さん、伊藤大輔さん、溝渕一樹さん、小田島一樹さん、
吉田臣希さん
梶本達哉さん、荻野優二郎さん、山本紘平さん、松本 悠さん、
竹村優児さん、外間修平さん、グレアム義季サイモンさん、町田知之さん
そして、写真の中のあなた達!
本当に、初優勝おめでとうございます。

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