
「未来の事を口にするのはリスキーだ。
しかしそれが
今はエネルギーになっているし、
やれる自信もある」
愛媛FC バルバリッチ監督 2009年12月
2010年の目標を尋ねた時のバルバリッチ監督。
来日3ヶ月目の指揮官は
言葉を選びつつ慎重に、しかし胸に秘めた信念を口にしてくれた。
クロアチア出身で旧ユーゴ代表、あのオシム監督の教え子でもある。
「言葉」が宙をさまようことはない。
多民族国家ゆえに古代から内戦、紛争が続いてきたバルカン半島。
トルコ、ギリシア、アルバニア、ブルガリア、
さらに旧ユーゴスラビアの
マケドニア、セルビア、モンテネグロ、クロアチア、
そしてボスニア・ヘルツェゴビナ・・・。
92年に勃発したボスニア紛争が終結したのは95年とついこの前。
紛争の末に独立を宣言したコソボを巡っては
未だ国際的にも不安定な状況だ。
そんな状況で日々と向き合う中、
大切なのは「その日」「その時」「その瞬間」。
その積み重ねが「あす」になるのだろう。
刻一刻と変わっていく社会情勢の中で、自分はどう動くべきなのか。
愛する者たちを守るためにはどうすればいいのか。
「根拠なき希望」は時間の浪費なのかもしれない。
フットボールも同じか。
「今」の積み重ねが「あす」の前進につながり、
それがいつしか「劇的な変化」を生む。
バルバリッチ監督はそれを知る。
(空 希望の宿る場所)
来日直後、中盤でボールを簡単に奪われる様子に
バルバリッチ監督は
「戦うために最も大切なことがおろそかになっている」と指摘した。
「武士」に興味があるという。
全く初めて訪れた国、極東の「日本」。
これまでの人生で接点はほぼ皆無に等しい。
ただ「戦い」に臨む「武士」の姿勢はバルバリッチの心を捉えていた。
「侍スピリッツ」に触れることを楽しみにバルバリッチは来日した。
それが失望に変わったかどうかは定かではない。
しかしフットボールがその国を映し出す鏡であるならば
この国の若者たちを束ねるのは
容易でないことくらいは察知しただろう。
(心をひとつに 愛媛FCイレブン 写真左から2番目がバルバリッチ監督)
「サッカーはサポーターのためにやっているものだ」
バルバリッチ監督はこう言い切る。
「私たちが勝利で得る喜びよりも、
サポーターが喜ぶことで得られる喜びの方がはるかに大きい」
そのサポーターに「借りを作った」と何度も語ったバルバリッチ監督。
シーズン終了後、冬の夕方ピッチ上にて30分間のインタビュー。
しかし2010シーズンを見つめるその表情は
西日のせいか晴れやかに見えた。
「戦う」とは何か―
2010年
オシムの教え子が、
愛媛でいよいよ刀を抜く―
心に、熱い思いみたいなものが
試合前はあって・・・
三洋電機ワイルドナイツ 山本 貢選手
(2009年12月6日 ニンジニアスタジアム)
ラグビートップリーグ2年ぶり4回目の愛媛開催が「凱旋試合」となった
新田高校出身、三洋電機の「山本 貢」選手。
元日本代表、トップリーグ6年目の28歳は
今シーズン、チームの全勝、首位独走に大きく貢献している。
試合後、久しぶりの愛媛でのプレーについて尋ねると
こう一言答えてくれた。
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丁度10年前の「99年」、
山本は新田ラグビー部のキャプテンに就任すると
フッカーとして「高校日本代表候補」にも選出。
全国高校ラグビー愛媛県大会では
決勝で河野晴吾キャプテン(後に明治大)率いる松山聖陵を
32対0で破りチームの「3連覇」に貢献した。
そして「花園」。
1回戦では「富山第一」を19-15で破り初戦突破。
山本も1トライを決め、富山の猛追を振り
新田の「花園通算30勝目」に貢献した。
ところが・・・
山本はこの試合で「右足首を捻挫」。
しかし2回戦の相手は全国屈指の強豪「国学院久我山」。
山本は翌日、大阪市内の河川敷グラウンドで行われた練習中も
歩くのがやっとの状態だったが、取材陣に一言。
「強い相手と戦えるのは楽しいから」
ややうつむき加減だったが、その口元には笑みが浮かんでいた。
そして翌日の99年12月30日。
山本の姿は花園の芝の上にあった。
「痛いかゆいを全く言わない男です」
亀岡政幸監督(当時)はその心意気の前に
逸材の「将来」よりも「目の前の一戦」を優先した。
座薬と痛み止めを打っても痛いものは痛い。
しかし60分間、前に出続けた「背番号2」を
後輩たちはしっかりと目に焼きつけ、ノーサイドの笛を聞いた。
結果は、「新田0-70国学院久我山」
深く鮮やかな緑の芝の上に落とした「大粒の涙」―
しかし山本はその「意味」を、翌年から「実行」に移した。
関東学院大学に進み、才能が一気に開花すると、
2000年から関東大学リーグ戦を全勝優勝で4連覇。
大学選手権では4年間で3度学生日本一に輝くと、
三洋電機でトップリーガーとなり日本代表にも選ばれた。
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そして三洋電機6年目の今年、初冬の愛媛に凱旋。
優勝へ真っ直ぐ突き進むチームの一員として
慣れ親しんだ芝の臭いに熱く燃えた。
泥臭くクボタの選手に絡み、倒し、
ブレイクダウンで圧倒。
そして前半39分
ドライビングモールを生かして「1トライ」を決めた。
「みんなのお陰で取れたトライなんで、みんなに感謝したいと思います」
赤いジャージに刻まれたあの日と同じ背番号「2」は、
西日を受けて誇らしげに輝いていた。
「
(両親と喜びの写真撮影 秋山拓巳投手)
OBの『村山さん』みたいに先発でグイグイ押せる
スケールの大きな投手になってほしいね」
2009年11月27日 阪神 山本宣史スカウト
今年10月のドラフト会議で西条・秋山拓巳投手を4位指名した阪神。
この日はJR伊予西条駅にほど近い、西条国際ホテルで仮契約を結んだ。
約40分間行われた交渉の後、秋山投手は会見で
「高校時代にやり残したことがあったので、
それを今度はプロの世界でぶつけたい」と
甲子園での登板が待ちきれない様子。
またドラフト当日は「4位指名」によって
秋山投手の機嫌を損ねてしまったが、
この日山本宣史スカウトは
「将来は先発ローテーションの柱として頑張ってもらいたい」
と明言するとともに、阪神に身を置くものとしては最高評価に値する
「村山」の名を用いて期待の大きさを表現した。
さらに・・・
「送りバントも自信あるって、本人言ってたよ」
阪神 佐野仙好西日本統括スカウト
Qチャンスで秋山君に回って来たらベンチはどうするでしょうか?
打撃にも非凡な才能を併せ持つ秋山投手だけに気になるところ。
この私の質問に、今回同席された「佐野仙好西日本統括スカウト」は
上のように述べ、
セ・リーグ「先発完投型投手」の必須科目「バント」も
問題なしと見ている。
秋山は「チャンスで代打」のいらない投手として
「虎のエース」としての第1関門をまずは軽々クリアしたようだ。
選手は十分力を発揮し、
自分たちのラグビーをすることができた。
選手を誇りに思う。
松山聖陵 丹生谷直志監督(61)
(2009年11月23日)
「第89回全国高校ラグビー愛媛県大会決勝」は
三島の3年ぶり2度目の優勝で幕を閉じた。
しかし敗れた松山聖陵もスタンドの応援団を大いに沸かせた。
それはなぜか―。
「スタイル」を貫く姿勢があったからかもしれない。
持ち味、定番、オリジナリティ・・・などとも言い換えられるが、
ここでは「必殺技」の方がぴったりくるだろうか。
決勝戦。
前半を終えて、三島24-0松山聖陵。
4トライ差以上の差がついていた。
しかも三島の練りに練られた試合運びに翻弄され
松山聖陵の見せ場はほとんどなかった。
しかし丹生谷監督に迷いはなかった。
むしろこの点差をチャンスと捉えていた。
さかのぼること1週間前の準決勝、野村戦。
松山聖陵は前半24-5とリードしたことで油断し、
後半野村の猛追撃に遭い、結局36-31の1トライ差。
薄氷の勝利で学んだことは少なくなった。
そして決勝戦の後半。
①松山聖陵はまず、開始4分、
10番江戸~12番田中キャプテン~15番城戸
BKがつないでトライ。
②後半12分にには、10番江戸~12番田中キャプテン~15番城戸、
そして最後は11番寺田と再びBKがつないでトライ。
③さらに後半16分には
ゴール前のラインアウトモールから
最後は13番小川が左サイドを突いてトライ。
これで松山聖陵は一気に10点差=2トライ差に詰め寄った。
そしてこれらのトライは全て、何度も何度も練習してきた
松山聖陵の「必殺技」。
自分たちはもちろん、スタンドのファンも、
さらには相手チームも最も警戒していた作戦だった。
味方に「期待」され、相手に「警戒」され
それでも「成功させる」ことの美しさ―。
そこには「絶対の自信」と「強烈な意識」と
そして「無意識への昇華」が伴って初めて完遂できる輝きがある。
戦前、丹生谷監督に尋ねた。
「自分たちの良さを出す」
「相手の良さを消す」
決勝戦ではどちらですか?
「勝つことも大事だが、もっと大切なのは人間形成。
仲間とともに、自分たちの信じるスタイルを貫きたい」
********************************
ラグビーでは競技の特性上、アタック、ディフェンスの選択肢が
限られることも多い。
道具を持たず、己の肉体を武器として投げ出すためだ。
ポジション別の役割はともかく、
集まった15人の肉体的特性を最大限に生かそうとすれば
やはりFW主導型。BK主導型。キック多様型など
戦術は自ずと決まってくる性質がある。
それはメイジの「前へ」だったり、
東芝府中の「PからGO」だったり、
神戸製鋼の「フラットライン」だったり。
さらには「大西鐡之祐」氏率いるワセダの
「展開、接近、連続」だったりする。
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「大西鐡之祐」氏(故人)は
元早稲田大学ラグビー部監督で元日本代表監督だ。
様々なエピソードを抱える日本ラグビー界の重鎮だが、
最も代表的なものの1つが、
1971年のイングランド代表初来日での死闘であろう。
この時、極東の日本代表は「ラグビー母国」イングランドと2戦交えた。
初戦は、9月24日 花園ラグビー場。
結果は、日本19-27イングランド。
第2戦は秩父宮ラグビー場。
結果は、日本3-6イングランド。
特に、「9月28日」秩父宮の第2戦、
スタンドに入りきれないファンが
タッチライン際まで溢れ出て観戦していたほどの異様な熱気の中、
試合前のロッカーで行われた大西氏の
「水杯」(みずさかずき)のエピソードは伝説だ。
(このエピソードについてはここでは省略。以前紹介させていただいた、当事者の1人、元日本代表、現伏見工業ラグビー部総監督、山口良治先生涙する・・・を参照されたい)
そんな中、この日本ラグビー界の伝説を目の当たりにし、
少し別の角度から「世界を知った」1人のラガーマンがいた。
「天理高校ラグビー部主将 丹生谷直志選手」だ。
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松山聖陵グラウンドで選手たち走る姿に目を配る丹生谷監督。
遠くを見つめながら一言、
「テストマッチが終わって選手たちは、うちの学校に来たんですよ」
もう40年近く前の話だ。
丹生谷監督は愛媛の重信中学校を卒業後、
奈良の天理高校に進学しラグビーに出会った。
花園ラグビー場での初戦を戦い終えた
「イングランド代表」と「日本代表」の選手たちが向かった先。
それは、奈良県の「天理大学」だったという。
大西鐡之祐監督が奈良県出身だったためもあろうが、
高校・大学と日本のラグビー界をリードし、
すでに国際交流も盛んに行っていたことも関係あるようだ。
そして学校では、懇親会が始まった。
試合後、お互いの健闘を讃え合うのは今も昔も「ノーサイドの精神」。
パーティは華やかに、賑やかに進んでいく・・・はずだった。
ところが、この日、会場で「ウエイター係」に勤しんでいた丹生谷選手は
目の前の光景に驚きを隠せなかったという。
「ジャパンは試合で、全精力を使い果たしたんでしょうね。
選手たちはもうパーティの途中から椅子に座って
ぐったりしていました。
中には部屋に戻ってしまった選手もいたはずですよ」
さらに続く。
「逆にイングランドの選手たちは、どんどん食べて飲んで・・・
大騒ぎですよ。
で、途中選手たちが私たちに何を聞いてきたか!
『ここにプールはないのか?』
で、場所を教えたら、選手がそこで泳ぎ始めたんです、
バシャバシャと!」
そして翌朝、もうイングランドの選手たちはケロッとして
移動していきましたよ」
ラグビー母国の「威厳」と「解放」を目の当たりにした丹生谷選手。
「高校ラグビー日本一男」が
世界のスケールの違いを肌で感じた1日だった。
ところが、その4日後の9月28日。
日本はその荒くれ男達をノートライに封じた。
日本のタックルは突き刺さり、
1度たりともゴールラインをまたぐことを許さなかった。
この時のことを、日本代表7番山口良治選手はこう表現している。
「いいかい高橋君、レフリーの笛が鳴った。
そうしたらね、終わってたんだよ・・・」
「集中の極み」とはこういうことなのか。
体の小さな日本人が、体の大きな外国人を倒すには
日本独自の「スタイル」を確立しなければならない。
大西鐡之祐氏の元、80分間はあっという間に過ぎた。
そして当時の丹生谷選手は知る。
どんなに劣勢でも「スタイル」=組織の意識統一があれば
戦えることを―
*******************************
世界と日本と自分自身のラグビー観に大きな影響を与えたあの日から
38年後の2009年。
松山聖陵ラグビー部を指導して31年。
監督として10年目の節目を迎えた丹生谷監督。
自分たちの「スタイル」を貫くのみ―
1回戦だろうが決勝だろうが、何も変わらない。変える必要もない。
それが自分たちの「信じる」形ならば・・・。
丹生谷監督は決勝戦を前にこう語る。
「普段から、人生の目標はトップに立つことだということを
露骨に言い過ぎている所もあるんですけど、
やはり頂点に立つためには、
それだけの厳しさ苦しさをもって接しなければならない」
そして―
「もし負けたときには、相手がそれ以上のことやったと・・・」
******************************
山下レフリーが一拍おいて、大きく息を吸い込んだ。
そして秋の西日に包まれる球技場の芝に
ノーサイドの笛が鳴り響いた。
三島41-19松山聖陵
丹生谷監督の戦いが終わった。
チームは3年計画の3年目だった。
去年の雪辱を果たすことが出来て嬉しいです
前半押されていましたが
最後まで皆があきらめることなく
一丸となって最後まで戦うことができたので
勝利につながったと思います
三島高校ラグビー部 井上直弥 主将
(2009年11月15日)
(ノーサイドの笛が響き―) 全国高校ラグビー県大会 準決勝
三島15-10新田
第1シード三島優位の予想を
第4シード新田の出足鋭く突き刺さる「タックル」が粉砕。
番狂わせも時間の問題と思われた。
しかし後半24分、
三島がラックからの連続タテ攻撃から同点トライ。
さらに後半ロスタイムに逆転のトライ。
ラスト6分の三島フィフティーンを動かしたのは
去年の決勝戦の涙だったのか・・・。
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後半の最後の1分が
ものすごい厳しかったですけど
粘り勝ちしたので嬉しいです
絶対、勝って花園に行きます
松山聖陵ラグビー部 田中史也 主将
(2009年11月15日)
(ノーサイドの笛が響き― その2) 準決勝 第2試合
松山聖陵36-31野村
前半24-5と松山聖陵リードで折り返した後半、
野村の猛追撃は圧巻。
最大24点差を、3連続トライなどで一気に5点差に。
その後、聖陵が1本返すが、野村も後半ロスタイム1本返す。
そしてラストワンプレーにかけた野村だったが・・・
辛くも10年ぶりの決勝進出を決めた聖陵フィフティーン。
野村フィフティーンの思いも胸に
花園まであと1つ。
「明日から
また厳しい練習するから、
覚悟しておけよ!」
八幡浜高校ラグビー部 万代道也監督
2003年、松山東高校ラグビー部の主将だった万代監督。
抜群のキャプテンシーでチームをまとめ、
12年ぶりに四国大会Aブロック優勝を飾った。
試合直後のインタビューで万代主将は涙と笑顔でこう語った。
「高校に入ってラグビーする気はなかったんですけど、
本当に入ってよかったと思います。
みんなにありがとうとお礼を言いたいです。
ラグビー大好きです!」
あれから6年、
愛媛の高校ラグビー界に『監督』として復帰し、
全国高校ラグビー大会県予選の1回戦で初勝利をあげた万代監督。
選手に伝えたい言葉は?と尋ねると
笑顔でこう口にした。
扇の要は手に隠れて見えない。
しかし扇を支えているのは見えない部分だ。
その見えない部分でキャッチャーは、
非情な結果と常に隣り合わせだが、それが醍醐味だ。
そんな瞬間が訪れたのは、
四国高校野球愛媛県大会 3位決定戦 済美-野村。
局面はこうだった。
**************************
2対2の同点。9回ウラ、済美の攻撃。2アウト2塁。
打者は5番の喜井。
野村のピッチャーは先発、エースの市川。
2塁ランナーが帰れば済美のサヨナラ勝ち・・・。
必要なのはアウト1つ。
**************************
この日、済美の5番喜井はここまで4打数ノーヒット。
フライが2つ、内野ゴロが2つ。
さらに打球の行方はサード、ショートのみ。
野村の市川の緩急にタイミングはまだ合っていない。
打ち取れる確率は高いだろう。
しかし1塁が空いている。
歩かせてもよい。
すると勝負は6番の山下か。1年生だ。
しかし注意すべきは「済美の」1年生だ。
しかも1年生でベンチ入りしているのは2人だけ。
「選ばれし」1年生だ。
この試合は途中出場。
そして6回の初打席、レフトフェンス直撃のツーベースヒット。
しかもカウント2-0からファウル2球を絡め、
2-3まで粘っての一撃だ。
さらに8回の第2打席は、フォアボール。
しかしカウント2-0から、ファウルで粘ってのフォアボール。
野村の市川の緩急に合っている。
野村のキャッチャー井関の頭に
以上のことが瞬時によぎる。

そして井関。
「喜井はイヤな感じがしました」
分かる。
ここまでノーヒットのバッターは開き直っていて危険だ。
まして5番バッター、不調とはいえクリーンアップ。
そしてなによりも彼らは「済美」だ。
終盤見せる驚異の粘り、集中力は並ではない。
そのチームのキャプテンが「喜井」だ。
井関は振り返る。
「ベンチの監督さんも歩かせるということだった・・・」
結果、野村バッテリーは喜井を「敬遠」した。
これが良かったか、悪かったかは関係ない。
「敬遠という決断」は最大限尊重されるべきだ。
問題は次をどうするかである。
迎えた6番、1年生の山下。
「打気にはやる」バッターに「初球ボール」はセオリーだ。
しかし、2球目―
済美の1年生山下の打球はセンターの右を一直線に抜け
サヨナラタイムリーとなった。
井関は振り返る。
「この試合1番の、気持ちのこもったボールだった・・・」。
あえて悔やむならこの1球か・・・。
力んだ分、ボールは高めに浮いていた。

試合後、キャッチャー井関は悔し涙を流し、
唇をかみ締めながら言葉を搾り出した。
「次の夏は、絶対に甲子園に行きます」
局面を分析し、先を読み、次の1球を「決断」する。
非情な結果と常に隣り合わせだが、
非情な結果は「経験」として刷り込まれ
次の局面では強力な武器になる。
秋の四国大会に限りなく近づいた2009年10月11日。
夏まで、9ヶ月。
野村から目が離せない。
***********************
秋の四国高校野球愛媛県大会 3位決定戦。
済美3x-2野村
***********************
もう5回目だ。
またこの日がやってきた。
愛媛マンダリンパイレーツのホーム最終戦。
優勝争いをしていても、最下位争いをしていても
この日は必ずやってくる。
スタンドには「5000人」ものファンが駆けつけた。
入場料が無料だとか、特別割引があるからとかそんなことではない。
彼らが旅立つ前に・・・
(9月19日 坊っちゃんスタジアム)
愛媛で5000人が動くイベントはそうはない。
自宅を出て、子供をつれて、友人と待ち合わせて、電車に乗って、
迎えに行って、弁当調達して、歩いて、球場行って、チケット買って、
メガホンを何百回も叩いて・・・
そんなこと、自主的でなくて誰がしよう。
投票に行くよりハードルは高い。
それでも目に焼き付けておきたいと
坊っちゃんスタジアムにやってきた5000人。
少し長めの「一時停車」だったかもしれないが、
今年も「旅人」を見送るプラットホームには
大声で、あるいは心の中でエールを送る人でごった返していた。
試合後、選手にマイクを向ける。
表情は様々で複雑だ。
やりきった実感に満ち溢れている者。
やり残した後悔に苛まれている者。
この日、完投した「近平省悟」の言葉は印象的だった。
スコアボードに「グッバイ ベースボール」と記した近平が
この夜、およそ3時間に渡って演じた完封劇は
人の心を動かすのに十分な物語性をもっていた。
宇和島東時代にも同じ質問をした記憶がある。
「ピッチャーにとって大切なものは何?」
近平は即答した。
「それは、チームが勝つことです。
1対0でも10対9でも関係ありません。
自分のピッチングでチームの勝利に貢献することだけを考えて
投げてきました」
近平の表情は穏やかだった。
「夢」と「現実」が、より際立って見えてくる9月。
若き旅人たちも、秋風に敏感だ。
夢を叶える者
夢を追い続ける者
夢をあきらめる者
道は3つ。
ただ、贈られるエールはどれも等しい。
それを知っているファンが、この地には少なくない。
だがもうひとつ「今が夢の中」という生き方もあることを紹介したい。
長崎セインツに今月、1人の投手が入団した。
「長坂秀樹」投手。
愛媛の高校野球ファンならピンと来る方も多いだろう。
96年、「奇跡のバックホーム」で全国制覇した松山商業が
あの夏、甲子園の1回戦で破った東海大三高のエースがこの「長坂」だ。
愛媛新聞に掲載された、左足を直角に上げてタイミングを取る
長坂の「型破り」なバッティングフォームは印象深い。
日本でプレーするのは10年ぶりという長坂。
その間彼は、アメリカの独立リーグを渡り歩き
9つの球団でプレーしてきたという。
彼自身のブログによれば、
フロンティアリーグ 「クックカウンティー・チーターズ」
ウェスタンリーグ 「ソラノ・スティールヘッズ」
ノーザンリーグ 「リンカーン・ソルトドッグス」
ゴールデンベースボールリーグ「侍ベアーズ」
ゴールデンベースボールリーグ 「チコ・アウトローズ」
カンナムリーグ 「ナシュアプライド」
ズラリと見慣れないチーム名が並んでいて楽しい。
彼は「NPB」でも「MLB」の投手でもない。
しかし「その2つのリーグ」を除けば、
彼は立派に給料を貰いながら「ベースボール」を続けてきた。
そして「世界を旅するプロ野球選手」の第一人者が
同じ長崎セインツの「根鈴雄次」選手だ。
彼のことは以前にも記させていただいたが、
エクスポズ傘下の3Aにまで上り詰め、
アメリカ独立リーグ→メキシカンリーグ→アメリカ独立リーグ
→カナダリーグ→アメリカ独立リーグ→オランダリーグ→
BCリーグの新潟アルビレックス→長崎セインツ
波乱万丈の球歴にも見えるが、
世界をつなぎ、人生をより豊かにしてくれる「白球」の力を
「ネオ野球人根鈴」は静かに伝えてくれている。
夢の向こうにあるのものは何か―
「野球選手」にとって「10月29日」は運命の分かれ道だが、
「野球人」にとっては、ほんの「通過点」かもしれない。
「旅」の楽しみ方は人それぞれだから。
「スクイズ」はこうやるのか!
その駆け引きと攻防に目を奪われた。
夏の甲子園 大会初日第3試合 西条vs八千代東
0対0で迎えた3回表。
この回先頭の7番バッターがヒットで出塁した。
これがチームの初ヒット。大事にしたいランナーだ。
ところが続く8番バッターの2球目。
ランナースタート。
意表を突かれ、キャッチャー握りが甘く盗塁成功。ノーアウト2塁。
となれば「送りバント」あるのみ。
しかし3球目、球威に負けて送りバントはファウルでカウント1-2。
これを見て守備側は、
仮にバントをされても3塁でさせると推測(したのでは・・・)
そして4球目、攻めのピッチング。
ところが、「あっさり」送りバント成功され1アウト3塁。
千葉大会でもチーム2位の犠打3つを決めていたバッターだった。
そして9番バッターを迎えるのである。
スクイズが決まるまで、あと「6球」。
もちろん球場全体が「スクイズ」があると確信している場面だ。
「1球目」
当然バッテリーはウエスト。様子を見た。カウント0-1。
これは分かる。
そして次のボールだ。
バッテリーは、まだ外せるカウント。
一方攻撃側のベンチも「待て」のサインを出せる。
バッテリーが外してくれれば0-2。
ストライクを取りにきても1-1。
しかしベンチは勝負に出た。
ところが、バッテリーは読んでいた。
「2球目」
ランナースタート。バッターはスクイズのスタンバイ。
しかしバッテリーのサインは「外のスライダー」。
結果は、ファウル。これでカウント1-1。
バッテリーの受けた印象として考えうるのは
「やはりデータどおり積極的」。
しかし
「これで強攻策にサインを変えてくるかも」。
一方バッター側には
「一発で決められなかった悔しさ」が残っているはず。
そして次の球。
腹の探りあいの結果、
バッテリーはコーナーを狙う。
スクイズをやってきたら、球威で押してファウルか小フライに。
強行策に切り換えたとしてもボールならば手を出せない。
しかし攻撃側ベンチは「待った」。
「3球目」
判定はボール。
これでカウント1-2。
バッター有利のカウントに変わった。
まだスクイズで失敗することも出来る。
ここでバッテリーサイドの心理として想像できるのは
「次こそやってくるか・・・
しかしウエストすれば、
カウントは1-3と劣勢になる・・・」
「4球目」。
バッテリーはコーナーを突いて様子を見た。
しかしバッターはまたも「待った」。
判定はボール。
結局、ベンチは「2球続けて動かなかった」。
これでカウント1-3。
確認すると、バッターはスクイズにきてファウルとなり
その後2球は全く動かなかった。
バッテリー的には「スクイズの可能性は低くなった」と
感じ始めても不思議ではない。
そして考えられる心理としては、
「歩かせるのはご免だ」
「ファウルでもカウントを稼ぎたい」
「なんとか2-3にもっていって、
スクイズの可能性をほぼ消してしまいたい」
「強攻策に変われば、9番バッターだけに打ち取れる可能性は高い」
しかし5球目。
「スクイズ」だった。
完全にウラを書かれたバッテリー。
しかし結果は「ファウル」。
「助かった・・・」
と同時に確信したことだろう。
「もう、スクイズは無い・・・」と。
2度スクイズを失敗したバッター。
強攻策に切り換えざるを得ないだろう。
なによりも「スリーバント」を決められるほど甘い球威ではない。
軍配はほぼバッテリーサイドに上がったかと思われた。
ところが、「6球目―」
ランナースタート。
そしてボールは球威に押されながらも一塁手の前に転がった。
「スクイズ成功」
八千代東に先制点が転がり込んだ。
******************************
愛媛大会で秋山の失点は、33回1/3を投げてわずかに「4」。
しかしその1点を、甲子園の初戦で、
しかも「ヒット1本」で奪った八千代東のベンチワークの巧みさ。
結局、西条はこのあと「3対2」というスコアで競り勝った。
しかし、このスクイズのシーンをはじめ
盗塁を仕掛けるタイミングなど
野球の質の高さ、戦術の完成度には目を見張るものがあった。
チーム打率「2割5厘」
今大会参加49校中最低の数字で臨んだ八千代東。
しかもそのうち6試合が「1点差」ゲームという
異常なまでの快進撃の理由を
まざまざと見せつけられた気がした一戦だった。
甲子園で全国制覇するには「6試合」しかない。
その間、どれだけチームが成長していけるか。
西条にとって、初戦で1点差ゲームを制した意義は大きい。
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夏の甲子園 1回戦
西 条 3-2 八千代東(千葉)
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夏の甲子園の話題の前にこれだけは!
甲子園大会終了後の8月25日から
韓国ソウルで開かれる
「アジアAAA選手権」の全日本高校選抜メンバーが発表された。
愛媛の野球ファンなら、ピン!とくる方も多いと思いますが、
96年のこの大会には、
現在レイズの「岩村明憲選手」が唯一、
その夏の「甲子園出場メンバー以外」で全日本選抜入りし
「4番」を任され、さらにホームランをかっ飛ばし、
あのベーブルースの隣に名前が刻まれたことでも知られている。
今大会では「関東地区から夏の甲子園に出場しない3年生18人」という
条件の中での選抜メンバーとなったが、
日の丸を胸に戦う気持ちの昂ぶりは想像に難くない。
そして本題!
わが母校、西東京の「早大学院」からついに代表入り選手が現れたのだ。
大野瑠哉 投手。
一度もお目にかかったことがないのが先輩として恥ずかしい限りだが、
MAX138キロの右サイドハンドとのこと。
スライダーもいいようで、ぜひこの絶好の機会を将来にビシッ!と
繋げてもらいたいと期待することこの上なし。
同時に選ばれた慶応の白村明弘投手はすでに全国区だが、
ぜひ「学院の大野」をアジアにアピールしてもらいたいと思う。
ガンバレ!
(写真もなんにも無し・・・)
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