
尾藤監督の告別式が
きょう和歌山県で営まれました。
高校野球一筋の人生。
甲子園に愛された人生。
本当に素晴らしい、男の生き様・・・
心からご冥福をお祈りします。
あの日―
晩御飯が並ぶ我が家の食卓で
家族で釘付けになった延長18回。
ブラウン管の中、
カクテル光線に浮かび上がった甲子園で
まさかのドラマを、死闘を演じ続けた
「星稜」と「箕島」。
陣頭指揮を執った若き、尾藤監督の
前のめりになった姿、そして「スマイル」。
17年後―。
1996年8月。
私が愛媛に来て11ヶ月目、
松山商業が全国制覇を果たしましたが、
その4ヶ月前―
1人の高校球児の人生を変える出来事が起きました。
鹿児島実業の優勝で幕を閉じた春のセンバツ。
その大会を沸かせた実力派選手が集められ
高校日本代表が編成されました。
「AAAアジア野球選手権大会」に出場するためです。
その選抜メンバーに、
甲子園の土を踏んでもいない無名の選手が
1人抜擢されました。
宇和島東高校3年 「岩村明憲選手」です。
そして、その代表監督が「尾藤さん」でした。
日の丸軍団の4番に抜擢された岩村選手は
フィリピンのリサール・メモリアル・スタジアムで
ホームランをかっ飛ばすなど大活躍。
あの「ベーブ・ルース」の横には
「AKINORI IWMURA」の名がペイントされるなど
尾藤さんの眼力に、周囲はあらためて驚くことになりました。
上甲監督には「スマイル」を。
岩村選手には「自信」を。
尾藤さんが高校球界に残した数多くのエピソード。
野球王国愛媛の歴史にも
その足跡はしっかりと刻まれています。
合掌
日曜日の朝。携帯電話の着信音で目が覚めた。
高校、大学時代の友人からのメール。
「これから出走します」
東京マラソンだ。
リモコンを握る。
凄い絵だ。人が道を埋めている・・・
この中で彼も今、走っている現実。
彼は6時間かけてゴールした。
そして彼が、晴海から豊洲あたりを疾走している頃・・・
東京千駄ヶ谷の国立競技場。
「ラグビー日本選手権決勝」が始まった。
サントリー 対 三洋電機。
自陣から回すサントリー。
強烈なタックルの三洋電機。
そして後半34分、背番号16が登場。
「山本 貢」。
新田のキャプテンも今や28歳だ。
フロントローの中央で体を張っている。
メインスタンドの影から日なたに出ると
赤いジャージは燃えていた。
激闘の末、軍配はサントリー。
監督就任1年目でチームを頂点に導いたのは
「エディ・ジョーンズ」。
2003年ラグビーワールドカップで
オーストラリアを準優勝に導いた名将だ。
そしてその栄光を掴んだスタッフの中には
新田ラグビー部出身で元日本代表、
そして現在チームディレクターの
「坂田正彰」さんが。
また、元日本代表監督で、サントリーの監督、部長も務めた
松山大学ラグビー部監督の「山本 巌」さんの
祝福する姿も目に浮かんだ。
80分間のドラマ。
6時間の生き様。
早春の陽光はこの日、
どちらにも等しく降り注いだ。
茂木健一郎さんにお会いした。
脳科学者が訪れたのは「白洲正子展」。
愛媛県美術館で開かれている。
http://www.ehime-art.jp/tenrankai/now/index.html
なぜ?
そう、茂木さんは白洲正子の孫、
白洲信哉さんの友人だった。
入場口で待つこと10分。
お付の人が来て一言。
「茂木さん、今、原稿書いてる」
本当だった。
脳を働かせるためにキーボードを叩き、
活性化した脳でまたキーボードを叩く。
そして挨拶。
普通に見えた・・・だけだった。
重要文化財「日月山水図屏風」の前にまっしぐら。
そして眺めること計1時間・・・。
動かない。
「いい絵は何時間見てもあきない。
見た分だけ、色々なことが分かってくるから」
屏風とは5年ぶりの再会だという。
茂木さん続けて
「100円ショップでスケッチブック買って、
自分で線を書いてみるんですよ、同じように。
そうすると、その凄さが分かるんですよ」
納得。とても分かりやすい鑑賞方法。
でも今まで絵の前では気がつかなかった。
カメラを回してインタビュー。
「正子さんは、自分のことを信じていたと思う」
信じることは物を見る上でも大事なんですか
脳科学的にも・・・
茂木さんが笑顔になった。
さつま町のかぐや姫グラウンドで見た選手たちの表情は非常に良く、
バルバリッチサッカーへの信頼感を感じると同時に
ポジション獲得への熱い意欲が各選手から感じられた。

特にセンターバックの池田昇平、吉弘充志の新加入コンビは
昨シーズン鉄壁を誇ったアライール、小原コンビに比較されることに対し
相当の覚悟と闘争心をたぎらせている。
それだけにKKウイングのジェフ千葉戦での吉弘の負傷は残念だ。
1本目の終了間際、ハイボールに飛び込んで
相手選手と競った時に痛めたようで
ストレッチャーで運び出されてしまった。

試合後は松葉杖姿でロッカーから出てきたが、
表情は明るくファンとの写真撮影にも応じるほどだった.
全治6週間は、バルバリッチ監督も頭が痛いはず。
しかし、愛媛には「金守」がいるではないか。
大いに期待しよう!(カードだけは気をつけて)
開幕まで1ヶ月を切ったJリーグ。
インテル長友の大活躍でオフシーズンの全くなかった愛媛だが、
前のめりのまま「おらが町」のオレンジ軍団にも声援を送りたいと思う。
、
「外から見ているのはこんなにヒヤヒヤするんやな~」
きのうのラグビー日本選手権の予選、神戸製鋼vsNEC戦を
花園ラグビー場のスタンドから観戦した大畑大介選手。
日本ラグビー界きってのスター選手だ。
今月9日の試合中の大ケガで、豊田自動織機戦が
事実上の引退試合になってしまったが、
気持ちの整理をつけようと放ったであろうこの一言に
寂しさを感じてしまうファンは多いだろう。
それはそうと、大畑選手の言葉どおりこの試合に限らず
今年のラグビーはやはり面白いと思う。好ゲームが非常に多いのだ。
トップリーグも接戦が多く、実力拮抗の印象があるし、
花園の高校ラグビー決勝で東福岡と桐蔭学園が演じた
「両校優勝」というフィナーレも感動した。
そして
大学選手権決勝では名将、岩出雅之監督率いる帝京大が、あろうことか!我が早稲田を破り2連覇を果たした試合も
わずかに「1トライ差」。
ラグビーワールドカップイヤーということを差し引いても
魅力たっぷりのゲーム内容は2019年の日本開催に向け、
ファン拡大へいい流れを感じる。
その帝京大の岩出監督の著書
「信じて根を張れ!楕円のボールは信じるヤツの前に落ちてくる」
の中で印象深い文章に出会った。(「 」は引用文)
「サッカーW杯の日本代表でひとつ気づいたことがあります」
ラグビーの監督がサッカーを観戦する構図だけでも興味深い。
「日本の選手の中にひとり、非常にいい表情をしている選手がいました。
『おっ、あの5番、いい顔しとるなあ』
自宅のテレビで応援していて、思わず口にしたことを覚えています。
背番号5。左サイドバックの長友佑都選手です。」
さらに続けて―
「自分を信じているいい顔をして、世界に挑んでいました。
帝京大の選手も、長友選手のような顔で
シーズンを戦ってほしいと思いました」
この著書が出版されたのは、去年の9月20日。
その後、岩出監督率いる帝京大は前述のとおり、
大学日本一に上り詰め2連覇を達成した。
きょうはサッカーアジアカップ準決勝「日韓戦」。
宿敵と相まみえる長友佑都の顔から
私たちも、今夜再び「自信」の二文字を読み取りたい。
早稲田ラグビー部の元監督清宮氏が
トップリーグヤマハの監督に就任するようだ。
今季ヤマハはリーグ14チーム中11位と低迷。
「ラグビー界のカリスマ」にチーム再建を託した形だ。
どんなステップでチーム再建を図るか。
とても楽しみだ。
清宮氏は母校早稲田を
01年から5年間で3度の大学日本一に導いた。
その後、サントリーに監督として戻り
就任2年目にはトップリーグ日本一を果たした。
プロジェクトとも言える周到に練られた組織作りと
選手の心に響く言葉が印象的なトップだ。
現在のヤマハ堀川隆延監督も早稲田ラグビー部のOB。
その後任として監督に就任する清宮氏。
チームには、大多尾、五郎丸ら早稲田時代の教え子も
手ぐすねを引いて待っているはずだ。
おととし経営不振からプロ契約を廃止した企業チームで、
社員として働きながらラグビーを続けてきた選手たち。
そんな経験を胸に秘める選手たちを
清宮氏がどんな言葉で戦う集団として火をつけるのか。
注目だ。
きのう石毛宏典さんの講演会を取材させた頂いた。
ひめぎんホールの客席には
18歳以上の専門学校、各種学校の男女が約1000人。
この構図自体に興味があった。
「熱血肉食系」と「草食系男子」。
響くだろうか―
「あいさつと返事は大きな声で!」
「人の話しを聞くときは、相手の目を見て聞け!」
まず、自身が開く「石毛野球塾」の生徒との約束から入ったが、
石毛さんの「熱」がまっすぐ伝わるのか、少々不安になった・・・
しかし―
「四国アイランドリーグ」を立ち上げた思い。
「千葉のよそ者」が「四国」に受け入れてもらうまでの「汗」。
常勝西武ライオンズの1億円プレーヤーが直面した「挫折」と「気づき」
そして浮き彫りになっていった「夢」。
さらにアイランドリーグで「再生」を誓う若者たちとの会話・・・
1時間半はあっという間だった。
杞憂に過ぎなかった。
「前心」、「朴心」「根心」、「耕心」、「捨心」。
左手にマイク、右手にホワイトボードのマーカー。
石毛さんは、現役時代に掲げたスローガンを1つ1つ紹介した。
「大切なことは目に見えないことが多い。
木の根のように。
見えないものを見つめていきたい」(根心)
現役時代、慢心しないよう「心のあり方」には
徹底的にこだわったという。
そして、石毛さんは切り出した。
「最近は『我流』または『自己流』を
『個性』だと勘違いしている人が多い」
まず「形」があってこそ「ぶれない軸」が出来る。
さらに軸ができても「志」がないと、
いくら真面目にやっても「ぶれる」。
石毛さんは「基本」の大切さと
それを身に着けるために必要な「聞く」姿勢を説いた。
講演終了後―
会場の若者が手をあげた。
マイクが渡った。
19歳、専門学生、県内強豪野球部出身、ベンチ入り経験ゼロ。
「あります!」
石毛さんは即答した。
彼が、人生に
ベンチ入りできなかった3年間だった
今でも野球は好きだ。
でも、専門学校もある。
どうすればいいんだろう・・・そんな風にも見て取れた。
「心の迷い」を吹き飛ばした。
「おう!うちに来て野球やるか!」
その手は全く震えていなかった。
重さ、わずか数グラム。
その1枚の紙を過去どれだけ多くのゴルファーが
待ち焦がれてきたことか。
『マスターズの招待状』
その上品なクリーム色の厚紙と初対面を果たしたのは
松山市出身、松山英樹選手。

あと7時間後には年も改まろうかという大晦日の午後5時、
愛媛、松山市内のゴルフ練習場のロビーは
家族やゴルフ仲間で祝福ムードに包まれた。
しかし歴史的な出来事にも、
18歳らしからぬ落ち着きの中・・・
「この紙切れで、すごい所に行けるんだなという感じですね」
両手の指先で招待状をつまむようにして
その紙の重みは―
「紙自体は軽いんですけど・・・」
「書いてある内容はちょっと読めないんですけど・・・」
「すごく重いものだと思っています」
ゆっくりだが、自分の言葉で語る松山選手。
実感はこれから徐々に体の隅々にまで広がっていくのだろうが
興奮気味の周囲の笑顔には思わず表情も緩んだ。
「小さい頃からお世話になっている方々がいる場所で
封を開けることができてよかったです。
夢の舞台なので楽しく頑張って来たいと思います」
そして年が明けてきょう―
仙台市の東北福祉大学で記者会見に姿を見せた松山選手。
招待状と共に過ごした1週間、相性も良さそうな印象だ。
―マスターズに出る他の日本人選手については?
「特に気にしていません」
記者からの質問にも表情は変わらない。
―同い年の石川遼選手や先輩の池田勇太選手も出ますが?
「・・・はい(笑)」
そう・・・それでいいと思う。
マスターズでプレーするのは自分であり、
世界標準を初めて計るのに「既存の物差し」は何の役にも立たない。
把握すべきは自分自身そのもので、
爪の先まで神経を尖らせて臨むのみだ。
16番ホールに代表される「ガラスのグリーン」、
11番から13番ホールの「アーメンコーナー」
立ちはだかる難コースに「技」と「心」を丸裸にされてなお、
世界中から集結したパトロンたちの前で
次ぎの1打に集中できるかどうか―。
「夢の舞台なので、楽しく頑張っていきたいと思います」
2011年4月7日。
アメリカジョージア州のオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ。
開幕日の1番ティグラウンドに、
どんな表情の松山英樹が立っているのか。
待ち遠しい限りである。
野球の華はなんといっても「ホームラン」。
それを「期待された時」にぶちかますという
類まれな才能をもった野球人を
「ホームランバッター」と呼ぶ。
そんな男が今年、愛媛マンダリンパイレーツにいた。
「末次峰明」選手、24歳。
188センチ97キロ。
その体躯から搾り出されるとてつもないエネルギーを
バットに伝えてきた。
そしてそのバットがボールと時々正面衝突を起こす時、
相手の戦意を喪失させ、流れを変え、スタンドが沸き、
味方に勇気を与え、勝利を呼び込んできた。
しかし「時々」だった―。
おととしのリーグ日本人ホームラン王も
今年はその確率を下げた。
したがって「10月28日」は何事も無く過ぎ去った。
4日後―
見上げるほどの大男は
オレンジ色のユニフォームに身を包んでいた。
場所は松山市内のホテルの大広間。
「愛媛マンダリンパイレーツ感謝の集い」には
県内の政財界をはじめ大勢のスポンサー企業のトップらが集まっていた。
感謝を表すのはここでは球団側。
選手達は会場あちこちで支援への感謝の言葉を述べ、
来シーズンの巻き返しを誓い、
時に「別れの言葉」を口にしていた。
そして末次選手。
立食式の会場ながらどこにいても人目で居場所が分かるのだが、
その背中もある種の決意を湛えているかのように見えた。
お開きの時間が近づく頃、
その大男は真っ直ぐこちらに歩み寄ってきた。
表情には晴れ晴れとした「笑み」を浮かべて―
「きょう出発しました」
―えっ?
「よしきくん、きょうアメリカへ出発しました」
********************(救う会のHPより抜粋)
竹内義貴くん、9歳。
埼玉県新座市在住の彼は現在
「拘束型心筋症」という原因不明の難病により、
東京女子医大東医療センターで入院治療を受けています。
50万人に1人といわれる特に稀な心臓病で、
突然死もありうる恐ろしい病気です。
発病から2年以上に渡り可能な限りの内科的治療をしてきました。
しかし心機能は徐々に低下していることから、義貴くんの命を救うには、
心臓移植しか方法がなく、しかも早急な移植が必要な状況です。
日本でも2010年7月17日より、
15歳未満の子どもの臓器提供が可能になりました。
しかし義貴くんには日本国内でドナー(臓器提供者)を
待っている時間がありません。
幸いにも先生方のご尽力により、
アメリカ アーカンソー州/アーカンソー小児病院で
受け入れて下さることが決まりました。
しかし、海外で移植手術を受けるためには、
渡航費・手術費用・滞在治療費用など、
個人では負担できない膨大な費用がかかります。
そこで、私たちは大勢の皆様にご支援を賜るように
「よしきくんを救う会」を結成し、募金活動をすることになりました。
*******************************
社会人チーム「岩手赤べこ野球軍団」でプレーしていた時、
よしき君と知り合ったという末次選手。
お母さんとよく練習を見に来てくれていた
元気な6歳の男の子だったという。
その後、末次選手は
北信越リーグの「新潟アルビレックスBC」、
四国九州アイランドリーグの「長崎セインツ」、
そして今年、「愛媛マンダリンパイレーツ」と旅を続けてきたが、
まさかの連絡が末次選手の元に届いたのは今年の夏だった。
拘束型心筋症・・・5年生存率30%
「他人事ではないと思いましたし、力になれればと思って」
一報を受けた末次選手は、
「よしき君を救う会」の募金活動への参加を決意すると
愛媛マンダリンパイレーツの試合前後、
即席の募金箱を胸に抱え、スタジアム前に立ち続けた。
(今治球場で)
もう、大切なのは「自分の成績」ではなかった―。
「チームが勝ち続ければ、より多くの人に試合を見にきてもらえる。
よしき君のことを少しでも多くの人に知ってもらえる」
その後、愛媛は首位香川と熾烈な優勝争いを繰り広げた。
後期最終戦を残し、そのペナントレースにはピリオドが打たれたが、
9月26日の最終戦、坊っちゃんスタジアムには
2300人を超えるファンが駆けつけ、
末次選手も2安打を放ち、チームの勝利に貢献した。
「よしき君を救う会」には、
10月19日には、ボストンから「松坂大輔投手」、
そしておとといは、ソフトバンクホークスの「杉内俊哉投手」からも
激励のサインボールが届くなど支援の輪は全国に広がり、
10月21日現在、その額は9000万円を突破。
そしてきょう、
よしき君は晴れてアメリカへ飛び立った。
http://yoshikikun.blog133.fc2.com/#entry-97
「本当に有難うございました。テレビの力は凄いです。
よしき君、今頃、ちょうど飛行機の中ですよ」
深々と頭を垂れる大男、末次峰明。
今シーズン、ホームラン王は逃したが、
打球に込めた熱い思いは、
美しい放物線を描き、
まもなく海の向こうに届こうとしている。

てくてく。
スタスタ。
トボトボ。
パッパッ。
だらだら。
ゆっくり。
そろりそろり。
黙々と―
「歩く」
話しながら
泣きながら
笑いながら
怒りながら
思い出しながら
忘れようと―
また「歩く」
彼のために
彼女のために
あいつのために
見知らぬ誰かのために
自分のために―
さらに「歩く」
祈りながら
願いながら
後悔しながら
感謝しながら―
「がん」と真正面から向き合った心の波は途絶えることなく
「HOPE」のゆらぎを瞼にしまい朝を迎えた。

ひとりだけど、ひとりじゃない・・・
そして24時間が過ぎ、
心の中に「希望の灯」がともった―
「リレー・フォー・ライフ」
きょうも、また「一歩」。
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